大正初恋浪漫譚ー突然、陸軍少尉の婚約者になりましたが、どうやら彼は私に恋をしていたようですー
婚約の話が持ち上がってからというもの、千紘に対しては、どこか緊張してしまう自分がいた。
立派な軍人で、父の部下で、兄の親友でもある人。
そして、これから自分の夫となる人。
考えれば考えるほど、何を話せばよいのか、どのように接すればよいのか、わからなくなってしまうのだった。
けれど、今の言葉を聞いていると、少しだけ肩の力が抜ける気がした。
「……ありがとうございます、少尉」
小春が微笑むと、千紘の表情もわずかに和らいだ。
「いえ」
それだけ答えて、彼は小春の荷物へと目を向けた。
「お荷物をお持ちしましょう」
「そんな。これくらい、自分で持てます」
「そうですか」
千紘は一度、素直に頷いた。
しかし、小春が荷物を持ち直そうとしたところで、その手元に視線を落とす。
「……ですが、少々重そうですね」
「え?」
「よろしければ、私に」
そう言って、彼はごく自然な仕草で荷物を受け取った。
あまりにさりげないものだから、小春は礼を述べる機会を逃してしまい、慌ててその背中を追いかけた。
「少尉、ありがとうございます」
「どういたしまして」
千紘は振り返り、いつもの穏やかな顔で答えた。
けれど、小春には気づかなかった。
彼が荷物を持つ手に、ほんの少しだけ力を込めていたことに。
こうして同じ屋根の下で過ごす日々が、今日から始まる。
小春はまだ知らない。
自分が門をくぐるその瞬間を、千紘がどれほど長く待ち望んでいたのかを。
そして千紘もまた、知らなかった。
ほんの小さな気遣いが、いつか彼女の心に、自分の知らない花を咲かせることになるのを。