バツイチ×未経験の私は、初恋の豪腕弁護士から極甘に溺愛される

 ロックがかかる。足早に運転席へ乗り込んできた貴大が即座にアクセルを踏み込んだ。

「買い物ありがとうな。母さんも喜ぶよ」

 前方を睨みつけたまま、貴大は何事もないかのように言った。車内の密閉された空間に、彼の独特な体臭と、洗われていない服の匂いが充満していく。

「階段から落ちて骨折しちゃてから、家事が全然できなくて困ってたんだ。詩織が帰ってくるのを、母さんも待ってるんだよ」
「停めて! おろして……!」

 詩織は、必死の思いで声を張り上げた。
 信号が赤に変わり、車が減速する。
 今なら逃げられる、そう思ってドアノブに手をかけた瞬間、カチリと機械的な音が響き、すべての扉に再びロックがかけられた。

 なおもドアを開こうと試みる。だが……。

ーーガンっ!
 
「ひっ!」

 詩織は短く悲鳴を上げて首をすくめた。顔のすぐ真横、数センチのところを、貴大の硬い拳が掠めている。
 助手席の窓ガラスに、貴大が荒い息を吐きながら手のひらをべったりと押しつけている。

 すぐ間近に迫った彼の顔は、血走った両目を不気味にギラつかせていた。耳元で、地を這うような低い声が響く。

「うるせえな。殴られたいか」

 車内の空気が一瞬で凍りつく。詩織は言葉を失い、ガタガタと身を震わせることしかできなくなった。

 信号が青に変わる。
 貴大はまるで何事もなかったかのように正面を向き、再び車を発進させた。




 車が滑り込んだのは、見覚えのある古い住宅街の一角。貴大の実家だ。

「降りろ」

 短く命じられる。

 嫌だ。ここに入ってはいけない。

 心の中では全力で拒絶しているのに、過去に植え付けられた恐怖のせいで、身体が勝手に彼の命令に従ってしまう。
 情けなさと恐ろしさで涙が溢れそうになりながら、詩織は引きずられるようにドアをくぐる。


 一歩足を踏み入れた家の中は、荒れていた。
 まだ夕方だというのに薄暗く、カーテンは閉め切られている。床には足の踏み場もないほどに物が散乱し、饐えたような異臭が鼻を突く。
 廊下の奥から、ゴムのこすれる音と共に、車いすに乗った義母が姿を現した。

「たかちゃん、おかえりなさい」
「ただいま。詩織が来たからもう大丈夫だよ母さん」

 貴大はそれまでの険しい表情を一変させる。
 母親に向かってとろけそうなほどに優しい笑顔を向けた。そして、すぐに冷たい視線を詩織へと転じ、低く言い放つ。

「詩織のせいで傷ついた母さんは精神を病んで階段から落ちたんだ。わかるか、お前のせいで足が動かないんだよ。掃除も洗濯もアイロンがけも料理もできない。だから、お前が母さんの代わりに家事をしろ」
「な、何言って……」

 あまりの理不尽な物言いに、詩織の喉から掠れた声が漏れる。
 離婚届は受理され、二人の関係は完全に終わっている。彼は存在しない義務と罪を、詩織に着せようとしているだけだ。
 貴大は詩織の腕から食材の入った袋を引ったくると、それをキッチンへと乱暴に投げた。

「さっさと飯にしろ。5品だ」



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