芳香剤転生~公爵令嬢リリシア・ノルレットの使命~
地球の民の皆様に、ご挨拶申し上げますわ。
わたくしは、公爵令嬢リリシア・ノルレット。
……ある方を徹底的に虐めたことで、元居た世界では悪役令嬢と呼ばれましたわ。
そして贖罪のためにわたくしは、地球にやってきましたの。
そう、「消臭・芳香剤」としてですわ。
ここはある町のスーパーマーケット。
いまわたくしは「新商品」のエンブレムを付け、「消臭・芳香剤」の1つとして並んでいるわけですの。
わたくしを手にした主の空間は徹底的に消臭して、かつエレガントな香りで満たすという偉業を果たすことを約束しますわ!
さあ記念すべきデビュー初日、どなたがわたくしを買っていくのかしら?
出来れば見目麗しい殿方が良いですけれど、この際、贅沢は言いませんわ。
早くわたくしをここから連れ出して!
-*-
数日後に、わたくしのシリーズのみ「現品限り」のエンブレムが付けられましたの。
……酷い話ですわ。
485円から321円に値が下がってしまいましたの。
だとしても、わたくしはめげませんわ。
たとえ値が下がっても、わたくしの根は決して枯れることがありませんのよ。
だって、わたくしは元公爵令嬢ですもの!
-*-
地球の民草はどうしてこんなにケ……いいえ、お買い物に慎重なのかしら。
かつてのわたくしなら「左から右まですべて頂きますわ」と扇子を鳴らして告げれば済んだことですのに。
まあ過去のことなんてどうでもいいですわね。
今一人、凛々しい若者がわたくしを手に取りましたわ。
ほほほほ、わたくしの魅力は分かる者には分かるようですわね。
「ん~、やっぱやめた」
わたくしはすぐに棚に戻されてしまいましたわ。
なんと……いうことでしょう……。
今日もわたくしが、わたくしの分身が、棚から1つも売れていないなんて!
いいえ、そもそも付いているエンブレムが地味すぎるのがいけないのですわ。
もっとわたくしの魅力をアピールできるような、華麗なデザインが必要ですわ。
そこの者、わたくしのエンブレムを今すぐ書き換えるのよ!
-*-
もし。そこのあなた、ちょっと聞いてくださる?
わたくし……今日も売れませんでしたの。
321円がいけませんの? それともエレガントフローラルの香りがダメですの?
地球の民草の思考回路は謎に包まれていますわ……。
-*-
店員と申す者が、わたくしを見てため息をつきながら「半額ご奉仕」のエンブレムを貼りましたの。
わたくしと分身たちは、今や161円になりましたわ。
だとしても。いいこと、わたくしたち。
これは好機ですのよ!
わたくしたちは選ばれし高性能な消臭・芳香剤ですの。
此度の策は、そんなわたくしを一度に2個入手できるという、かつてない良策でしてよ。
これはわたくしを知っていただく画期的な戦略ですわ!
心して時を待つのです。さすればきっと出番が回って来ましてよ!
わたくしの宣言に、分身たちもかつての誇りを取り戻しましたわ。
ほほほほ、わたくしはラスボス級ですの。こんなところで腐るなんてありえませんわ!
「おやまあ……。これはお買い得だねえ」
スーパーマーケットが開店してから、まだ3分しか経っていませんのよ?
1人の老女がわたくしを手に取り、オレンジ色のカゴにわたくしと分身の1つを入れましたの。
さすが年の功……いえ、素晴らしい慧眼をお持ちですのね。
わたくしの主として申し分なくってよ。
――さあわたくしの分身たち、今こそ現世での別れ。
ノルレット公爵家の第一公女として生まれた誇りを、最後まで忘れてはなりません。
来るべき我が主のために、全力で消臭・芳香なさい!
わたくしの言葉に分身たちは大きく頷き、わたくしたちは初めて「レジ」という関所を潜り抜けましたわ。
初めて見た地球の、青い空――。
元居た世界で最後に見たあの空が少しだけ懐かしくなりましてよ。
-*-
老女の自宅に着いたわたくし。
さあ、部屋中をエレガントフローラルの香りで満たさなくては!
