モテ男とデキ女の奥手な恋
 橘は二週間かけて両親を説得したらしい。どちらかというと渋っていたのは父の方で、先に母を味方につけたと胸を張っていた。
「お母さんの出身大学、神崎と一緒なのよ」
 俺はその言葉に思わず苦笑した。虎穴に入らずんば虎児を得ずとはこのことか。あまり気持ちのいい攻め方ではないが、この際背に腹はかえられない。
「ま、それに、お母さんは私と好みが似てるから」
 好きな俳優とかも一緒なの、と挙げた俳優には、以前ヒカルが俺に似ていると言った人物も入っている。当初、橘が俺を観賞用と断言していたのもそういうことかと納得した。
「結婚するのはお父さんじゃないでしょう。彩乃がこの人となら幸せになるって思えるんなら、会いもせずに認めないなんてかわいそうじゃない」
 母がそう言って、父の譲歩を引き出したらしい。
「元カレもね、お母さん的にはちょっとイマイチだったみたい。違う人って言ったらむしろほっとしてたから」
 あの人と結婚してたらきっと彩乃大変だったと思うわ、と言う母親と、それでも肩書はあっちの方がよかっただろうと比較する父親。
 いずれにせよ、前途多難だなと嘆息しつつ、スーツを着込み、お茶菓子を持って都内にある橘の実家へと向かったのだった。

 両親とも甘いお菓子が好きなの、と橘に聞いていたので、俺が持って行ったのはコーヒーと、実家近くで評判のお茶菓子だった。コーヒーがインスタントではないというのは、橘の家に最初に行ったときに聞いていたので、安心して選べた。
 俺は玄関先で簡単な挨拶をし、ダイニングキッチンに通されると、手土産を渡した。
「あら、おいしそう」
 顔をほころばせる橘の母の笑顔は、橘のそれよりももう少しおっとりしている。
「神崎、コーヒー淹れるの上手なのよ。すっごくおいしいの」
「あら、そうなの。うちはコーヒーメーカーに任せきり。飲んでみたいわぁ」
「はい、機会があればぜひ」
 俺が微笑を浮かべて頷くと、橘の母がふふふと嬉しそうに微笑む。
 橘の父は、黙ったまま腕組みをしてテーブルに腰かけている。
 中肉中背でロマンスグレーの髪を後ろになでつけ、仕事は銀行の総合職、エリアマネージャーを任されていると聞いた。
「ご多忙中、お時間いただきありがとうございます」
 頭を下げると、うん、ともふん、ともつかない応答があった。
「いただいたコーヒー淹れてみようかしら」
「うん、そうしよう」
 橘が母親と台所に立つ。やや橘の方が背が高いが、姉妹のように並ぶ姿に気持ちが和んだ。
「私が妻の親に挨拶したときは」
 その様子を観察していたらしい橘の父は、不意に話し始めた。
「緊張でそんなに落ち着いていられなかったが」
 俺は戻した視線で父親の表情を見やる。ついつい苦笑が浮かんだ。
「手厳しいだろうと、彩乃さんから聞いて来たので。逆に落ち着いているのかもしれません」
 橘の父はふと笑った。その顔も、橘が不敵な笑みを浮かべたときに少しだけ似ている。
「一人っ子だとね。どうしても、箱入りになる」
 娘の背中を見ながら呟くと、きょうだいはと訊ねられた。
「姉と弟が一人ずつです」
「ああ、そうか。弟はT大卒だと聞いたが、お姉さんは?」
「姉はN女子大学です」
 いきなり本題かと苦笑しながら答えると、橘の父は疑わしげに俺を見やった。
「二人とも優秀な国立大学だな。君だけ私立か」
「まあ……そうなりますね」
「もー。やだ、お父さん。いきなりそんな話?」
 文句を言いながら橘がコーヒーを運んでくる。途端にその香ばしい匂いが鼻腔を刺激した。
「最初から、今日はその話をするつもりだ。正式な挨拶は今日の話の後で受ける」
 橘が父をにらみつけたが、父は動じない。
「君くらいの歳なら、まだまだ次があるだろう。仕事も結婚も、次に行くなら早めがいい」
「やめてよ」
「お父さん、言い過ぎよ」
 娘と妻の言葉に、橘の父は不満げに鼻を鳴らしてコーヒーをすすった。
「君はK大出身だろう。そこが第一希望だったのか?」
「ええ、まあ」
 橘の父はふんと頷き、
「君はどうして私立一本にしたんだ?」
「特に理由は……学校のクラス分けで、私立か国公立選ぶ必要があったので。安易な発想ですが、教科数が少ないからというのが大きかったかも知れません」
 そうだろうなと橘の父は言って、
「私はね。自分の力試しの一つとして、受験というのはいい機会だと思っている。君はその機会に、全力で挑戦すること、自分の力に向き合うことを避けたんじゃないか?」
 ズバリと言うのを聞き咎め、橘が慌てた。
「お父さん。またそんな、こじつけみたいな理由をーー」
「お前がどうして学歴にこだわるんだと聞くから、お父さんも考えたんだよ。今の話は間違いなく理由の一つだ」
 俺は苦笑した。取り繕っても意味がない。
「結果的には、そういうことかもしれません」
 俺が受験する二年前、受験生だった姉の姿を見ていた。試験前には、空手の試合の前のようにピリピリして、まるで戦士のようだった。得意ではない英単語を始終呟き、風呂にもカードを持ち込み、朝五時に起きて勉強、学校に行って帰ってくればまた十時まで勉強、就寝。そんな訓練じみた生活を数か月続けるのは、俺には到底無理だと思った。
 俺とて、楽をしたとは思っていない。人並みに塾にも通ったし勉強はした。それでも、姉に比べれば全然で、自分の限界まで挑戦したとは言い切れない。それは俺の七年後に受験生になった弟を見てもそう思える。ーー弟の場合は、姉ほどの泥臭さはなかったが、それは地頭の良さによるものだろう。社会科系の教科は集中できれば読むだけで覚えられる、と微笑しているのを見たときには、こいつ化け物かと舌を巻いた。ちなみに理数系の強化はクイズ感覚だったらしい。
 トップ校に行くのは、元々頭の出来が違う一握りの天才肌か、鍛錬に近い泥臭い勉強ができる努力家か、どっちかなのだろう。見たところ、姉や橘は後者、弟は前者だ。
 橘の父はまっすぐに俺を見て言う。
「君が悪くない男だということは分かった。だが、娘を安心して任せられるとはまだ思えない。君の容姿なら、うちの娘じゃなくてもいくらでも候補がいるだろう。彩乃でなければいけないと思っているなら、それを証明して見せたまえ」
「……証明?」
 嫌な予感に眉を上げる。
「例えば、センター試験でT大合格者の平均以上の点数を取る、とか」
「センター、ですか」
 あまりに懐かしい単語に俺が唖然とする。橘とその母が困ったように目を合わせた。
「お父さん」
「本気を見せろと言うんだ。頭ごなしに結婚を許さないと言っているわけじゃないぞ。それとも彩乃のことは諦めるか?」
 唖然としている俺を差し置き、それに対して口を開いたのは、娘の橘自身だった。
「もう、言わせておけば好き勝手言って。神崎が本気出せば、そんなの余裕なんだから!見てなさいっ!」
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