モテ男とデキ女の奥手な恋
会社からは、5月になったら本社へ戻るよう言い渡された。
人使いが荒いと文句を言いながら、俺が担当していた仕事は阿久津や江原さんに加え、俺の後を渋々引き受けた高橋さんに引き継ぐ。
ヒカルは二日間学校を休んだが、その後は学校に通い始め、部活にも参加しているらしい。週末には相変わらず練習につき合ってやっているが、川田の名前はその後本人からも聞かないので、どうしているのか分からない。
とはいえヒカルがひとまず笑顔を取り戻したことに安心していた。ーートラウマになっていないことを祈りながら、ではあるが。
慌ただしくなる前にと、阿久津と連れだって関係各所に挨拶に出かけた。一通り回るとほぼ一日仕事になる。
「たまにはお前、運転しろよ」
「えー。阿久津先輩のハンドル捌きが次いつ見れるか分からないじゃないですかー」
「なんかそれアキが言いそうな台詞だな」
当然のように助手席に乗り込む俺に、阿久津は半眼で呆れる。午前中の訪問先を一通り回り終えると、昼食を食べようということになった。
「何食う?」
「何でもいいよ」
「ヤロー二人だとこだわらなくていいから楽だな」
「あ、でも麺以外」
「あ?」
「ネクタイに汁飛ばすの嫌」
「女子か」
俺の言葉に阿久津が笑った。俺は基本的に気に入った物しか持たない主義なので、ダメにしたときのショックがデカいのだ。
適当な定食屋に入り、阿久津と向き合って座った。ちょうど第一陣の客が帰ったタイミングだったようで、賑わっている中でもちらほら席を立つ人が見える。
出てきた定食箸をつけながら、俺はそういえばと思い出した。
「なあ、阿久津。カマかけたにしても、どうして橘だと思ったんだ?」
帰る前にこれだけは聞いておこうと思ったのだ。
阿久津に誘われて毎年飲みに集まる同期の内、女子は橘だけではなかった。どうして阿久津がすぐ橘の名前を出したのか、不思議に思っていた。
阿久津はみそ汁の椀に口をつけたまま、ちらりと俺の方を見やった。
黙ったまま、汁をすすり、椀を置く。
「あいつさ」
とは、橘のことだろう。
「飲みに誘う度に聞くの。神崎いる?って」
俺は口につけたみそ汁を吹き出しそうになった。
げほげほとむせる俺を完全に無視して、阿久津は箸を進め、モグモグと咀嚼しながら、ったくさー、と一人ごちるように続ける。
「橘女史、基本シッカリしてて隙ないんだけど、ときどき抜けてるとこあんじゃん。仕方ねぇなぁって思いながら、なんとなく見てたら、やっぱ気になんじゃん。結構ストレートに攻めてみたつもりだったんだけど、全っ、然、脈無し」
俺は次いで笑いを堪えるのに必死になった。橘の鈍感ぶりと阿久津のアプローチが何となく想像できたからだ。
「で、飲み会するって言えばその決め台詞だろ。観賞用ーとか言うけど、ほんとかよって。それ、ガキの片思いと同じだろ、って」
阿久津は嘆息混じりに湯気の立つ湯呑みをずずっと啜る。
「ま、だからよかったんじゃねぇの。十年越しの片思い、実ってあいつも喜んでるだろ」
投げやりに言って、
「だから、俺も結婚式呼べよって言ってんの。同期会の度にお前と橘呼んでやってた俺、偉くない?褒めてもらっていいと思うんだけど」
「予定ないって」
「どうだかねぇ。ーーっつか、時間かかりすぎだよ。なんだよ十年て。おかげで俺まで次に行くタイミング逃したっつーの」
阿久津はぐちぐちと言いながら俺の皿に乗っていたから揚げをひょいと箸でつまみ上げ、俺が声をあげる間に口に運んだ。
「お前さ」
俺は苦笑いしながら言う。
「俺のこと、人間味なかったとか言ってたけど、お前こそ猫被りすぎだろ」
「猫なんて可愛いもん被ってどうする。トラかライオンくらい被らせろ」
とっとと食えよ、と手を振って、阿久津は腕組みをした。もう話は終わりというポーズだろう。見やると確かに阿久津の膳は空になっていた。
「早食いは身体に悪いぞ」
「お前が遅いんだ」
文句を言われつつ、俺は急いで膳を平らげた。