「玄関と、居間でいいかねえ……」
我が主はわたくしを玄関、わたくしの分身を居間に置きましたわ。
ふふふ、わたくしと分身は繋がっておりますのよ。
この距離ならお互いの残量を確認し合って、より快適な消臭・芳香加減を調節できますの。
これこそが消臭・芳香令嬢、リリシア・ノルレットの実力なのですわ。
さあ、最初の悪臭を掃ってさしあげましてよ。
-*-
「この消臭・芳香剤、良い香りだねえ。……買ってよかったよ」
その日の朝、主は玄関の掃除に参りましたの。
主からわたくし、早速お褒めの言葉を頂きましたわ。
ほほほほ、わたくしの手に掛かれば、この程度の狭い空間など、あっという間ですわ。
でも――。
玄関だけでなく居間も絶賛消臭・芳香中ですけれど……!
わたくしたちが掃っても掃っても、この悪臭はしつこく迫ってきますの。
特に居間。
居間の奥の部屋からその……。
なんと申し上げれば良いのかしら……この際ですから正直に申しますわ。
濃厚な悪臭が流れ込んでくる気が……いえ、気がする、と……それだけのことなのですけれども。
主は気が付いておられるのかしら?
でもわたくしは物申せぬ消臭・芳香剤。
主のためを思えば、ここはわたくしの真価を発揮する転機。
計画的に悪臭を消して、この有能さをアピールしなければ!
-*-
わたくしがここへ来てどれくらい経ったかしら?
今もわたくしは玄関に居ますわ。
数日前、居間に置かれた分身の気配が途絶えましたの。
それからわたくしも余裕が少し無くなりましたわ。
相変わらず……いえ、以前よりも悪臭がひどくなりましてよ。
それなのに玄関に主が現れませんわ。
寝ているのかしら?
そろそろわたくしを交換して欲しいのですけれど、どこかへ行ったのかしら?
-*-
嗚呼、主は今日も玄関に現れませんでしたわ。
どうなさったのかしら?
もしや主の身に何かあったのではなくて?
だとすれば一大事ですわ!
何とかして主を救い出す方法を……。
けれどわたくしに出来ることは、悪臭を消すか芳香を放つこと。
玄関に窓はあってもわたくしに開けることは叶わない……。
それにわたくし……もう残量が……。
どのみち立ち込める悪臭に削られていくだけの我が身。
ならば、一縷の望みをかけて最大まで芳香を高めてみましょうか?
そうと決まれば、実行あるのみですのよ!
わたくしのすべての残量を賭けて、華麗に助けを呼んでみせますわ!
-*-
く……わたくしの力をもってしても、この濃厚な悪臭の前には屈せざるを得ないとは。
あの時、わたくしを斬首したあの方の言葉を思い出しますわ。
『愛を知らぬ者が愛を語るな』
思えばわたくしは奪うばかりでしたわ。
最期にも願ったのは己の保身ばかり――。
守りたいと思っていてもそれが叶わない、ということがどれほど辛いことか。
愛しい貴方もこんな想いを抱いて、あの令嬢を失ったのですね。
お父様、お母様。
わたくしは贖罪の使命を全うすることができましたわ。
またどこかで会えたら、今度こそ褒めてくださいませ……。
そして次に転生するときは、また……人になりたい……。
誰かを傷つけるのではなく……守るような令嬢になりたいですわ。
-*-
その日、近隣の住人の通報で古い木造アパートの一室から遺体が運び出された。
遺体は2体あった。一体は腐敗が進んだ亡骸だった。
その亡骸に重なるようにして倒れていた老女の遺体。
表情は苦渋に満ちたものではなく、穏やかな笑みをたたえたものだった。
「あの奥さん、旦那さんを介護していたわよね?」
「そうそう、夫婦仲が良かったものね」
「でも妙なのよ。警察が玄関を開けたら、芳香剤の匂いがやたらきつかったみたいよ」
「それが原因で通報されたのかしらね?」
「さあ……。もしかしたら他殺ってこともあるのかしら? ……怖いわねえ」
近所の奥さん方がヒソヒソと話している中、ある学生が通りかかった。
彼は開かれた玄関に視線を向けた。
ちらりと見えたのは、玄関に転がった空の消臭・芳香剤の容器。
そこからエレガントフローラルの芳香が漂った気がしたのだ。
この残り香が空へ舞う時、使命を果たした令嬢は微笑んだ。
消臭・芳香剤として存在した記憶が、令嬢に最後の癒しをもたらしたのである。
完
わたくしは、公爵令嬢リリシア・ノルレット。
……ある方を徹底的に虐めたことで、元居た世界では悪役令嬢と呼ばれましたわ。
そして贖罪のためにわたくしは、地球にやってきましたの。
そう、「消臭・芳香剤」としてですわ。
ここはある町のスーパーマーケット。
いまわたくしは「新商品」のエンブレムを付け、「消臭・芳香剤」の1つとして並んでいるわけですの。
わたくしを手にした主の空間は徹底的に消臭して、かつエレガントな香りで満たすという偉業を果たすことを約束しますわ!
