完璧なエリートたちは私を逃がさない〜フェニックスの戦略と誤算、極秘の溺愛オフィスラブ〜
第1話 太陽と月、そして一輪の蕾
日本最高峰の名門国立東央大学のキャンパスで、その二人の名は知らない者がいないほどに響き渡っていた。
一人は、川崎 達(かわさき たつ)。
幼少期を海外で過ごした帰国子女である彼は、どこか日本離れした合理的でスマートな振る舞いが持ち味だった。ネイティブさながらの英語を操り、教授に対しても物怖じせず論理的な議論をふっかける。それでいて、レディファーストが身に付いた柔らかな物腰は、女子学生たちの間で絶大な人気を誇っていた。
もう一人は、谷川 敦(たにがわ あつし)。
彼は、日本屈指の超進学校であり、フォックスフォード大学やリチャード大学といった世界トップクラスの学府へ毎年合格者を出す『鳳光学院(ほうこうがくいん)』の出身だった。それもただの秀才ではない。野球部のエースとして甲子園の土を踏んだ、文字通りのスター。文武両道という言葉は彼のためにあるのではないかと言われるほど、その知性と強靭な肉体、スレンダーなルックスは完璧に調和していた。
「おい達、さっきのレポート、お前の視点は甘いな。もっと多角的に分析しなきゃフォックスフォードの論文には太刀打ちできないぜ」
「ふん、相変わらず手厳しいな、敦。なら、お前の言う『多角的』なデータを今度のゼミで見せてもらおうか。負けた方が今日のディナーを奢りだ」
二人が並んで歩けば、そこだけ空気が華やぎ、火花が散る。
互いを認め合っているからこその、容赦のない競い合い。彼らは常に「世界」を見据え、互いを砥石にして自分を磨き続けていた。
そんな二人を一学年下から見つめていたのが、一ノ瀬 夏葉(いちのせ なつは)だった。
彼女にとって、達と敦はただの「かっこいい先輩」ではなかった。自分の限界を決めず、常に高みを目指して切磋琢磨する二人の姿は、夏葉の胸に熱い火を灯した。
(いつか、私もあの二人の隣に立ちたい。守られる後輩じゃなくて、同じ土俵で戦える対等な人間になりたい)
夏葉は、二人の背中を追いかけるように図書館に籠もった。
達が推薦する洋書を必死に読み込み、敦がこなすような緻密なスケジュールの組み方を真似てみる。二人の会話に一言でも、知的な返答ができるようになりたくて。
「夏葉、またそんなに本を抱えて。あんまり無理して、倒れるなよ?」
達がふと見せる、兄のような優しい気遣い。
「頑張るのもいいけど、効率が悪いぞ。こっちのノート、貸してやるから参考にしろ」
敦がぶっきらぼうに差し出す、整理され尽くした美しい自習ノート。
そんな些細なやり取りに胸を高鳴らせながら、夏葉は「ハイスペック」と呼ばれる彼らの領域に少しでも近づこうと、ひたむきに自分を律していた。
しかし、その「憧れ」が、いつしか「恋」という形を変えた切なさに変わっていくことを、当時の彼女はまだ認められずにいた。二人の太陽に照らされながら、夏葉という蕾は、静かに、けれど確実に開花しようとしていた。
大学三年の夏。ゼミ合宿の舞台となった山中湖の夜は、都会の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
夜の帳が下りる頃、湖畔の一角で大きなキャンプファイヤーが焚かれた。オレンジ色の炎がパチパチとはぜる音と、時折吹き抜ける涼やかな夜風。
「……さて、そろそろこの火に免じて、普段は言えない『内緒話』でもしようか」
誰かが冗談めかして言った一言がきっかけで、その場は自然と「告白タイム」へと変わっていった。
輪の中心に近い特等席には、いつものように達と敦、そして二人の間に挟まれるようにして夏葉が座っていた。
「次は、夏葉の番だな」
達が、火の光に照らされて少し赤くなった夏葉の顔を覗き込み、優しく促した。
「夏葉、お前も色々溜め込んでるだろ。鳳光の野球部時代、俺もマウンドで孤独だった時は誰かに話したくなった。今なら聞いてやるよ」
敦もまた、穏やかな声で言った。唯一「守ってやりたい」と思う後輩に向ける特別な柔らかさだった。
夏葉は膝を抱え、パチパチと燃える炎をじっと見つめていた。
「私……」
震える声で、彼女は口を開いた。
「ずっと、憧れている人がいます。あんな風になりたい、いつか隣に立ちたいって……。その人の背中を追いかけるのが精一杯で、まだ、自分の気持ちを伝えるなんて、到底できなくて」
夏葉の脳裏に浮かんでいたのは、紛れもなく、今隣に座っている二人の背中だった。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、達と敦の心臓は、同時に大きく跳ね上がった。
(……憧れている人?)
(まさか、俺のことか……?)
二人はこれまで夏葉を「可愛い、手のかかる後輩」として慈しんできた。しかし、自分たちに追いつこうと必死に背中を追う彼女の成長を間近で見ているうちに、その感情はとっくに「兄貴分」としての境界線を越えていた。
「……まだ、言えないんです。今の私じゃ、全然足りないから」
夏葉がぽつりとこぼしたその言葉は、夜の静寂の中に溶けていった。
達と敦は、互いの顔を見ることができなかった。もし、彼女の想い人が自分だとしたら。あるいは、隣にいる「あいつ」だとしたら――。
キャンプファイヤーの爆ぜる音だけが、答えの出ない三人の想いを乗せて、高く、星空へと昇っていった。