32歳、推し活女子。大恋愛の失恋の末、アプリで出会ったハイスペ男性に溺愛される(かも)

7,会食恐怖症と食欲

 石垣さんと初めて出会った日から一週間が経ちました。

 混み合った地下鉄の電車の中で、私は肩身狭く吊り革を持ちながら心の中でつぶやきます。

(どうしてこうなったんだろう?)

 平日、木曜日。
 ラッシュの時間も過ぎた正午前なのに東西線はいつも通り混んでいました。

 私は人混みが苦手です。
 特に満員電車は大の苦手。

 押しつぶされそうになると圧迫感で潰れそう。
 こんなに混雑していると、もし具合が悪くなって途中下車しようとしても降りられなさそうで怖いです。

 東京の職場に勤めたら、毎日こうなるのですね。
 私、東京では働けないのです。

 押しくら饅頭に合いながらようやく大手町につき、電車を降りることができて一息つくことができました。
 ですがあまりの暑さに額から汗が出てきます。

「せっかく頑張ってメイクしたのに」

 私は手鏡でメイクと前髪をチェックします。
 メイクは大丈夫でしたが、前髪が少し崩れました。
 ショックです。

「もうすぐ待ち合わせ時間なのに」

 私は必死になって髪型を直して顔を上げました。

 先週、彼とよみうりランドのイルミネーションを見に行こうと話をしたのに、なぜ東京の地下鉄に乗っているのか。
 それは彼からの提案でした。

「よみうりランドのイルミ、絶対に逃せませんね。でも、その前にもう一度、ゆっくりとお話したいです。来週、お会いできませんか?」

 そんなメッセージを送ってくれたのです。

 お付き合いしたい男性からお誘いのメッセージが来て嬉しかったのですが、それと同時に少しだけ卑屈な考えをしてしまう私もいます。

(いきなりよみうりランドに誘ったのは失敗だったかな。そうよね、移動だけで一時間くらい二人っきりだもの。私なんかと長い時間二人きりだと気まずいよね)

 でも、誘ってもらえるくらいには興味を持ってくれたと前向きに考えて私は返信をしました。

「嬉しいです。どこで会いましょうか。石垣さんはどこに行きたいですか?」

 そう返信をしましたが、心の中では気が重くなりました。

 それと言うのも都心のデートは行く場所が限られています。

 食事、お酒、ショッピング。
 大まかに言うとこんなところでしょう。

 そして、そのどれもが私は苦手です。

(ゆっくりお話したいってことは、食事に誘われるのかな。人前で食事をするって考えただけで冷や汗が出ちゃう。せめて個室の飲食店だといいんだけど)

 そんなことを考えていると返信が来ました。
 そして、その返信に私は驚きを隠せなかったのです。

「橋本さんは食事は嫌ですよね。でしたらテーマパークはどうですか?体を動かしながらゆっくりと話しするのもいいですね!」

 その返信を読んだ瞬間、私は胸が熱くなりました。

(石垣さん、私が会食が苦手なこと覚えてくれてる!しかも、私に合うデートプランを考えてくれたんだ!)

 その気持ちだけで心が満たされます。

 前の彼氏は自分の興味のあるところにしかデートをしてくれませんでした。
 音楽のライブ、カラオケ、そしてホテル。

 私も音楽は好きなので不満はなかったのですが、私のことを気遣ってデートプランを立てることはしてくれなかったのです。

 でも、彼は違う。
 私のことを考えて行き先を決めようとしてくれている。

 他人が聞けば、 「それだけのことで」と思われるかもしれません。
 でも、私にはその優しさが心に染みるくらい嬉しいのです。

(こんなに優しい人なら、少しくらいわがまま言ってもいいのかな?)

