魔法が使えないと虐げられていた令嬢は、余命わずかな辺境伯の妻になりました

第3話 医者さえ呼ばれない

 屋敷の使用人は、以前とすっかり顔ぶれが変わった。新しく雇われた者たちは、クリスティアーナがかつて伯爵令嬢だったことなど気にもしない。
 テニエス伯爵から「魔法も使えない役立たずだ。今はメイド見習いのようなもので、私の娘とは思っていない」と聞かされていたので、彼女を敬う者は誰もいなかった。
 クリスティアーナの生活は一変した。まだ空が薄暗いうちにメイドたちが起こす。
「いつまで寝てるのよ! もうあんたはお嬢様じゃないんだよっ。早くメイド服に着替えて働きなよ。あんたは、みんなが嫌がる洗濯係になったから。さぼったりしたら旦那様に言いつけるよっ!」
 井戸から水を汲み、冷たい水で洗濯をする。何度も水に手を浸しているうちに、指先は赤く腫れ、皮膚が裂けて血が滲むようになった。それでも洗濯物は毎日山のように積まれていった。

 そんなある日、クリスティアーナがようやく洗い終えた洗濯物を干していると、ヴィッキーが来て、洗濯カゴに気づかないふりをして蹴飛ばした。
「あらら、ごめんなさいね。こんなところに洗濯カゴがあるなんて思わなかったわぁ」
 たった今洗ったばかりの洗濯物に泥がべったりとついてしまう。
「さっき洗ったばかりなのに……」
「何よ、あたしに文句があるの? あたしはここのお嬢様で、あんたはもうメイドなのよ」
「ご、ごめんなさい……」
「もう一度洗いなよ。ちゃんと綺麗にしないとお父様に言いつけるわよ」
 ヴィッキーはクスクスと笑いながら去っていった。

 クリスティアーナはそれを拾い上げ、再び洗濯場へ向かう。水に手を入れた途端、裂けた指先に鋭い痛みが走った。思わず手を引っ込めると、背後からメイドの声が飛んできた。
「何をしているの? まだ洗ってないなんて、愚図で怠け者だわ。あんたみたいなのがメイド仲間だと思うと、ほんと嫌なのよねぇ」
「ご……ごめんなさい」
 痛みをこらえて布を揉み洗いしているうちに、指先から滲んだ血が洗濯物についてしまう。
「あ……」
 慌てて洗い流そうとしたが、なかなか落ちない。
 そこへ様子を見に来たクラウディアが、血のついた洗濯物を見て顔を顰めた。
「なによ、これは!」
「申し訳ありません。手が切れてしまって……」
「自分の手もまともに管理できないの? 今日の夕食は抜きよ。その血が落ちるまでずっと洗い続けなさい」
 クラウディアはクリスティアーナの手を一瞥すると、鼻を鳴らした。

 その夜、クリスティアーナは夕食を食べられなかった。小屋へ戻る途中、厨房の裏に捨てられたパンの切れ端が目に入った。
 昼から何も食べていない。クリスティアーナはしばらくそのパンを見つめていたが、やがて拾い上げ、汚れた部分を指で払い落とした。
 硬くなったパンを口に運ぶ。
 噛むたびに、乾いた欠片が喉に引っかかった。
 それでも、空腹のあまり残さず食べた。
(……惨めだわ……まさか、こんな生活をすることになるなんて。お母様、わたしも一緒に天に召されたかった)
 クリスティアーナの頬に涙が流れた。

 それからは、クリスティアーナに酷い言葉を浴びせた侍女やメイドが、クラウディアやヴィッキーから褒められる日常が続いた。それを見たほかの使用人たちも、競うようにクリスティアーナに意地悪をするようになった。
 使用人たちはわざとクリスティアーナの仕事を増やした。いつもすることは同じだ。綺麗に洗った洗濯物をクリスティアーナが干し終えると、竿ごと洗濯物を地面に落とす。ヴィッキーやクラウディアはそれを止めるどころか、手を叩いて笑った。
「ああ、面白い。屋敷に置いてもらっているだけでも感謝してよ。仕事をさせてもらえるだけでもありがたいんだからね。だって、あんたは魔紋もない恥さらしなんだから」
 クラウディアはクリスティアーナが憎くてたまらない。
(こいつの母親のせいで、あたしはずっと日陰者だった。そんな女にそっくりなこの子なんて、いなくなってしまえばいいのに)

 テニエス伯爵は少しも庇わなかった。もともと、魔紋のないクリスティアーナに興味もない。だから、廊下ですれ違っても、クリスティアーナを見ることさえない。
 たまに口を開けば、罵倒する言葉しか言わなかった。
「いつまでそんなところに突っ立っている? 仕事をしろ。魔力なしの穀潰しがっ!」
 クリスティアーナはテニエス伯爵の目に触れぬよう、仕事以外は小屋に引き籠もるようになった。

 そんなある朝、クリスティアーナはひどい寒気を覚えた。
 体が重く、起き上がるだけで目眩がする。それでも休むことは許されない。いつものように屋敷へ向かい、洗濯を始めた。だが、手を動かしているうちに視界がぼやけ、洗い桶の前に崩れ落ちた。
「ちょっと! 何をしているの! さぼってんじゃないよっ!」
 メイドの一人が声を上げると、近くにいた者たちも何事かと集まってきた。
「ご……ごめんなさい……」
 クリスティアーナは起き上がろうとしたが、手足に力が入らない。

 集まったメイドの一人がクリスティアーナの額に触れた。
「やだ、ひどい熱だわ。あたしたちに病気が移ったら迷惑よ」
「困るわよ。クリスティアーナが洗濯係なのに……あたしたちがしなきゃならないじゃない」

 騒ぎを聞きつけたクラウディアが、不機嫌そうな顔で洗濯場へやってきた。
「朝から何を騒いでるのよ!」
「奥様、クリスティアーナが倒れまして。かなり熱があるようです」
「だったら小屋に戻しておけばいいわ。こんなところで倒れてたら、邪魔よ。代わりにお前たちが洗濯すればいいのよ」
「やっぱり、あたしたちがするんですか……まったく、クリスティアーナったら使えない。あ、でも……お医者様は……呼ばなくていいんですか? 一応、この人、伯爵令嬢でしたよね?」
 メイドがそう尋ねると、クラウディアは呆れたように眉を上げた。
「医者? こんな子のために、わざわざ医者を呼ぶわけないでしょう? 悪化してもしものことがあったら、それは寿命というものよ。目障りだから連れて行って!」
 クラウディアは床に倒れているクリスティアーナを、ゴミでも見るように睨んだ。

 クリスティアーナは彼らの声を聞いていたが、返事をする力もなかった。
 結局、メイドに肩を貸されて小屋へ戻される。暖炉もない小屋は、外と変わらないほど冷え切っていた。薄い毛布をかぶっても寒さは少しも和らがず、歯がかちかちと鳴った。喉が渇いていたが、水を汲みに行くこともできない。
(寒い、とても寒いわ。これもわたしが魔法を使えないせいよね。なぜ、わたしはこんなに無能なの? 少しでも力があったら、お父様だってこんな扱いをしなかったはず……なにもかもわたしが役立たずなせいなのよ……)

 翌朝になっても熱は下がらなかった。
 クリスティアーナは毛布の中で体を丸め、震え続けた。
(このまま死んでしまうのだろうか)
 そう思うと怖くなり、涙がこぼれたが、これ以上ここにいて惨めな生活を送るよりはマシかもしれない、などとも思うのだった。

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