ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
数か月前、結婚するつもりで同棲していた恋人から捨てられた。
初恋の女と再会し、両想いだったことを知って気持ちを抑えられなくなったと、泣きながら別れてほしいと言ってきた。
「なに言ってるの? もう堕ろせないのよ」
裏切られた怒りとひとりになる恐怖とで、頭がおかしくなりそうだった。
「だから俺、彼女のこと忘れなきゃって、必死に自分に言い聞かせて……」
「言い聞かせたんでしょうっ! ならそれでいいじゃないっ!」
「本当にごめん、けどっ、俺の人生だからっ、本当に好きな女と結婚したい」
「は、……はあ?」
呆れ果て、顔を歪めて笑っていた。……なにそれ。『今』言うこと?
それからの日々は話し合いとは名ばかりの、不毛な傷つけ合いだった。
恋人を引き留めるための手はすべて使った。泣き落とし、罵倒、責任論、自殺予告――それでも恋人は去っていった。
しばらくは恋人が借りていたアパートで戻らない彼の帰りを待った。だがとうとう家賃が振り込まれなくなった。不動産会社からの退去勧告もあり、舞は実家へと戻った。
母はすでに他界し、父は認知症で施設に入っている。沖縄に嫁いだ姉には物理的に頼れなかった。
舞はひとりで出産の準備を始めた。
休む間もなく体を動かしながらも、意識にはどこか靄がかかったようだった。
そうして気が付いたら子供を産んでしまっていた。
――「山都さん、体は大丈夫?」
窓の外を舞うなごり雪を見ていると、看護師の橋本佳苗が病床にやってきた。
「佳苗ちゃん、昨日はお世話になりました」
このクリニックに同級生が働いていることは知っていた。実家へ戻ると決めてから、すぐに連絡を取った。建物は古くても評判が良く、常に満床と噂があったからだ。恥を忍んで事情を説明し、口添えを頼んだ。
「あ、そうそう、今日からひとり増えるよ」
佳苗が隣のベッドを指した。
とりあえず笑顔を見せた。
誰にも知らせずに子供を産んだ自分には面会にくる友人も家族も、夫もいない。
これまでは興味本位に家族構成を聞いてくる母親たちを避け、眠ったふりをしてやり過ごしてきた。
本音では、これ以上幸せな家族を見たくなかったが、もちろん不可能なことだった。
同室になる母親が入院してきたのは、午後のことだった。