モテ男とデキ女の奥手な恋
「グッモーニング!」
翌朝、やたらと威勢よく出勤してきた江原さんに、オフィスの視線が集まる。
「……どうしたの、アキ。今日、合コンでもあるの?」
阿久津が複雑な表情で問う。
いつも就活生さながらのダークスーツに身を包んでいる江原さんは、黒いタートルネックニットと紺色の膝丈タイトスカート、黒いシースルータイツ。ベージュのジャケットを羽織って髪は夜会巻き風のアップ、耳と首もとには小さなシルバーアクセサリー。
いわゆるできる女風スタイルで登場したのである。
場のメンバーが唖然としていると、江原さんは苦笑した。
「いやー、寒いですね、スカートって」
「まあ……そうらしいね」
冬場になると、姉がしょっちゅう制服に文句を言っていたのを思い出す。
「何、そんな露骨にマーシー狙い?」
嫌そうな顔をする阿久津の眼前に、江原さんはびしりと人差し指を突き出す。
「違うって言ってるじゃないですか」
睨みすえるように言うと、唐突に敬礼した。
「江原あきら、心機一転、がんばります!」
「今まで手抜いてたのかよ」
「いえ、違いますけど。形から入ったらわかりやすいかなって」
呆れる阿久津に、まさにビックスマイル、と言えるような笑顔を向ける。阿久津は少したじろいだ。
「打倒、阿久津先輩!」
「何のこっちゃ」
阿久津が視線を反らす。俺は噴き出すのを堪えた。
始業のチャイムが鳴る前だというのに、俺のデスクの電話が鳴る。
「Hello?」
俺が取ると、
『Hi,good morning.』
事務的な声の橘だった。パソコンでログイン状況を見たのだろう。
「もしかして、もう見つかったの?」
『一応ね。データ、メールで送るから、後で見て』
橘は淡々と話した。
『財務的に分かったのは、最初は九州支部が使うはずだった予算が、途中で本社に変える手続きがあったことだけ』
「途中って、いつ頃?」
『夏になる前。その後、大慌てで試作品作ったりしたみたい。本社の方で大急ぎで手配して、半年足らずで設計から生産まで持って行ったみたいね』
「半年……」
『よく間に合ったわよね。普通なら丸一年かけるところを。ーーその裏の事情までは、残念ながらわからないわ』
俺は腕を組んで考えながら、橘の言葉を反趨した。
「ちょっと考えてみる。ありがとう」
『うん』
「でも、無理したんじゃないか?ーー俺、頼んだの昨日の夕方近くなのに」
電話口で橘が笑った。男らしくも感じるさっぱりとした笑い方。
『我が部は不夜城よ。気分転換に過去の資料を探す時間くらい、十分あるわ』
俺は顔が引き攣るのを感じた。
お礼を言って受話器を置いた俺のパソコンに、社内メールが届く。橘からのものだ。
開くと電子化された紙が何ページ分か添付されていた。数字の読み解き方のレクチャーが記載された本文の最後に、一言。
【朝一で声聞けて元気出た。今日もがんばろうね。】
ビジネス仕様に紛れた不意打ちに、俺は思わず口元を手で覆い、見られていないかと江原さんを見やった。
江原さんはーーニヤリとして俺を見ていた。
「よーし神崎さん出張行きますよ!さあさあお早く!」
午後に入ると、江原さんはやたらと元気よく俺を連れ出した。午前中に電話のやりとりを見られてから、ずっとそわそわしていたようだから、車内で何を聞かれることか。
「行ってきます……」
俺は気乗りしない声をオフィスにかけて、スキップしそうなほど軽やかな足取りの江原さんを追った。
「今日も安全運転よろしくお願いします」
「承りましたー!」
シートベルトをつけて鍵を廻した江原さんは、笑顔で俺の顔を覗き込んだ。
「で、さっきの彼女さんですか?教えてくださいよぉ」
「出張は」
「今日はまだこの車動かしてないから、エンジン暖めないと。その間に、さあさあ」
俺は嘆息した。
「彼女……かな。一応」
「一応って?何で一応、なんです?」
「この歳になると、つき合いましょう、彼氏彼女になりました、ってのはあんまりないから」
俺が苦笑しながら答えると、江原さんは唇を尖らせた。
「えー。告白もせずなんとなく流しちゃったんですかぁ。それは女子的には言って欲しいですよ」
「いや、言ったけど。一応。……まあ、それだけだよね」
「あ、じゃあ、彼氏彼女かわかんないけど、両想いなんですね」
江原さんの目はキラキラと輝いている。
「……ぐいぐい俺のプライベートに踏み込んで来るね」
「はいっ。神崎さんには遠慮しないって決めたんで!」
ーー何でだよ。
ツッコミは留めて嘆息した。
「そろそろエンジンいいんじゃないの」
「あ、そうですね。じゃ、発車しまーす」
江原さんはサイドブレーキを降ろしてギアを入れ変え、車を動かしはじめた。
「そういえば、江原さん」
横から見た江原さんの服装に、朝の阿久津とのやりとりを思い出しながら、俺は話しかけた。江原さんは一瞬だけ目線を寄越して、何ですかと問う。
「そういう服も悪くないけど、君はもう少し柔らかい感じの方が似合いそうだよ」
江原さんは驚いた顔で俺の方を見やる。俺は慌てた。
「前向いて、前」
「ああ、すみません」
前に向き直った江原さんは笑った。
「神崎さん、そういうこと言いそうになかったから」
俺はやっぱり言わない方がよかったかなと思いながら、外を流れていく風景を見ていた。
「ーーやっぱり、そうですかねぇ」
江原さんがつぶやくように言う。
「これ着こなしたらカッコイイなぁ、っていう服は、大抵、似合わなくて。自分にはない要素だから素敵に見えるんですかね」
俺はふと橘を思い出した。彼女は逆に、きりりとした雰囲気を和らげようとしているのか、柔らかい素材を好む。
「どうかなぁ。でも、好奇心旺盛で前向きな明るさは、江原さんの長所だと思うけど」
江原さんは笑った。
「なんか、お兄ちゃんみたい。神崎さん、妹さんいますか」
「義理の妹になる予定の子ならいるよ。ーーそうだね。少し君にも似てるから、ちょっとお節介言ったかも。気にしないで」
江原さんは微笑みながら首を振った。
「男性からの貴重なアドバイス、ありがたく頂戴します。……てことは、婚約中の弟さんがいるんですね」
俺はつい苦笑を浮かべた。
「君には俺の個人情報がだだ漏れだな」
「大丈夫です、口は堅いんで。ーーときどきニヤニヤしちゃいますけど」
それ、口が堅くても意味ないんじゃないの。
とは思ったが言わず、江原さんの運転に身を任せていたが、外の景色が見覚えのあるものに思えて口を開いた。
「もしかして、昨日のーー福岡織物組合って、通り道?」
「そうですよ。よくわかりましたね」
「そうか。ーーじゃあ、帰りに寄ろう。いいかな」
「あいあいさー」
江原さんは一瞬だけ左手を額に軽く当てて応えた。