さあ記念すべきデビュー初日、どなたがわたくしを買っていくのかしら?
出来れば見目麗しい殿方が良いですけれど、この際、贅沢は言いませんわ。
早くわたくしをここから連れ出して!
-*-
数日後に、わたくしのシリーズのみ「現品限り」のエンブレムが付けられましたの。
……酷い話ですわ。
485円から321円に値が下がってしまいましたの。
だとしても、わたくしはめげませんわ。
たとえ値が下がっても、わたくしの根は決して枯れることがありませんのよ。
だって、わたくしは元公爵令嬢ですもの!
-*-
地球の民草はどうしてこんなにケ……いいえ、お買い物に慎重なのかしら。
かつてのわたくしなら「左から右まですべて頂きますわ」と扇子を鳴らして告げれば済んだことですのに。
まあ過去のことなんてどうでもいいですわね。
今一人、凛々しい若者がわたくしを手に取りましたわ。
ほほほほ、わたくしの魅力は分かる者には分かるようですわね。
「ん~、やっぱやめた」
わたくしはすぐに棚に戻されてしまいましたわ。
なんと……いうことでしょう……。
今日もわたくしが、わたくしの分身が、棚から1つも売れていないなんて!
いいえ、そもそも付いているエンブレムが地味すぎるのがいけないのですわ。
もっとわたくしの魅力をアピールできるような、華麗なデザインが必要ですわ。
そこの者、わたくしのエンブレムを今すぐ書き換えるのよ!
-*-
もし。そこのあなた、ちょっと聞いてくださる?
わたくし……今日も売れませんでしたの。
321円がいけませんの? それともエレガントフローラルの香りがダメですの?
地球の民草の思考回路は謎に包まれていますわ……。
-*-
店員と申す者が、わたくしを見てため息をつきながら「半額ご奉仕」のエンブレムを貼りましたの。
わたくしと分身たちは、今や161円になりましたわ。
だとしても。いいこと、わたくしたち。
これは好機ですのよ!
わたくしたちは選ばれし高性能な消臭・芳香剤ですの。
此度の策は、そんなわたくしを一度に2個入手できるという、かつてない良策でしてよ。
これはわたくしを知っていただく画期的な戦略ですわ!
心して時を待つのです。さすればきっと出番が回って来ましてよ!
わたくしの宣言に、分身たちもかつての誇りを取り戻しましたわ。
ほほほほ、わたくしはラスボス級ですの。こんなところで腐るなんてありえませんわ!
「おやまあ……。これはお買い得だねえ」
スーパーマーケットが開店してから、まだ3分しか経っていませんのよ?
1人の老女がわたくしを手に取り、オレンジ色のカゴにわたくしと分身の1つを入れましたの。
さすが年の功……いえ、素晴らしい慧眼をお持ちですのね。
わたくしの主として申し分なくってよ。
――さあわたくしの分身たち、今こそ現世での別れ。
ノルレット公爵家の第一公女として生まれた誇りを、最後まで忘れてはなりません。
来るべき我が主のために、全力で消臭・芳香なさい!
わたくしの言葉に分身たちは大きく頷き、わたくしたちは初めて「レジ」という関所を潜り抜けましたわ。
初めて見た地球の、青い空――。
元居た世界で最後に見たあの空が少しだけ懐かしくなりましてよ。
-*-
老女の自宅に着いたわたくし。
さあ、部屋中をエレガントフローラルの香りで満たさなくては!
