モテ男とデキ女の奥手な恋
北九州織物組合の会長は、思いの外若い男性だった。年齢は50に届かないくらいか。
「すみません、急にお時間いただいて」
「いえいえ」
会長は名刺を出して、松島糸治と名乗った。
「織物の仕事は、家業なんですか?」
名前を見るなり、思わず尋ねる。松島会長は笑った。
「ええ。分かりやすいやろ。子供のときは散々馬鹿にされて傷つきましたけど、大人になると、まあ早く覚えてもらえるっていうのも悪くないと思えるようになりました」
松島会長は正面のソファを俺たちに示した。江原さんと二人で並んで腰掛ける。
「今日は阿久津さんがおらんで、江原さん、やったっけ。君がおるんやね。珍しい」
「すみません、入れ代わり立ち代わり。私は東京本社から来たばかりなものですから、何かにつけて不案内で。みなさんと顔つなぎをしてもらおうと思って、江原に案内役を頼んだんです」
「そっか、そっか。なるほどね。ーーいや、それにしても、阿久津さんもなかなかの美丈夫だと思っとったけど、神崎さんもまたいい男やん。工場の女性陣が喜ぶな、きっと」
「恐縮です」
松島会長の言葉に苦笑を返す。
「で、どうなんですか。福岡織物組合の方は」
松島会長は真顔になって座り直し、声をひそめた。
俺は素直に首を横に振る。
「昨日、訪問させていただきましたが、会長にはお会いできませんでした。せっかくなので、秘書の山口さまに施設案内をしていただきましたが。今日も、帰りに顔を出してみようかと思っています」
「やっぱり」
松島会長は苦虫をかみつぶしたような表情をした。
「いえね、阿久津さんたちは、どうにかする、あともう少しでどうにかなる、と俺たちに言っとったですけどね。俺はそんなに簡単に行くもんじゃなかろうと思っていたとですよ」
俺と江原さんは顔を見合わせた。
「……正直に言っちゃまずかったかな」
呟くと、松島会長は笑う。
「ま、嘘も方便、ビジネスには必要な時もあるやろうけどね。今回がそれに当てはまるかは分からんち」
「松島会長。失礼を承知でうかがいますが……」
俺はためらってから、口を開いた。
「昔、我が社と福岡織物組合に何があったのか、ご存知ないですか?」
橘から連絡を貰った後、午前中の内にジョーからも連絡があった。社内に残っている資料はせいぜい5、6年分。到底期待できないからそのつもりでいてくれ、という話だった。
松島会長は一瞬驚いてから破顔した。
「そういうことは、プライドにかけて社内で調べるんやろと思っとったが」
松島会長の言葉に、俺は素直に頭を下げる。
「調べられそうなところは当たりましたが、なにぶん古い資料が見つからなくて。11年前ーーやはり、何かあったんですね?」
松島会長は微笑んだまま俺の目をじっと見てきた。口元に浮かんだ微笑みとは裏腹に、それは信頼に足るか試すような真剣さを帯びている。
「阿久津さんとあんたはやり方がずいぶん違うらしいな」
俺はその視線を受け止めることしかできず黙っていた。
「九州男児としては、阿久津さんのやり方を応援したい気もするが……スタート地点にも立てないままじゃ、埒があかんやろうね」
やはり表面上は、肩をすくめておどけて見せる。
「いいよ。教えよう。ーー俺が知ってる範囲で、になるけどね」
俺はまた頭を下げようとしたが、松島会長は手で制した。
「お礼は山口さんを説得できたら聞かせてもらお。そうじゃなければ何の意味もない話やから」
俺は松島会長の顔を見据えてから、静かに頷いた。松山会長はそれを見てから、ゆっくりと口を開いた。
松島会長から聞いた話は、何となく予想できていたことだったが、当事者の息子ーー松島会長は当時の組合員の息子として、経営を手伝っていたらしいーーの話として聞くと、なんともいたたまれなかった。
話は簡単である。我が社から織物組合に、一緒に製品開発をし、生産を受注しないか、と誘いがあった。
大きい会社と仕事ができれば、広告がわりにもなる。伝統と刷新の間で停滞気味だった織物組合は、渡りに舟とその提案に乗ることにした。
しかし、試作品作りも終わり、おおかた方向性も見えてきたところで、我が社はろくな説明もせずに契約を打ちきった。
今回の製品は、東北の会社と提携することになった、とだけを伝えて。
我が社との仕事を想定し、当年の受注を抑えていた織物組合の会員は騒然とした。ただでさえ一つ一つの会社の規模はそこまで大きくない。断った案件を再び受注すべく奔走し、頭を下げて回って、その年はどうにか乗り切ることができた。
「東北とコラボレーションするから、関東にある本社が話を引き受けたんですね」
江原さんが納得したように呟く。
「俺はサラリーマンで、他の仕事をしよったんやけど、そのときに辞めたんよ。俺が家業を継がなきゃならん、こんなちょっとしたことに揺らいでるようじゃ心配や、ち思ったけん」
松島会長は淡々と話した。
「とはいえ、ビジネスやもんね。お互い綺麗事ばかりでは成り立たん、ちゅうのは確かやけん。ほどほどのところで水に流すのも処世術よ。ーー俺はそう思っとうと」
「それは……何とお詫び申し上げればいいか」
「あんたが詫びる必要ないがね」
松島会長は笑った。
「詫びる詫びないもビジネスの大事なツールやけ、何やかんや簡単に頭下げてもいけんよ。ーーアメリカ発の御社にとっては常識っちゃろ」
「まあ、それはーーそういう面もありますが」
俺は複雑な思いで相槌を打った。ギリギリでの方針転換。そこに一体何があったのか分からないが、その煽りで潰れる会社が出てはたまったものではない。
「山口さんがあんたたちを信頼できんと言っとうのはそのことよ。ギリギリまで期待させておいて、急に態度を変えられちゃたまらん。俺は親父の会社のことだけ考えればよかったっちゃけど、山口さんは当時、組合の副会長やった。自分の会社だけじゃなくて、組合員の会社も考えなならんけ、大変やったやろ」
そう思うのも当然だ。俺は嘆息した、
「情けないです。そんなことを、記録から消し去って……」
「時代はどんどん動いとる。忘れるのも仕方ないけん。ーーでも、人の心はそう簡単に変えられん。それは覚えとかにゃいけんね」
松島会長は遠い目で語った。
「御社との話は、悪くないと思っとる。伝統にしがみついたがために、消えてなくなるのは嫌やけん。常に常に、新しいものも模索せんないかん」
言い終わると俺を見た。
「さて。昔語りはこれまで。もう1時間も話しとったんか。長話やったなぁ」
言いながら、右手を前に出す。
「神崎さん。健闘を祈りますよ」
俺は頷いて、その手を握り返した。