想定外につき、対処不要
 現場に着いてみると、豆田は監督から熱心な指導を受けていた。一方の彼女はセットの中を静かに歩いて、建付けの様子を窺ったり、小物を手にしながら、見回っていた。相変わらず自由奔放だが、空気を読んでいるのが分かった。

 スタッフ達も暫しの休息で飲み物コーナーに寄り、それぞれが肩の力を抜いて、視線を彷徨わせていた。すると、立花がスタッフの顔色を窺うように、紙コップを手にして、飲み物を注いで渡し始めた。

 男性には珈琲に砂糖とミルク、女性には紙コップを差し出して、軽く声を掛けていた。
 そこに豆田が疲れた顔をして来ると、立花は「お疲れ様です。珈琲にしますか?それとも別の物を用意しましょうか」と尋ねた。
 すると、豆田は視線を少し俺のほうに向け、直ぐに戻すと、「僕は自分でするから、大丈夫。ありがとう」と言って、紙コップを手に水を注いだ。

 だいぶ絞られた様子に声を掛ける事はせず、視線を上げると、彼女がこちらに向かってきた。その足が一歩先で静かに止まった。

「お疲れ様です。寒くないですか?」俺は直ぐに尋ねた。そこで彼女は軽く首を振り、傍に居た立花のほうに視線を向けてから、俺のほうに目を移した。

「大丈夫。ありがと」そう言って、彼女は飲み物コーナーに近づき、その場を眺め始めた。

 立花はすかさず、「済みません、最後の一個だったみたいで……」と彼女に言って、手にした紙コップに珈琲を注ぎ、こちらに顔を向けると、口を開いた。

「木崎さんも、どうぞ」

 俺はそれを目にしてから、彼女の様子に気を配り、近くに来た男性スタッフに向けるよう、立花に声を掛けた。

「私より、そちらのスタッフにお願い致します」

「分かりました、済みません」立花の声が少し強めになったところで、男性スタッフが被せ気味に俺に声を掛けてきた。

「木崎さん、久しぶりですね。いつ戻ったんですか?」

 親しげな口調に顔を向けたが、名前を取り出せず、何度か見掛けていた事だけを思い出した。

「お久しぶりです。最近戻ったので、また宜しくお願いします」俺がそう応えると、男性は軽く笑顔を浮かべ、「今度、スーツの相談に乗って下さい。じゃあ」と言って、去って行った。そこで漸くアルバイトだった時代の男性の事を思い出した。

 そして視線を飲み物コーナーに移すと、立花は豆田に話し掛けていた。彼女は紙コップを隅のほうで見つけたようで、飲み物を注いでいた。それを両手に持ってから、俺のほうを見て、目を丸くさせていた。

「どうしましたか?」そう尋ねると、彼女は「いる?」と返してきたので、俺は静かに首を振って応えた。

 すると、彼女は微笑んで、「じゃあ、監督に渡してくる」と言い、菓子の中からチョコを二つほど器用に指先で掴んだ。そして、再び俺のほうに顔を向けると、口角を上げ、「長くなりそうだから、休憩してきたほうがいいよ」と言って、去って行った。

 やはり、彼女は可愛い。いや、そうじゃない。彼女の気遣いは有難い事だが、まだ俺は気を抜くべきではない。そう考えて、飲み物コーナーの脇で姿勢を正した。
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