「玄関と、居間でいいかねえ……」
我が主はわたくしを玄関、わたくしの分身を居間に置きましたわ。
ふふふ、わたくしと分身は繋がっておりますのよ。
この距離ならお互いの残量を確認し合って、より快適な消臭・芳香加減を調節できますの。
これこそが消臭・芳香令嬢、リリシア・ノルレットの実力なのですわ。
さあ、最初の悪臭を掃ってさしあげましてよ。
-*-
「この消臭・芳香剤、良い香りだねえ。……買ってよかったよ」
その日の朝、主は玄関の掃除に参りましたの。
主からわたくし、早速お褒めの言葉を頂きましたわ。
ほほほほ、わたくしの手に掛かれば、この程度の狭い空間など、あっという間ですわ。
でも――。
玄関だけでなく居間も絶賛消臭・芳香中ですけれど……!
わたくしたちが掃っても掃っても、この悪臭はしつこく迫ってきますの。
特に居間。
居間の奥の部屋からその……。
なんと申し上げれば良いのかしら……この際ですから正直に申しますわ。
濃厚な悪臭が流れ込んでくる気が……いえ、気がする、と……それだけのことなのですけれども。
主は気が付いておられるのかしら?
でもわたくしは物申せぬ消臭・芳香剤。
主のためを思えば、ここはわたくしの真価を発揮する転機。
計画的に悪臭を消して、この有能さをアピールしなければ!
-*-
わたくしがここへ来てどれくらい経ったかしら?
今もわたくしは玄関に居ますわ。
数日前、居間に置かれた分身の気配が途絶えましたの。
それからわたくしも余裕が少し無くなりましたわ。
相変わらず……いえ、以前よりも悪臭がひどくなりましてよ。
それなのに玄関に主が現れませんわ。
寝ているのかしら?
そろそろわたくしを交換して欲しいのですけれど、どこかへ行ったのかしら?
-*-
嗚呼、主は今日も玄関に現れませんでしたわ。
どうなさったのかしら?
もしや主の身に何かあったのではなくて?
だとすれば一大事ですわ!
何とかして主を救い出す方法を……。
けれどわたくしに出来ることは、悪臭を消すか芳香を放つこと。
玄関に窓はあってもわたくしに開けることは叶わない……。
それにわたくし……もう残量が……。
どのみち立ち込める悪臭に削られていくだけの我が身。
ならば、一縷の望みをかけて最大まで芳香を高めてみましょうか?
そうと決まれば、実行あるのみですのよ!
わたくしのすべての残量を賭けて、華麗に助けを呼んでみせますわ!
-*-
く……わたくしの力をもってしても、この濃厚な悪臭の前には屈せざるを得ないとは。
あの時、わたくしを斬首したあの方の言葉を思い出しますわ。
『愛を知らぬ者が愛を語るな』
思えばわたくしは奪うばかりでしたわ。
最期にも願ったのは己の保身ばかり――。
守りたいと思っていてもそれが叶わない、ということがどれほど辛いことか。
愛しい貴方もこんな想いを抱いて、あの令嬢を失ったのですね。
お父様、お母様。
わたくしは贖罪の使命を全うすることができましたわ。
またどこかで会えたら、今度こそ褒めてくださいませ……。
そして次に転生するときは、また……人になりたい……。
誰かを傷つけるのではなく……守るような令嬢になりたいですわ。
-*-
その日、近隣の住人の通報で古い木造アパートの一室から遺体が運び出された。
遺体は2体あった。一体は腐敗が進んだ亡骸だった。
その亡骸に重なるようにして倒れていた老女の遺体。
表情は苦渋に満ちたものではなく、穏やかな笑みをたたえたものだった。
「あの奥さん、旦那さんを介護していたわよね?」
「そうそう、夫婦仲が良かったものね」
「でも妙なのよ。警察が玄関を開けたら、芳香剤の匂いがやたらきつかったみたいよ」
「それが原因で通報されたのかしらね?」
「さあ……。もしかしたら他殺ってこともあるのかしら? ……怖いわねえ」
近所の奥さん方がヒソヒソと話している中、ある学生が通りかかった。
彼は開かれた玄関に視線を向けた。
ちらりと見えたのは、玄関に転がった空の消臭・芳香剤の容器。
そこからエレガントフローラルの芳香が漂った気がしたのだ。
この残り香が空へ舞う時、使命を果たした令嬢は微笑んだ。
消臭・芳香剤として存在した記憶が、令嬢に最後の癒しをもたらしたのである。
完


