モテ男とデキ女の奥手な恋
「……ねぇ、神崎。私のこと、口説ける?」
 ウィスキーの3杯目があと2、3口になったところで、唐突に橘が口にした言葉に、俺は一時停止する。
「……なんだ、お前、結構重症だったか?」
「違うの」 
 橘は頭を振って言う。
「私には何が足りないのか、何が必要ないのか、考えなきゃいけないんじゃないかと思って」
 しごく真面目な顔で続けた。
「 "The aim of marketing is to know and understand the customer so well the product or service fits him and sells itself."」
「……Pardon?」
 俺が眉を寄せると、きりりとした顔で微笑む。
「ドラッカーよ。売り込むには相手にとっての売りをしっかり掴むことが大事」
 そこでドラッカーが出て来るあたり、こいつ、完全にピジネス脳だな。
 俺は深々と嘆息した。
「その考えと質問の問題点は二つある。一つ目は、お前は売り込む商品じゃないこと。もう一つは、俺がお前の言う"相手"に適していないこと」
 言ってグラスをカラリと回し、一口飲む。
 こんな茶番につき合ってられるか。早々に帰るに限る。
「あんた、以外とフェミニストよね」
「すべての人に対して公平なだけだ」
「……要するに、他人に無関心なのね」
 橘は呆れたように嘆息した。俺は気にせずまた一口ウィスキーをあおる。
 あと一口。
 橘は深々と嘆息して、赤ワインを飲み干した。
「帰ろうか。つき合ってくれて、ありがと」
 呟くように言って、椅子を降り、コートと鞄を手に取る。俺は拍子抜けながらも、頷いて最後の一口を飲み干した。
 爽やかな苦みが、喉を伝い落ちていく。
 橘はさっさと会計を済ませ、ドアに向かった。俺も後に続く。
 開いたドアの先には、先程も見た街並が広がっている。この時期限定のクリスマスイルミネーションを無感動に眺めながら、俺はコートを羽織った。
 俺の動きを、橘がじっと見ていた。コートの前を合わせて、目を向ける。
「何だよ」
「……別に」
 橘は呟くように言って歩き始めた。俺も訝しみながら後に続く。
 目につくイルミネーションを何となしに眺めながら歩いていると、立ち止まった橘の背にぶつかった。
「おっと。何だよ、急に」
 俺が問うと、橘は意を決したように振り返り、俺を見上げた。
 こいつ、こんなに小さかったのか。
 見たこともない至近距離での視線にぼんやりそんなことを思っていると、橘は口を開いた。
「神崎」
 そこで言葉に迷ってらしい。一瞬目線をさ迷わせると、困ったように小さく言った。
「……Hug me」
 俺はかろうじて、はぁ?と言うのを留めた。
 いつもより多少しおらしい橘に食ってかかるのも面倒に思えて、俺は橘の肩に腕を回し、友人にするように力強く、やや乱暴なハグをする。
 橘は、違うの、と抗議の声をあげた。
「そういうハグじゃなくって、女の子へのハグっていうか」
 何だこいつ、今日はほんと面倒くせぇな。
 内心毒づきながら嘆息する。
 これが今日の夕飯代か。まったく、タダより高いものはない。
 俺は橘の肩に回していた手の一方を、ウエストの高さまで下げた。
 身体全体で包み込むように抱きしめる。
 そういや、こういうのも久々かもしれない。女は散々抱いているが。
 気づきながら、冬でよかった、と思った。互いに厚手のコートに覆われていて、相手の身体の柔らかさや硬さを意識せずに済む。
 俺の腕の中で、橘はふるりと身を震わせた。
 ふといたずら心が芽生え、静かに囁く。
「寒いのか?」
 橘は一瞬動きを止めた後、ふるふると頭を振った。
 そろそろ腕を緩めようと思ったとき、橘の身体の力が抜けるのを感じた。
 ーーしまった。
 俺は瞬間的に思う。
 まずい、これはーー
 橘がゆっくりと顔を上げた。
 二人の目が合う。
 潤んだ瞳は、酒のせいか。それともーー
 どちらからともなく、顔が近づく。
 静かに、唇が重なった。
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