放課後、秘密の特別教室。〜イケメンな精霊たちは、私をあきらめない〜
第6章:図書室のひそやかな誘惑と、動き出す影
翌日の朝、私はいつもより少し重い足取りで登校した。
下駄箱で上履きに履き替えながら、そっと制服のポケットに手を伸ばす。そこには、昨日と変わらずに冷たい感触の真鍮の鍵が収まっていた。
(夢じゃ……なかったんだよね、やっぱり)
教室に入ると、クラスメイトの女の子たちが楽しそうに昨日の放課後の話をしていた。
「ねえねえ、昨日の夕方、旧館の理科室の窓から変な光が見えなかった?」
「あ、私も見た! なんか一瞬、緑色の光がパァッて。古いから電気のショートか何かかな?」
彼女たちの会話を盗み聞きしながら、私は胸を撫でおろした。どうやら、黒い霧や精霊たちの姿は、普通の生徒には見えていなかったみたいだ。あの光だけが、辛うじて目撃されたのだろう。
授業中も、私の頭の中は四人のことでいっぱいだった。
クールで少し意地悪な理科室の蓮くん。
華やかで王子様みたいな音楽室の響くん。
物静かで何を考えているか分からない図書室の司くん。
そして、大人っぽくてちょっぴり危険な保健室の千歳くん。
(私みたいな地味な女の子がマスターだなんて、絶対に何かの間違いだよ……)
そう思いながらノートに目を落とした瞬間、ふと、視線を感じて窓の外を見た。三階の教室から見える旧館の窓――そのひとつ、図書室の窓辺に、アッシュグレーの髪の男の子が立って、こちらを見つめているような気がした。彼の手には、いつもの古い本が握られている。
遠くなのに、司くんの静かな瞳とまっすぐに視線が合った気がして、私は慌ててノートに顔を伏せた。心臓がトクトクと激しく脈打つ。
「小鳥遊さん、顔が赤いけど大丈夫?」
隣の席の女子生徒に心配そうに声をかけられ、「だ、大丈夫! ちょっと部屋が暑いだけ!」と、裏返った声で答えるのが精一杯だった。
その日の昼休み。
私は担任の先生から、学級文庫の入れ替えのために、旧館の図書室から何冊か本を借りてくるように頼まれた。
普段なら「旧館なんて薄暗くて怖いな」と思うところだけど、今日の私は、緊張とほんの少しの期待で胸が膨らんでいた。
ギィ……と、古い木製の扉を押し開けて、図書室に入る。
新館の図書室とは違い、ここは高い天井まで届く大きな本棚が並び、古い紙と木の香りが心地よく漂う、迷宮のような空間だった。外の賑やかな声が嘘のように遮断され、まるで時間の流れが止まっているかのように錯覚してしまう。
「失礼します……。学級文庫の本を選びに来ました」
誰もいないカウンターに向かって小さく声をかける。すると、奥の「郷土資料コーナー」の背の高い本棚の陰から、静かに彼が姿を現した。
「いらっしゃい、紬ちゃん。待っていたよ」
ネイビーのカーディガンを羽織った司くんが、足音もなく近づいてくる。彼のタレ目が優しく細められ、私を見て嬉しそうに微笑んだ。
「あ、あの、昨日はありがとうございました。助けてもらったのに、ちゃんとお礼も言えなくて……」
「いいんだよ。僕の図書室(部屋)を騒がしいやつらから守るためでもあったし、何より、君が怪我をしなくて本当によかった」
司くんはそう言うと、私が持っていた空の段ボール箱をすっと取り上げ、近くの机に置いてくれた。
「学級文庫の本だね。どんなジャンルがいい? 君が選ぶなら、僕が最高のラインナップを揃えてあげるけど」
「えっと、クラスのみんなが読むから……ミステリーとか、少し読みやすい小説が良いかなって思います」
「なるほど、ミステリーか。じゃあ、こっちの棚においで」
