忘れられないひと〜結婚の挨拶に行った先の継母は、私が昔追い出した父の恋人でした〜
プロローグ
森の中には力を使い果たした無数の壺が転がっていた。
瑠璃色のもの、光り輝く黄金色のもの、草木と同じ色のもの。けれど切り株に寄り添うように置かれている青磁色の、その壺だけは辛うじて生きていた。蔦が絡まり数羽の蝶が休んでいる。それは模様だったが蔦はどんどん伸びて地面を這い、黒い縁取りの青い蝶は今にも飛んでいきそうだった。
歯軋りをしながらその壺を見上げていたら、斜め後方から声が聞こえた。
「なにを怒っているのだ」
そんなの決まってるじゃないか、と答えてから壺に手を伸ばす。
「おまえが探しているものは、その壺の中にはないぞ。あきらめなさい」
厳かな神様の声はさらに近づいてきた。
「おまえの欲しいものはわかっている」
神様は言った。
「けれどそんなに怒っていたら、探し物は怖がって隠れてしまうぞ」
ほら、と肩の横から杖が伸びてきて壺を撫でた。なぞったそばから壺にはヒビが走ってあっという間に割れてしまった。そして神様もいなくなった。
ああ、また振り出し……。
虚しさを抱えて、俺はまた壺を探し始める。土を掘って、木を揺すって、しゃがみ込んで。
陽射しは高いところにあって地面には届かない。
風に揺れた葉っぱが朝露を滴らせている。
結局、生きている壺はみつからなかった。
……やっぱりあの壺が“最後のひとつ”だったんだ。
神様はどうしていつもじゃまばかりするのかと、両足を踏ん張って立ちつくす――そんな夢を、いつの頃からかときどき見るようになった。
†
「足をくずしてくださいね」
座卓の向かい側からコットンを思わせるふわりとした声が言った。儀礼的に不格好なおじぎをするだけの私に、隣から恋人の圭介が耳打ちしてくる。
「 心菜、暑くない?」
私は唇を横に引いたままわずかに首を振った。
柱と梁で組まれた日本家屋の奥座敷は、障子と襖を開け放つとエアコンなどなくても涼しい風が通り抜ける。
「水ようかん食べる?」
圭介が、出されたまま口を付けずにいるアイスコーヒーにガムシロップを入れて掻き回してくれた。
そういえば、私に向けられる話題のすべてを拾って、母親との会話を繋げてくれている。今は目の前に置かれた水ようかんをひと口大に切りわけている最中だ。
ちりん、といい音で釣りしのぶの風鈴が鳴って、気を取られたふりをして外を眺めた。
「この辺は静かだろ」
視線を追って圭介が言った。涼しげな簾の向こうの風景は、濡れ縁に置かれた鉢物と濃い縁取りの窓枠がフレームの役目をして、まるで切り取った絵のように映る。高台にあり奥に雑木林があるせいかほんとうに静かだ。さわさわと風に揺れる庭の木々がどこまでも続いているように見える。
「心菜、リラックス、リラックス」
耳打ちのあと、圭介の大きなてのひらが膝に置いた私の手をぎゅっと握って揺すった。途端に現実が近くなる。
……誰か、誰でもいいから誰か、私をここから逃がしてください。時間を巻き戻してください。
――どこまで?
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