モテ男とデキ女の奥手な恋
第三章 きみのとなり

 夜通し作業したおかげで、土曜一日かける予定だった荷造りは朝方あらかた終わっていた。ひと仕事すると多少は落ち着き、シャワーを浴びてさっぱりしてから、またスマホを手に取る。
 日は既に昇り、9時頃である。橘ならぼちぼち起きる頃ーー疲れているときにはもう少し眠っているが。
 スマホを操作して橘の名前を表示し、コールボタンを押す。無機質な電子音。しばらく待ってみるが、やはり出ない。
 俺は苛立ちと焦りに頭を掻いた。
「ったく、何やってんだよ……」
 ーーようやく帰れるというのに。
 いてもたってもいられず、運送業者に引取を依頼していたにも関わらず、荷物をシェアカーに積み込み始めた。こうなったら早々に送り付けて、今日の便で帰ろう。そう思うと多少は気が楽になるが、橘の無事を確認するまでは、落ち着けそうにもなかった。

【今、福岡空港。これから帰る。お前ん家直行するから、そのつもりでいろよ】
 メッセージを送り付けてから、スマホの電源を落として飛行機に乗り込んだ。大方の荷物は送ってしまったが、必要最低限はスーツケースに入れ込んである。
 ガラガラと荷物を引きながら気もそぞろに橘の家へと向かう。羽田空港についてから電源を入れたスマホにはまだ何の連絡もない。
 時刻はもう14時を回っている。いくら疲れていてもまだ眠っているとは思えない。
 突然、スマホが鳴った。はっとして見ると橘からの着信で、慌てて出る。
『おはよー』
 橘の声はいつもと変わらなかった。
『……じゃないね。こんにちは。も、他人行儀か。めんどくさいな、日本語は』
 くすくすと笑う、その声に脱力して、俺は思わず座り込みそうになった。
「……んだよ、レスポンス遅ぇよ」
 俺の声は、掠れて震えた。橘が驚いているのがわかる。
『ごめん、昨日帰って来た後、どこにスマホ置いたかわかんなくなっちゃってたから。なに、どうかした?……てか、帰って来るの明日じゃなかったの』
 ーー誰のせいだと。
 胸中の文句を口にするより先に、俺は安堵と呆れに深々と息を吐き出した。吐ききった途端、小さく笑いが込み上げて来る。
 ーーよかった。
「早く会いたかったから」
 嘘は言っていない。会って無事を確認したかった。
「今から行ってもいいか?」
 声がいつもと変わらないものに戻ったことに、橘は安心したようだった。
『うん。ーー待ってる』

 呼び鈴を聞いた橘がドアを開けた。
「おかえり」
 照れ臭そうに笑うその髪は、肩上で揃えられている。ゆるくパーマを巻いていた部分はばっさりと切り落とし、さらりとしたストレートヘアが揺れた。
 不意な変化に驚きを感じつつ、部屋の空気に橘の香りを嗅ぎ取って何とも言えない気持ちになった。おう、と短い返事をして玄関に上がり、スーツケースを置いたまま靴を脱いで上がる。
「髪、切ったんだな」
「うん、春になったから、少し軽くしたくて。変?」
「いや、似合ってる」
 褒めると、橘は嬉しそうに微笑んだ。
「何、飲む?」
「なんでも」
 言ってから、首を振った。
「……いや、やっぱりいい」
「え?」
 台所に足を向けていた橘の手首を掴み、引き寄せる。
「ーー神崎?」
 小柄な身体を腕内に閉じ込めると、橘が驚いて呼んだ。
「……よかった」
 小さく呟くと、橘は不思議そうに俺を見上げた、
「何が?」
 会社用ではない、休日用の薄化粧をした顔が俺を見る。そっちの方がいい、と俺が言ったからだろうか。
 俺は答えようとしたが、それを言葉にする前に微笑が浮かんだ。艶やかな髪を撫でて頬に手を添え、ゆっくりと唇を重ねる。
 ただ触れるだけで顔を離すと、橘の頬は上気し、目が潤んでいた。
「本物だ」
「は?」
 思わぬ言葉に思わず眉を寄せる。橘は笑った。
「妄想じゃなくて、本物の神崎だ」
 少女のような笑顔で、俺の腰に抱き着き、胸に顔を埋めて来る。その頭にぽんと手を置く。
「ただいま」
「おかえりっ」
 橘は、いつかしたのと同じように、ぐりぐりと額を俺の胸に押し付けてきた。
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