司くんの後を付いて、本棚の奥へと進む。奥に行けば行くほど、窓からの光が届かなくなり、ひんやりとした静寂が私たちを包み込んだ。
司くんは背の高い本棚の上の方を見上げ、慣れた手つきで何冊かの文庫本を抜き出していく。
「これはどうかな? 中学生でも読みやすくて、最後の大どんでん返しが素晴らしい名作だよ」
「わぁ、おもしろそう! 司くんって、本当に本に詳しいんですね」
「まあね。ここに何万冊とある本の内容は、すべて僕の頭の中に入っているから。でも……」
司くんは本を私に手渡す瞬間、わざと指先を私の手に触れさせた。
ビクッと肩を震わせる私を、彼は本棚の壁に追い詰めるようにして、一歩距離を詰めてきた。彼の長い前髪の間から、驚くほど真剣な瞳が私をじっと見つめている。
「本に書かれた過去の偉人たちの言葉より、今は、君が何を考えているかの方がずっと気になるな。君は、僕のこと……どう思っている?」
「え……っ、あ、あの……!」
「蓮や響、千歳は、みんな君にアピールするために大騒ぎするだろう? でも、僕はそんな風に君を困らせたくないんだ。ただ……君が疲れたとき、この静かな特等席を思い出して、僕のところに来てくれれば、それでいい」
司くんの声は、まるで耳元で囁かれる子守唄のように甘く、私の思考を優しく麻痺させていく。彼の長い指が、私の頬の横の本棚に置かれ、完全に逃げ道がなくなってしまった。
(つ、司くんって、一番大人しそうだと思ってたのに……全然違う! すごくドキドキする……!)
「どうしたの? 顔が真っ赤だよ。……もしかして、僕にそんな風に見つめられるのは、嫌だった?」
彼がさらに顔を近づけ、その綺麗な唇が私の額に触れそうになった――その時だった。
「――はいはい、そこまで。図書室のネズミくん、僕のマスターに勝手なストーリーを書き加えないでくれるかな?」
コンコン、と理知的な音が響き、本棚の角から白い袖が伸びてきた。
下駄箱で上履きに履き替えながら、そっと制服のポケットに手を伸ばす。そこには、昨日と変わらずに冷たい感触の真鍮の鍵が収まっていた。
(夢じゃ……なかったんだよね、やっぱり)
教室に入ると、クラスメイトの女の子たちが楽しそうに昨日の放課後の話をしていた。
「ねえねえ、昨日の夕方、旧館の理科室の窓から変な光が見えなかった?」
「あ、私も見た! なんか一瞬、緑色の光がパァッて。古いから電気のショートか何かかな?」
彼女たちの会話を盗み聞きしながら、私は胸を撫でおろした。どうやら、黒い霧や精霊たちの姿は、普通の生徒には見えていなかったみたいだ。あの光だけが、辛うじて目撃されたのだろう。
授業中も、私の頭の中は四人のことでいっぱいだった。
クールで少し意地悪な理科室の蓮くん。
華やかで王子様みたいな音楽室の響くん。
物静かで何を考えているか分からない図書室の司くん。
そして、大人っぽくてちょっぴり危険な保健室の千歳くん。
(私みたいな地味な女の子がマスターだなんて、絶対に何かの間違いだよ……)
そう思いながらノートに目を落とした瞬間、ふと、視線を感じて窓の外を見た。三階の教室から見える旧館の窓――そのひとつ、図書室の窓辺に、アッシュグレーの髪の男の子が立って、こちらを見つめているような気がした。彼の手には、いつもの古い本が握られている。
遠くなのに、司くんの静かな瞳とまっすぐに視線が合った気がして、私は慌ててノートに顔を伏せた。心臓がトクトクと激しく脈打つ。
「小鳥遊さん、顔が赤いけど大丈夫?」
隣の席の女子生徒に心配そうに声をかけられ、「だ、大丈夫! ちょっと部屋が暑いだけ!」と、裏返った声で答えるのが精一杯だった。
