大正初恋浪漫譚ー突然、陸軍少尉の婚約者になりましたが、どうやら彼は私に恋をしていたようですー
その日の夜。
自室の窓辺に腰を下ろし、私はぼんやりと月を眺めていた。
陸軍少尉。
父の部下で兄の親友。
伯爵家のご子息。
どれもこれも、立派な方であることを示す言葉ばかりだ。
きっと、誰に話しても羨ましがられる縁談なのだろう。
それでも、胸の奥には小さなわだかまりが残っていた。
私は、あの方と結婚したいのだろうか。
そもそも、あの方は私のことをどう思っていらっしゃるのだろう。
以前お会いしたとき、交わした言葉はほんのわずかだった。
あの方がどんなものを好み、どんなことに心を動かされるのか、私は何ひとつ知らない。
そんな相手と、これから夫婦になる。
そう考えると、どうしても胸が落ち着かなかった。
私は窓辺から立ち上がり、寝台の端に腰を下ろした。
自分で選びたいと願った未来は、こんなにも簡単に遠ざかってしまうものなのだろうか。
もしも、これからあの方を知っていけば。
その人柄に触れ、少しずつ心を通わせることができたなら。
いつか、私の心も変わるのだろうか。
答えなど、わかるはずもなかった。
ただひとつ、確かなことがある。
ーーー私はまだ、あの方を好きではない。
「……私、あの方を好きになれるのかしら」
窓の外で、夜風が桜の枝を揺らした。