強引社長の甘い寵愛

一章 初めまして、結婚してください

 その日はいつもと変わらない日常だった。休日に友人とランチを楽しんで、その友人と駅で別れて真っ直ぐ帰るか本屋にでも寄って行くか悩んでいる時。その人は現れた。
 絹のようなサラサラの黒髪に、血のように赤い瞳の長身の男性が、息を切らせながら私の腕を掴んだ。こんな人は私の知り合いには居ない。一度会っていたら忘れるはずがない、とびきりの美青年。その人は、私の顔を見るなり目を真っ直ぐ見て、言い放った。
「結婚してくれ」
 その言葉に私はひたすらに困惑した。
「あ……あの、私達……初対面ですよね……?」
 僅かに恐怖を感じながら男性を見上げて、震える声でようやく絞り出した言葉。私のその言葉に、男性はほんの一瞬傷付いたような表情を見せた。
 (あれ。もしかして、どこかで会ったことのある人……?)
 仮に面識のある人だったとしても、今まで忘れていたような程度の間柄の人からプロポーズされる理由はない。
 とりあえず掴まれている腕を振り払おうとしてみるけれど、グッと爪が食い込むほどに力を込められてしまった。
「い、痛い……ッ」
「すまない」
 私の苦痛の声に、男の人はハッと目を見開いて、腕を掴む力をふっと緩めた。それでも離してはくれないようだ。
「どなたですか……? あの、お話があるならとりあえずそこのカフェにでも入りませんか?」
 ここだと目立っているので、と私が言うと、「やだ……痴話喧嘩?」という声が聞こえてくる。男の人はその状況と私の意図を理解したのか、スッと表情を消して頷いた。

 近くにあったカフェに二人で入り、それぞれコーヒーとカフェラテを注文すると店員さんが去っていく。店内のゆったりとしたBGMが流れている空間とはいえ、重い沈黙が降りて少々気まずい。
「あの……それで、話というのは何ですか?」
 私から話があるならカフェでも、と誘ったのだから、口にしてからこの聞き方は少々違和感があるかと思ったが、男の人は全く気にしていないようだった。男の人は私の目を真っ直ぐに見て、再び口を開いた。
「結婚してくれ」
「それはさっき聞きました!」
 思わず声が大きくなってしまって、周りをキョロキョロと見回すが私達に注目する者は居ないようで良かった。
「まずあなたの名前も知らないのに……」
「神楽坂蓮だ」
「神楽坂さん」
「蓮でいい」
「れ、蓮さん……」
 初対面プロポーズから変な人だとは思ってたけど、この人本当に距離感がおかしい。まるで、私のことを以前から知っているような——。
「……覚えていないのか」
 蓮さんが何かをぽつりと、寂しそうな表情で呟いた。店内に流れる音楽のせいで上手く聞き取れなくて、思わず聞き返すと蓮さんは「何でもない」と言ってゆるゆると首を横に振った。
「あの、もう一度お聞きますけど、私達って初対面ですよね?」
「今世では」
「はい?」
 ダメだ、この人、言ってることがさっきからずっとおかしい。本当に頭のおかしい不審者なのだろうか。いや、それにしてはやけに身なりが綺麗すぎる。
「今世……とは?」
 思ったままに疑問を口にして首を傾げると、そのタイミングで店員さんが注文した飲み物を運んできた。軽く会釈をしながらお礼を言うと店員さんが「ごゆっくりどうぞ」とお決まりのセリフを口にして去って行った。
「お前の魂を俺が見紛う訳がない。やっと見つけた」
「会話をしていただいてもよろしいでしょうか……?」