その日の昼休み。
私は担任の先生から、学級文庫の入れ替えのために、旧館の図書室から何冊か本を借りてくるように頼まれた。
普段なら「旧館なんて薄暗くて怖いな」と思うところだけど、今日の私は、緊張とほんの少しの期待で胸が膨らんでいた。
ギィ……と、古い木製の扉を押し開けて、図書室に入る。
新館の図書室とは違い、ここは高い天井まで届く大きな本棚が並び、古い紙と木の香りが心地よく漂う、迷宮のような空間だった。外の賑やかな声が嘘のように遮断され、まるで時間の流れが止まっているかのように錯覚してしまう。
「失礼します……。学級文庫の本を選びに来ました」
誰もいないカウンターに向かって小さく声をかける。すると、奥の「郷土資料コーナー」の背の高い本棚の陰から、静かに彼が姿を現した。
「いらっしゃい、紬ちゃん。待っていたよ」
ネイビーのカーディガンを羽織った司くんが、足音もなく近づいてくる。彼のタレ目が優しく細められ、私を見て嬉しそうに微笑んだ。
「あ、あの、昨日はありがとうございました。助けてもらったのに、ちゃんとお礼も言えなくて……」
「いいんだよ。僕の図書室(部屋)を騒がしいやつらから守るためでもあったし、何より、君が怪我をしなくて本当によかった」
司くんはそう言うと、私が持っていた空の段ボール箱をすっと取り上げ、近くの机に置いてくれた。
「学級文庫の本だね。どんなジャンルがいい? 君が選ぶなら、僕が最高のラインナップを揃えてあげるけど」
「えっと、クラスのみんなが読むから……ミステリーとか、少し読みやすい小説が良いかなって思います」
「なるほど、ミステリーか。じゃあ、こっちの棚においで」
司くんの後を付いて、本棚の奥へと進む。奥に行けば行くほど、窓からの光が届かなくなり、ひんやりとした静寂が私たちを包み込んだ。
司くんは背の高い本棚の上の方を見上げ、慣れた手つきで何冊かの文庫本を抜き出していく。
「これはどうかな? 中学生でも読みやすくて、最後の大どんでん返しが素晴らしい名作だよ」
「わぁ、おもしろそう! 司くんって、本当に本に詳しいんですね」
「まあね。ここに何万冊とある本の内容は、すべて僕の頭の中に入っているから。でも……」
司くんは本を私に手渡す瞬間、わざと指先を私の手に触れさせた。
ビクッと肩を震わせる私を、彼は本棚の壁に追い詰めるようにして、一歩距離を詰めてきた。彼の長い前髪の間から、驚くほど真剣な瞳が私をじっと見つめている。
「本に書かれた過去の偉人たちの言葉より、今は、君が何を考えているかの方がずっと気になるな。君は、僕のこと……どう思っている?」
「え……っ、あ、あの……!」
「蓮や響、千歳は、みんな君にアピールするために大騒ぎするだろう? でも、僕はそんな風に君を困らせたくないんだ。ただ……君が疲れたとき、この静かな特等席を思い出して、僕のところに来てくれれば、それでいい」
司くんの声は、まるで耳元で囁かれる子守唄のように甘く、私の思考を優しく麻痺させていく。彼の長い指が、私の頬の横の本棚に置かれ、完全に逃げ道がなくなってしまった。
(つ、司くんって、一番大人しそうだと思ってたのに……全然違う! すごくドキドキする……!)
「どうしたの? 顔が真っ赤だよ。……もしかして、僕にそんな風に見つめられるのは、嫌だった?」
彼がさらに顔を近づけ、その綺麗な唇が私の額に触れそうになった――その時だった。
「――はいはい、そこまで。図書室のネズミくん、僕のマスターに勝手なストーリーを書き加えないでくれるかな?」
コンコン、と理知的な音が響き、本棚の角から白い袖が伸びてきた。