モテ男とデキ女の奥手な恋
サシ飲みで阿久津にカマをかけられ、まんまと引っ掛かった俺は、翌日足取りも重く出社した。
ーーやっぱりあれか、今年は厄年か?お祓いしておいた方がよかったのかもしれない。
日頃無宗教な人間も、こういうときは神頼みしたくもなる。
そんなことを思うが、もう開き直るしかない。
一息入れて、決意してからオフィスに入ろうと立ち止まったとき、
「Hey guy,good morning」
後ろから阿久津が俺の背を叩いた。
「……そのにやけ顔、やめろよ」
「いや、ついつい。悪いね」
敵対心に代わってイジリ心が芽生えたらしい阿久津は、やたらといい笑顔で俺の肩を組んだ。
「女史、何か言ってた?あの後」
「ねぇよ」
昨夜。阿久津の言葉に動揺して、思い切り手元を狂わせ熱燗を零した俺に、阿久津は大ウケした。
次いで橘に電話をかけろと言いだし、俺が断ると、じゃあ俺がかけるとーー本気でコールして、橘を呼び出した。
『もしもし?』
「あ、橘女史。久しぶりー」
『年末会ったじゃない。何、こんな時間に』
橘が阿久津に淡々と答える声が受話器越しに聞こえた。ーー聞かせるように、阿久津が話しているのだが。
「もう仕事終わったの?」
『今から帰るとこ。今日は少し早く上がれたわ』
俺は時計をちらりと見やる。もう21時になろうとしていた。
ーーそういや、女が夜道を一人で帰るのって、危なくねぇのかな。
俺がそんなことを思っている間にも、阿久津と橘の会話は続く。
「相変わらずワーカホリックだな」
『好きでやってるんじゃないわよ』
「そうかぁ?嫌いでもなさそうに見えるけど」
阿久津と橘の会話はいかにも同期らしく遠慮がない。
『用ないなら切っていい?これからご飯なんだけど』
軽口の相手に疲れた橘が言ったとき、阿久津がにやりと笑った。
「え、切っちゃうの。ダーリンの声聞きたくない?」
ぴしり。
橘が動きを止めた気配がした。
阿久津は笑いを堪えるのに必死らしく、息を止めて真っ赤になりながら震えている。
2、3度の呼吸を繰り返した後、橘はーーおそらく本人なりに可能な限り冷静な声でーー言った。
『切るね』
「おいおいおーい!切るなって!切ったら隣のやつをクラブに連れていくぞ」
阿久津の言葉に、橘はためらったようだった。ちょっと待てよ、と阿久津は俺に電話を渡した。
嫌々受け取る。
「ーーもしもし」
そういや、用件もなく電話するなんて、今までしたことなかったな。
そう気づくと、何となく話しにくい。しかも隣でにやにやしながら阿久津が聞いている。
『……もしもし』
橘も同じく話しにくそうに応じた。
「何で阿久津の電話なんか出るの」
『あんたに関係ないでしょ』
橘は突き放すようにぶっきらぼうに言ったが、少しの間の後、継ぎ足した。
『ーーいるのが九州じゃなければ、わざわざ出ないよ』
俺は噴き出した。
「そうかよ」
『そうよ』
ーーこの、強がり。
目の前にいれば、今すぐにその頭をくちゃくちゃに掻き回して、怒るお前を抱きしめてやれるのに。
異動して初めて、物理的な距離の遠さを感じる。
「気をつけて帰れよ」
『うん。そっちも……』
釘を刺すように、橘は大きめの声で言った。
『くれぐれも、次のお店に連れていかれないようにね』
挨拶を交わして電話を切り、阿久津に返す。
「……だそうだ」
「はいはい。分かってるよ」
阿久津も笑いながら受け取った。
「その顔、その顔」
阿久津は机をたたきながら笑っている。
「いやぁ。清々しい気分だ。今日は俺が奢るよ。ああ、いいもん見た。同期のみんなにも報告しよう」
阿久津はご機嫌に言いながら杯を重ね、俺が苦手だと知っていながら熱燗を更に勧めて来る。
「いいんじゃねーの」
阿久津は満足げにお猪口に口づけながら言った。
「お前と橘女史。悪くないと思うよ」
勝手に上機嫌になっていく阿久津に嘆息しながら、俺は好きではない酒をちびりちびりと舐めていた。
男子ロッカーにコートをかけながら話しかけて来る阿久津の機嫌は、一晩経っても変わらなかったらしい。組んだ肩を離してからも、軽口を叩いてくる。
「結婚式には呼んでくれよ。お望みならスピーチもしてやるぞ」
「望まねぇし、だいたいそんな予定はない」
二人で並んでデスクに歩いて行くと、後ろから声がかかった。
「おっはよーございまーす。……あれっ?」
声の主、江原さんは首を傾げる。
「二人とも、いつの間に仲良しになったんですか?」
「そういう気持ち悪いこと言うの、やめてくれる?」
いぶかしむ江原さんの言葉に、俺と阿久津の声が重なった。