 初めて声をかけられた時からちっとも会話が成り立っていない。こういう人に勧めるべきなのは精神科か、脳神経外科なのか悩んでいると蓮さんが再び口を開いた。
「お前は今、何歳なんだ」
「十八です。高校を卒業したばかりで……」
「そうか。なら婚姻可能な年齢だ。問題はないな」
「めちゃくちゃ問題ありますよ!?」
 問題その一。というかこれが一番大きい。私は彼のことを何も知らない。初対面で突然求婚してくる不審な人物であることと、名前くらいしか。
「とにかく、初めましての方と結婚は出来ません」
「何故?」
「今言いましたよね? 初めましてだからです」
「それなら今から俺のことを知ればいい」
 そう言って蓮さんは私の言葉も聞かずに自分のことを語り出した。神楽坂——どこかで聞いたことがあると思ったら、あの有名な大企業、神楽坂財閥の現社長だとか。それを聞いて、一瞬、この人と結婚したら玉の輿……一生働かなくて済む……と邪な考えが頭の中に沸いてしまった。いやいや、そんな不純な動機でこの突然のプロポーズを受けるのは相手にも失礼だろうと考え直して、私は背筋を伸ばした。
「俺と結婚すれば不自由はさせない。欲しいものはなんでも与えてやろう」
「もしかして財力で押し切ろうとしてますか? ダメですよ普通に」
 一瞬心の声を口に出してしまっていたかと疑ったが、蓮さんの様子を見ているとそういうわけではないらしい。
「……本当に何も覚えていないのか?」
「だから、何のことですか? 話が見えないんですけど……」
「俺とお前は、前世で夫婦だった」
 私の言葉を遮るように、蓮さんが何でもないことのように言い放った。
「——はい!?」
 私は驚きでテーブルに置かれたカフェラテをひっくり返しそうになっているのに、蓮さんは涼しい顔をしてコーヒーの入ったカップを口元で傾けている。
「お前は前世で八十七歳で、老衰で亡くなっている。俺が看取った」
「……なるほどぉ」
 私はふんふん、と深く頷きながら蓮さんの話を最後まで聞いた。彼が言うには前世の私と転生しても必ず探すと約束したとか。そんなことを言われても私はそんなこと一切覚えていない。だから、私が出した結論は。
「病院に行きましょう。今から」
「何故だ」
「どう考えても妄想が過ぎます。精神状態が普通じゃない証拠です」
「俺は普通だ」
「付き添ってあげますから! ちゃんとお医者さんに診てもらってください!」
 おかしくないと主張する彼は落ち着き払っているし、確かにとても精神疾患を抱えている状態には見えない。それでも蓮さんの言っていることはまるで信じられなくて、こちらの頭がおかしくなりそうだった。
 私が頭を抱えていると、慌てた様子の男の人がこちらに走ってくるのが見えた。
「社長!」
「む」
「こんなところに居たんですか。急に走り出していなくなるからどうしたのかと……」
 恐らく、この人は蓮さんの秘書か何かなのだろう。蓮さんは一言二言彼と言葉を交わしたあと、懐からスッと名刺とペンを取り出して、サラサラと名刺に何かを書いた。
「俺の連絡先だ。帰ったら必ずここに連絡しろ」
「えっ、ちょっと、あの……!」
 コーヒーを飲み干して、私に名刺を押し付けると、蓮さんは立ち上がって時計をちらりと確認してテーブルに一万円を置いて店を出て行ってしまった。
「いちまんえんも要らない……」
 コーヒーとカフェラテでせいぜい千円くらいなのに余分にいただいてしまった。何となく、彼とはまたどこかで会いそうな気もするし今度会った時に返そう、と決意して私もすっかりぬるくなったカフェラテを飲み干した。

