その花が咲く頃に【第一幕】
 決行の日、三日ぶりに牢から出た。
 日が傾き始めた時、側近の人に追い出される様な形で村の外に出た。
 見送るものなど誰もおらず、すぐに門が閉じられる。
 いっそ清々しいくらいで、とりあえず山へ向かった。少し離れていて、到着するのは夜になると思う。
 山の主というのは、感情一つで天候を操るほどの力を持った、鬼らしい。その鬼の住処がこの山だと言う。
 生贄として登ったものは今のところ全員死体として発見されていて、私もそうならいい。

「やっと…、幸せになれますね、お母様…」

 微かな記憶の中にいる、私の幸せを願う母が何度も支えてくれた。
 いつか、いつか。と願って死んでいった母は、覚えている限りとても優しい人だったと思う。
 私も母の元に早く行きたい。
 早く、早く。
 村を出て、急に山までがすぐ近くに感じた。
 山の麓にたどり着いた時にはもう薄暗かった。息を整え、意を決して山に足を踏み入れた。
 寒いな…。
 山の中は空気が冷たく、綺麗だ。登れば登るほど冷たくて、空気が綺麗に澄んでいく。
 ずっと下を向いていて気づかなかったけれど、顔を上げると、辺り一面異形の気配で覆われていた。
 しかも、見えない何かが侵入を拒んでいる。

「っ、これは…」

 目を閉じて集中し、感覚を研ぎ澄ませ、気配の元を探った。
 それを辿って進んでいくと、近くに見える大きな岩の上に、人影が現れた。

「…誰」

 高く、中性的な、それでいて凛とした落ち着いている声が聞こえて、視線を向ける。
 少し近づこうと足を向けると、とてつもない拒絶の匂いを感じた。

「貴様は何者だ」

 声の主は月の影に隠れて、顔などはわからない。男性で、中性的な声をしているのだけはわかる。

「私は…、麓の村の者にございます」
「なぜその様な者がここにいるのだ」
「祭りの繁栄として、贄に」
「ほう。貴様、己が生贄だと言うことを知らぬのか」

 拒絶が疑問へと変わり、それに伴って匂いも変わった。
 私は自分が生口であることも、贄であることも理解している。
 殺してくれるのならそれがいい。
 その男は、たんっと軽々と跳び、私の目の前に降りてきた。
 背丈は私の腹のあたりまでと小さく、不思議な空気を纏っている。

「なんだその見窄らしい姿は」
「贄に着飾る意味などございませんでしょう」
「…その様な姿で贄に上がったのか。とんだ阿呆だな。着いて来い」

 案内してくれるなどとは少しも考えていなかった。

「なんだその反応は。その様な姿で我が主人に会うなどさせるわけがない。いいから着いて来い」
「か、かしこまりました…」

 彼に着いて、山の中を進む。
 幾つだろうか。とても小さく見えるけど…。
 月明かりがあるおかげで、足元も見える。それに、月明かりに照らされた彼の髪は、碧く輝いていた。

「……」

 綺麗だな…。
 しばらくして、足も疲れてきた頃、目の前に見たこともない建物が建っていた。
 こんなところに、こんなものが…。

「こ、こは…?」
「我の屋敷だ。さっさと入れ」
「…お、お邪魔します…」

 中はやはり見たことないものだけで、気になって仕方がない。
 目に入るもの全てが初めて見るものだった。

「おい、幸愛」
「はいはい。あら、人間?」

 ゆきめ…?
 彼に呼ばれて、どこからともなく現れた女性は、不思議な空気を醸し出していて、とてもこの世の者とは思えなかった。
 黒く胸下までの長い髪がとても綺麗だ。

「ああ。いつもの生贄らしい。こいつの身なりを整えろ」
「かしこまりました。では、着いてきてくださいな」
「…はい」

 彼女に着いていくと、よくわからない場所に連れてこられた。

「あの…、ここは…」
「風呂場です」
「…ふろ…? 一体なんですか…?」

 今度は初めて聞くものだった。
 なんだろうか、その風呂というのは。

「ああ、そういえば人間は知らないのでしたね。まあ要するに、水浴び場ですよ」
「水浴び…」
「貴女は汚すぎる。その汚れた服にも満たないそれを脱いでくださるかしら。処分しますので」
「は、はあ…」

 手枷となっている縄を解いてもらい、着ていたものを全て脱いだ。
 そのまま中に連れて行かれ、すぐに座らされる。

「目を閉じていてくださいね」
「はい」

 言われた通りに目を閉じると、頭から温かい水がかけられた。

 それからしばらくして、お風呂とやらから出ると、汚れた髪も綺麗になって、整えてもらった。
 そして、浴衣と言う美しい布を着せられた。
 少しだけ、慣れないからか苦しい。

「坊ちゃん、できましたよ」
「…腹が減った。飯を作れ」
「もう。はいはい。わかりましたよ。また喧嘩したのですか?」
「我は何も悪くない」
「いつものやつですか。食事の用意をしてきますね。貴女はどうしますか?」
「い、いえ…、へ、平気です」
「そうですか。では先にお部屋にご案内します。坊ちゃん、台所におやつがありますのでそれを食べてお待ちくださいな」
「甘味か」
「団子ですよ」
「行ってくる」

 彼が去ってから、幸愛さんに部屋に案内してもらった。
 ここはなんの場所なのだろうか。

「今晩はここでお過ごしください。お布団敷きますね」
「は、はあ…」

 もうなんだかわからない。
 汚れ切った体を清めていただいた上に、寝泊まりまでさせてくれるなど、優しい人もいるのだな。
 幸愛さんが布団を敷いてくれた。

「お疲れでしょうから、ゆっくりお休みください。これだけは約束してください。扉を開けることは絶対にしないでください。朝にもう一度参ります。それまで部屋から出られませんように」
「はい…。ありがとうございます…」

 幸愛さん、村の人たちが私たち生口を見る時と同じ目で見てくる。
 それについて特に気になることはなかったけれど、矛盾した行動が多くてどうしても戸惑う。
 そういえば、この建物に入ってから、一度もなかった。
 だからか眠気が襲ってきて、布団をめくって横になってみた。

「温かい…」

 満ち足りた気分になった。
 これ以上のことはないとさえ思う。
 けれど、ここは私のいるべき場所ではない。
 そう思って、部屋の隅に移動して、膝を抱え、眠りについた。


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