幸せの苦痛

2話「幸せの苦痛」

幸せという言葉を聞くと、明るいものを想像する。
笑顔。
温かい場所。
大切な人。
叶えたい夢。
僕にも、そんな幸せがあった。
友達と笑っていた時間。
部活で努力した時間。
美桜と過ごした時間。
何気ない一日が、特別に思えた瞬間。
あの頃の僕は、確かに幸せだった。
でも、幸せだったからこそ、苦しいこともあった。
失いたくないものができたから、失うことが怖くなった。
大切な人ができたから、その人を傷つけることが怖くなった。
人と繋がる喜びを知ったから、誰かの言葉に深く傷つくようになった。
幸せを知る前の自分には、戻れない。
知らなければ、こんなに苦しくならなかったのかもしれない。
でも、知らないままの自分では、あの思い出を持つこともできなかった。
僕は、ときどき考える。
もしも、あの日、あの言葉を口にしなかったら。
もしも、噂が広がらなかったら。
もしも、学校へ行けなくなることがなかったら。
もしも、あの夏に別れなかったら。
そんなことを考えても、過去は変わらない。
どれだけ思い返しても、時間を巻き戻すことはできない。
それでも、考えてしまう。
あの頃の僕に、何か一つだけ伝えられるなら、何を伝えるだろう。
きっと、こう言うと思う。
「全部を自分一人で抱え込まなくていいんだよ」
人に優しくすることは、大切だ。
自分の言葉に責任を持つことも、大切だ。
誰かを傷つけてしまったなら、きちんと向き合う必要がある。
でも、自分が傷ついたことまで、なかったことにしなくていい。
誰かに嫌なことを言われたとき、平気なふりをしなくていい。
苦しいときに、苦しいと言ってもいい。
助けてほしいときに、助けを求めてもいい。
当時の僕には、それを教えてくれる言葉が必要だったのかもしれない。
高橋先生が電話をかけてくれたこと。
友達が「久しぶり」と声をかけてくれたこと。
コートの上で、もう一度ラケットを握れたこと。
その一つひとつが、僕を少しずつ支えてくれた。
幸せは、苦しみをなくしてくれる魔法ではない。
苦しみがあったからといって、幸せが嘘になるわけでもない。
二つは、同じ時間の中に存在できる。
僕の中学校生活が、そうだったように。
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