 * * *

 蓮さんとの衝撃的な出会いから数日が経過した。私はまだ彼に連絡していない。神楽坂財閥のことを調べたら、彼の公のプロフィールはおおむね把握出来た。私とは住む世界が違うことも。私は優しい両親の元に生まれた一般家庭の普通の女の子で、ただの大学生。到底普通に生きていたら私なんかが知り合えるような人ではない。蓮さんには帰ったら、と言われていたがそこが引っかかって今日まで連絡出来ずにいた。完全にタイミングを逃しているし、もう連絡しなくてもいいか——いや、でもお釣りは返した方が良いのでは?という葛藤を抱えたまま、カフェのアルバイトに勤しんでいた。
 今日は雨だからお客さんがあまり来ないな、とノーゲストになったカウンターで小さく腕を伸ばした。その時、カラン、と扉の開くベルの音が鳴り響いて、私は慌てて姿勢を正してそちらに向かってとびきりの笑顔を作った。そこに現れた人物に、私はピシリと石のように固まってしまった。
「蓮さん……!?」
 驚く私とは対照的に蓮さんはまるで私がここに居ることを知っていたかのような表情で片手を上げた。私が案内するよりも先に蓮さんは真っ先にカウンターに向かって座る。
「スコッチを」
「は……はい!」
 まるで常連のような態度に面食らいながらも私は言われた通りにこの店で一番良いスコッチを提供した。
「お前は今でもカフェで働いているのか」
「今でも……? ああ、はい。高校生の時からお世話になっています」
 蓮さんは一瞬私の返答に納得していない顔を見せながら、スコッチの入ったグラスをすっと指でなぞった。
「あの、どうしてここに?」
「お前の素性は全て調べた」
 サラッと恐ろしいことを言ってのける蓮さんに身震いした。
「……やってることストーカーでは?」
「ストーカーではない。夫だ」
「またそれですか」
 ここまで一貫していると冗談ではなく本当に前世とやらで関わりがあったのかもしれないと思えてくる。私が密かに頭を悩ませていると、スコッチを一口飲んだ蓮さんが更に重い口を開いた。
「何故連絡しなかった」
「え……? なんか怪しいなって……」
「素性は明かしたはずだ」
 確かに彼が開示した情報に嘘偽りがないことは確認済みだ。だからと言っておかしな言動をしている人に自分から連絡をするという選択肢は到底考えられなかった。
 そんな私に痺れを切らして、私が働くバイト先まで調べて押しかけて来たといったところか。さすが財閥の社長をやるだけある。行動力と実行力が一般人のそれではない。
 彼の意思の強い瞳に見つめられているとだんだん私が悪いことをしているような気になって、私は彼だけに聞こえる小さな声で謝罪の言葉を口にした。他にお客さんもいないのに。
「連絡……しなくてすみません……」
「詫びの代わりにお前の連絡先を教えろ」
「え? 私の素性を調べたんじゃ……?」
「調べたのはあくまで素性だ。お前の友人達にお前の連絡先を聞いたが本人の許可なく教えられないと断られた。良い友人を持ったんだな」
 ゆるりと微笑みながらとんでもないことを言い放った蓮さんに目眩がする。たぶん連絡先を教える代わりに誰かが私のバイト先を漏らしたんだろうことは容易に想像出来る。まさか蓮さんがここまでする人だとは思っていなかったので、完全に油断していた。
 私が蓮さんと話し込んでいるのを不思議に思ったのか、キッチンから店長が顔を出した。
「あれ、知り合い?」
「ええ、まあ、一応顔見知りではあります」
「そうなんだ。何だか積もる話がありそうだし、この雨じゃお客さんが来る気配もなさそうだからもう上がっていいよ」
 今は店長の気遣いが非常に痛い。私が断ろうと口を開きかけると、店長に「給料はシフト時間分つけておくから」と先回りで言われてしまって、完全に断る理由をなくされてしまった。
「……まさか店長のこと買収とかしてないですよね?」
 怪訝に思ってジト目で蓮さんを睨みつけると、蓮さんはふるふると首を横に振った。
 とりあえずは彼のことを信じるとして、私はエプロンを解いてキッチンにいる店長に向かって「お疲れ様でした」と声をかけて更衣室に向かった。

 カフェの制服から私服に着替えて店内に戻ると、扉の前で蓮さんがドアノブに手をかけて私を待っていた。
「帰るぞ」
 私は店長に「失礼します」と声をかけて蓮さんに促されるままに店を出た。店の前には似つかわしくない高級車が停まっていて、蓮さんが近づくと運転席から壮年の男性が降りてきて、恭しく後部座席の扉を開けた。
「乗れ」
「でも……」
「早くしろ」
 鋭い目つきで睨みつけられ、有無を言わさない口調で急かされて私は思わず身がすくんだ。これ以上店の前で押し問答していても迷惑がかかる、と判断して言われるがままに後部座席に乗り込む。少し遅れて蓮さんも私の隣に座って、車が発進した。
「あ、そうだ。蓮さん……」
 まだお金を返していないことを思い出して私はカバンの中から財布を取り出して、そこから数枚のお札を取り出して蓮さんの前に突きつけた。
「何だこれは」
「この前のカフェ代のお釣りです。一万円もしないので……」
「それはお前にやる」
「で、でも……」
 蓮さんの手に無理矢理握らせようとしても拒絶されてしまって、受け取ってもらえなかった。私は渋々お金を財布に戻した。
「あの、蓮さん」
 背筋を伸ばして、緊張しながら名前を呼ぶと蓮さんが横目でちらりと私を見た。
「私に関わるのは今日で最後にしてください」
 私がそう言うと、蓮さんが視線だけでなく顔ごとこちらに向いた。
「何故だ」
「住む世界が違いすぎます。本来、私とあなたは知り合うはずもないんです」
「それを決めるのはお前じゃない」
 蓮さんは迷いも淀みも一切感じさせない真っ直ぐな声で答えた。手首を掴まれて、そのまま蓮さんに引き寄せられる。甘いのに爽やかな香りがするのは彼の香水だろうか。
「……気が変わった」
「え?」
「お前を家まで送り届けようと思っていたが、俺の家に連れて行く」
「……どういうことですか!?」
 私の言葉には答えず、蓮さんは運転手に向かって「俺の家に迎え」と告げた。彼の腕の中でもがくように暴れると、抱き寄せていた腕の力がグッと強まった。
「これからは俺のそばで生きろ」
 低く、祈るような声音でそう囁かれて、クラクラと目眩がした。
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