 そう思った私は気になっていた場所を提案してみました。

「この前、お昼の情報番組で東京ドームのアニタッチという動物ふれあい施設が特集されたんです。久しぶりに東京ドームシティに行きたいなと思っているのですが、どうでしょうか」

 そうメッセージを送信しました。
 その瞬間、私は胸が苦しくなります。

(私の行きたいところでいいのかな?彼、行きたいところがあったんじゃないのかな。東京ドームシティって子どもっぽいアトラクションが多いから、もしかして嫌だったりしないかな)

 そんな不安を感じながらスマホを握っていますと、ピコーンと音が鳴って通知を知らせます。

「もう返信が来た?」

 慌ててメッセージを開くと、こう書いてありました。

「いいですね。そこにしましょう。楽しみですね」

「決断、早っ!」

 そうして東京ドームシティアトラクションズでのデートが決まったのです。



 自分から東京ドームを指定したのに、私はその道すがらの乗り換えで迷子になっていました。

「えっと。後楽園って丸の内線?丸の内線って、どこ?」

 顔をあげた私の前には大勢の人。
 通路の先が見えないくらいに人が埋め尽くされていて、しかも大勢の人たちが川の流れのようにざわざわと歩いています。

 その光景を見るだけで私は人に酔って吐き気をもよおしました。

「気持ちわるい」

 具合が悪くなってきました。
 気分が優れないのは、人に酔っているだけではありません。

 二回目の石垣さんとのデートに極度に緊張しているからです。

(また会えるのは嬉しいけど、なんだか前回よりも緊張しちゃう。だめよ、しっかりしないと。二回目のデートって大事って言うでしょ。今回はしっかりと将来を見え据えた話をしなきゃ。そして、いい感じになってお付き合いにつなげていこう)

 大手町の地下通路のかたわらで、そう決意していた時でした。

 ピコーン。
 ラインの通知が入りました。

 石垣さんからのメッセージです。

「あ、もうすぐ待ち合わせ時間!」

 私は慌ててラインを開きます。

 すると、そこには東京ドームシティの広場の写真が貼り付けてありました。
 建物に囲まれた近代的な背景の中、芝生が広がる開放的な写真です。

 思わず、その写真に見入った私でしたが、この写真があるということは、もう彼は東京ドームシティにいるということ?

(はやっ!ゆっくり来てって言ったのに)

