モテ男とデキ女の奥手な恋
「神崎サンご指名だって。代表電話」
就業間際、阿久津から電話を渡されて受けとった。
「はい、代わりました。神崎です」
名乗るが、応答がない。
しばらく待ってみたが無言のままなので、
「いたずら電話なら切りますけど」
言うと、電話口で動揺するのが分かった。
「ーー川田?」
ふと、思いついた名を口にする。
次いで訪れた沈黙は、肯定を示していた。
俺は息を大きく吸い、ゆっくりと吐き出した。
「何の用だ?」
静かに言ったつもりだが、どうしても声に棘がある。
阿久津がどうしたという目をして俺を見たが、俺は苦笑して手を上げ、何でもないと示して見せた。
「俺に話があるなら、もう少しで仕事終わるから。今、どこにいるんだ」
「……学校の近くの、公衆電話」
会社から学校までは、歩くと30分以上かかる。俺はうーんと考えて、
「お前んち、どの辺だ?」
「中央公園の近く」
「中央公園……」
デスクのパソコンで検索すると、ちょうど会社と学校を結ぶ間くらいに位置していると分かる。
「じゃあその公園に、1時間後。いいか?」
「……分かった」
川田は言葉少なに了解して、電話を切った。
「また何かに巻き込まれてんのか」
阿久津がちらりとこちらに目をやる。
「そうらしいけどーーここまで来たら、乗りかかった船だな」
阿久津は頬杖をつきながら俺の苦笑を見て、
「足元掬われないように気をつけろよ」
小さく言った。
俺が何のことだと眉を寄せると、
「人に強烈に好かれる奴は、ときに強烈に嫌われるだろ。無自覚なら尚のこと、知らないうちに罠でも仕掛けられてることがあるかもしれない」
阿久津は言って、あー、と伸びをした。
「ちょっとトイレ」
真剣なんだか適当なんだか分からない様子に、俺は首を傾げた。
4月とはいえ日が落ちればまだ肌寒い。どうにか定時に会社を出て、19時頃に公園に着いたが、もう外は真っ暗だった。街灯が照らし出す公園は中規模のもので、原っぱとそれを囲むように置いてあるベンチ、端の方に数種類の遊具があった。
男とはいえ中学生を待たせている焦りがあったが、思いの外見渡し易い公園でわずかにほっとする。均された土を踏みながら公園に入っていくと、街灯が照らし出すベンチの一つに、川田が座っていた。
家に帰って一度着替えて来たのか、パーカーにジーパンのラフな姿だ。身長が高いわけではないが、こうして見ると高校生と言われても分からないかもしれない。
近づいて行くと、川田は手の内で転がしていたバスケットボールをしっかりと抱き抱えるようにしながら俺の顔を見上げた。
「よう」
何と声をかけるべきか分からず、俺が一声かけると、川田は目礼を返した。
俺は無言のまま、川田の隣に一人分の空席を開けて腰掛ける。
風が吹くと、砂埃が舞った。思わず眉を寄せて目を細め、砂埃から目を守る。
「……山口ヒカルが、今日、学校休んだの、聞いた?」
川田が、ぽつりと言った。
俺は黙ったまま首を横に振る。
川田はちらりと俺の横顔を見て、視線を手元のボールに戻した。
「じゃあ……昨日、なかなか家に帰って来なかったって話は」
俺は川田を横目で見た。少年はボールに視線を落としたままじっとしている。何かに怯えているようでもあり、落胆しているようにも見えた。
「知ってるよ」
答えて、次いで何を言ったものかと思いつつ口を開いた。
「ヒカルは、……多分、俺以外に言ってない」
心配かけたくないから。迷惑かけたくないから。
泣きながら話すヒカルは、合間合間でそう言った。傷ついたのは自分なのに、それでもなお他人を思いやる。思いやるのは、身内だけではないーー
「下校時、変な男に遭ったことにしてる筈だ」
俺は目を閉じた。腹の底に沸き上がる感情が怒りだと自覚しながら、それを押し殺すように深く息を吐く。
「お前がバスケできなくなったらかわいそう、だとさ」
川田は驚いて顔を上げた。見開いた目で俺を見る。その目が段々と潤んできたのを見て、俺は顔を背けた。
「お前、こんなこと望んでたの?」
川田は俯く。
「好きなんだろ。あいつのこと。振り向かせたいと思ったんだろ。ーーすべきこと、全然違うんじゃねぇの」
相手が二周りも年下の子供だということが、かろうじて俺を冷静に留めさせた。
「だって……全然、俺のこと見てくれんもん」
川田の声は震えていた。
「悔しいけん、あんたの悪口言って気を引こうとしたら、バリ怒りよるし、こっちも引っ込みつかんで言い合いになって。ーーそんなにあんたのことが大事なんか、そんならいっそ無茶苦茶にしてやる、ちゅう気になって」
早口にまくしたてる言葉は涙声だ。あふれる涙を拭うこともせず、川田は一気に言い切った。
俺は黙ってベンチから立ち上がった。
川田が俺を見上げる。
「知らねぇよ、お前の都合なんか。どんな理由があるにしたってーー」
俺は奥歯を噛み締めて、怒りからくる震えを止めようと試みたが、無駄だった。
「どんな理由があるにしたって、お前がしたことは最低なことだ」
泣くほど反省している中学生に、そこまで言うべきか。脳裏をよぎった大人の配慮は、噛み殺せなかった怒りに飲み込まれた。が、言い切った後にまた苦い思いが胸中に満ちる。
俺は目を閉じ、奥歯を噛み締めながら、鼻腔から息をすべて吐き出した。
「安心しろ。俺はもう少ししたら関東に帰る」
ポケットに手を突っ込みながら、川田に背を向けた。
「反省してるんなら、償えよ。どんな方法があるんだか俺には分からねぇけど、赦してくれるかもしれない。ーーヒカルなら」
少女の不器用な優しさと傷つき易さを思い出して、わずかに俯いた。
「あいつからは、妹だと思えと言われたけど」
一人ごちるように言う。
「もし、本当に俺がただの他人じゃなければーーきっと、二度とお前がバスケなんかできないようにしてただろうな」
そう、他人の話だ。
俺には関係のないーー関係してはいけない話だ。
その事実は俺を安心させると共に、悔しさをも感じさせる。
「二度とお前には会いたくない。ーー二度と」
俺は言い捨てて、川田の方を見もせずに公園を後にした。
俺が去るまで、川田が動いた気配は感じなかった。