バツイチ×未経験の私は、初恋の豪腕弁護士から極甘に溺愛される
M市役所の廊下では、ひそひそとした話し声が漏れていた。
「ねえ、成瀬さんやばくない?」
「わかる。なんか臭いよね。話題の風呂キャン界隈かな」
「洗濯くらいしてほしいよね」
少し前までは普通だった。
成瀬貴大は自慢の海外ブランドのスーツに身を包み、パリッとした清潔な装いを見せていた。しかし、今はもうその面影はない。
着ているワイシャツの襟元は黒ずみ、全体に皺が波打っている。
アイロンが掛けられていないどころか、まともに洗濯さえされていないのが一目瞭然だ。
自分が周囲からどのような白い目で見られ、陰口を叩かれているか、貴大自身も薄々感づいているのだろう。
彼の顔は不機嫌そのもので、後輩たちは息を潜めている。
「だから、何度言ったらわかるんだよ、この書類の形式はこっちなの。やり直し!」
「す、すみません」
貴大の激しい怒鳴り声に、若い職員が縮こまる。
「ちっ……使えねーやつ」
踵を返し、去り際にぽそりと吐き捨てた言葉は、明らかなパワハラだ。
耳にした周囲の同僚たちは、一様に気まずそうな顔をして、関わらないようにと視線をそらす。
自販機へと向かった貴大は、乱暴にボタンを押した。
出てきた缶コーヒーをひったくる。
「ああ、イライラする」
甘い液体を喉に流し込んでいたが、廊下の奥から歩いてくる男性に気づくと、途端に愛想の良い笑みを張り付かせる。
「課長、お疲れ様です」
「おお成瀬くん。その後どうだね、お母様の様子は?」
課長は立ち止まり、労るような目を向けた。
貴大は視線を足元を落とし、今にも泣き出しそうな声音を絞り出す。
「お陰様で……と言いたいところですが、あまり良くありません。元嫁の影に怯えて、日常生活もままならないんです。僕が一人で全て請け負っている状態で」
「そうか。しかしとんでもない嫁に引っかかったなぁ、君も。義母を精神的に虐待するなんて。離婚して正解だ」
「ええ、もっと早くに気づけたら良かったのですが……あいつのせいで母は精神的に追い込まれ、それであんな事故に……」
貴大は目元を指先で拭い、肩を小刻みに震わせた。その痛ましい姿に、課長は同情を隠しきれない様子で、彼の肩にそっと手を置く。
「何か、私に手助けができることがあれば言ってくれ」
貴大は深く首を垂れ、課長の視線から自分の顔を隠した。
彼の口元が、歪な形に釣り上がっていく。
「ありがとうございます、課長」
床を見つめる貴大の瞳には、湿った涙など一滴も存在しない。暗い歓喜に満ちた笑みが、その顔にじわりと広がっていく。