 するとメッセージが届きます。

「早く来たのでブラブラしています。ともえさんはあとどれくらいで着きますか?」

 早く来いという催促でしょうか。
 彼にそんな意図はないと思いつつも、焦ってしまって胸がドキドキします。

 私は慌ててメッセージを返しました。

「あと十分くらいです。でも、もっとかかるかも。カフェでも入ってゆっくりしててください」

 私は申し訳なく思いながらラインしました。

 ああ、本当はもっと早く着いてるはずだったのに。
 電車で具合は悪くなるし、乗り換えで迷うし。
 そのせいで想定以上に遅くなってしまって本当に申し訳ないわ。

 そう思っていると今度は写真が送られてきました。
 送られてきたのは、なんとコーヒーとホットドッグの写真です。

「実はもうタリーズに入っています。タリーズのホットドッグ、好きなんですよね。のんびり過ごしてますので走らなくていいですよ、ゆっくりおいで」

 気遣いの言葉に感動しつつ、その前の言葉に驚いて思わず叫びました。

「もう食べてるの?なんで!」

 急に声を上げてしまったので、通行人の方がこちらをチラリと見てきました。

 ああ、恥ずかしい。
 私は赤面しながら返信を打ちます。

「もう食べてる笑。のんびり待ってて」

 すると彼は「はーい」とキャラクターが手を上げているスタンプを送ってきました。

 なんか、前に会った時と違う。
 前はピシピシ動くジェントルマンみたいだったのに、今日はなんだか食いしん坊のゆるキャラみたい。

 思わず声を上げてツッコんでしまいましたが、気分が少しだけ穏やかになった気がします。
 肩肘張らなくてもいいかもしれない、と。

 私は肩の力を抜くという意味でも、フランクなメッセージを送ってみました。
 それで少しでも親密さが上がればと思ったのです。

「タリーズのたまごサンドが美味しいらしいですよ。この前、推しが絶賛していました」

「そうなんですか?俺は毎回ホットドッグばかり食べてました」

「えー。たまごサンドも食べてくださいよ」

「そうですね。今度、機会があれば」

「それ、絶対に食べないでしょ笑」

 そんなやり取りをしながら私は丸ノ内線のホームを目指しました。
 どこにあるのか、まだわからないですが、さっきよりも切迫感はなくなっています。

 さすが、私の神。
 きっと私の緊張を緩めてくれるために、あえて親しみがある文章を送ってくれたのですね。

 私の心を癒してくれる石垣さんは救世主です。

 そんな救世主を待たせて二十分。
 想定をはるかに超えて遅く後楽園駅に到着しました。

 待ち合わせ時間も十分以上過ぎています。
 どんなに神に癒された私でしたが、また胸がドキドキしています。

(やばいよ。石垣さん、もう何十分待っているの?さすがにイライラしているよね?)

 電車を降りた私は急いでタリーズを目指します。

 後楽園駅から東京ドームシティの広場までは陸橋を渡って、さらにその先。
 距離があって、走っても走っても広場にたどり着きません。
 そもそもタリーズがどこなのかもわからないのです。

「どこ?どこなの?」

 そして広場の一角にようやくタリーズを見つけました。

「はあ、はあ。やっと、ついた」

 肩で息をしながらタリーズのガラスばりの席を見ましたら、そこに石垣さんがいました。
 なんと大口を開けてサンドイッチを頬張っていたのです。

 思わず私は叫びました。

「――なんでホットドッグじゃなくて、野菜サンドまで食べてるの!?」

 思わず声が裏返りそうになりながら、私はガラス張りの店内に滑り込みます。

 息を整える私に気づいた石垣さんは、満面の笑みで手をついて迎えてくれる。
 普段は切れ長のクールな瞳が、今は三日月のように細められていて……なんだか、すごく癒やし系のゆるキャラに見えました。

「あ、ともえさん。いらっしゃい。間に合ってよかったですよ」
「間に合ってないわよ、大幅遅刻だもの……って、それ、何個目なの?」

 テーブルの上をチラリと見れば、きれいに平らげられたホットドッグの袋の横に、食べかけの野菜サンドが鎮座していました。

 メッセージでは「タリーズに入ってる」と言っていたけれど、まさか到着を待ちながらモリモリおかわりしていたとは。

「いや、朝早かったからお腹が空いちゃって。……あ、ほら、立ってないで座ってください。疲れたでしょう?」

 慌てて席を引いてくれる彼の仕草は相変わらずスマートなのに、口の端に少しレタスがついていたりして、さっきまでの緊張が嘘のようにスッと霧散していきます。

「……本当に、マイペースなんだから」

 思わず小さく息をつくと、石垣さんはふっと優しく目を細めた。

「そうだ、温かい紅茶を買ってきますね。せっかく東京ドームシティに来たんだし、のんびり行きましょう」

 私の苦手な「食事のプレッシャー」を一切感じさせず、ただ自然に、心地よくペースを合わせてくれます。
 ——やっぱりこの人は、私の神様かもしれない。

「あ、石垣さん! たまごサンドがあったら、それも食べたかったな……推しが絶賛してたから」

 ついポロっと本音がこぼれると、石垣さんはクスクスと楽しそうに笑いました。

「残念、店員さんに聞いたら人気で午前中に売り切れたみたいです」

「なんてこと……!」

「ふふ、食欲はあるんですね。……よかった。後でゆっくり、何か美味しいものを食べられるといいんですけど」

 さりげなくかけられたその言葉に、少しだけドキリと胸が跳ねます。

 会食恐怖症を抱える私だけど、この人と一緒なら、いつか克服できるかもしれない。
 ——そんな淡い期待が、じんわりと胸に広がっていったのでした。
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