春雷ブロッサム
「降りる駅、どこですか?」
俺のその質問に冬柴さんは「美園です」と答えた。
俺が降りる予定の駅はその次だが、美園駅に着いた時に痴漢野郎も同じ駅で降りようとした為、俺も冬柴さんと一緒に美園駅で降りた。
すると、冬柴さんは戸惑った様子で「あ、あのぉ!」と俺に呼び掛けた。
「あなたもこの駅だったんですか?」
そう訊かれた後で俺は冬柴さんの腕を掴んでしまっていた事に気付き、ふと腕を離した。
そして、「いえ、違います」と答えた。
「えっ!なのに、どうして?!」
(どうしてって···)
危ないからに決まってるのに、なぜそんな事を訊くのだろうと思いつつ、冬柴さんに痴漢野郎が同じ駅で降りた事に気付いているかを訊いてみると、彼女はそれに気付いていなかった。
しかも、「わたしみたいなおばさんが被害に遭うなんて、滅多にある事じゃないですから。あの人もきっと気まぐれであんな事しちゃっただけですよ」と言うのだ。
(おばさん?冬柴さんが?)
俺は、冬柴さんの事をおばさんだと思った事はない。
年齢は確か30代半ばだったはずだが、派手過ぎないナチュラルなメイクで綺麗だし、お洒落で柔らかく優しい雰囲気を醸し出していて、同じ年代の女性社員たちなんかよりも俺には魅力的に見えていた。
「冬柴さんは、おばさんなんかじゃないですよ」
俺がそう言うと、冬柴さんはハッと驚いたように大きな瞳を丸くした。
それから、「あ、もしかして···、凪原くん?」と言ったのだ。
何と、冬柴さんは俺に気付いていなかった。
同じ会社の人間だと気付かずに俺と一緒に居たなんて、何て危機感がないのだろう。
それも含め何とか話をつけ、家まで送ることになり、冬柴さんが指差した方向へと歩き出す。
すっかり暗くなり、月明かりで照らされているとはいえ、一本奥の道を入れば街灯が少ない道は人気が無くて危険だ。