大正初恋浪漫譚ー陸軍少尉と婚約は突然にー
そして今、彼女は自分の婚約者として、こうして葛城家の門をくぐろうとしている。
その事実を、千紘はまだどこか現実のものとして受け止めきれずにいた。
「……あの、少尉?」
不思議そうに見上げられ、千紘は我に返った。
「失礼しました」
「いいえ。何かございましたか?」
「いえ、何も」
そう答えたものの、千紘はほんの少しだけ視線を逸らした。
小春は首を傾げたが、それ以上尋ねることはしなかった。
すると千紘は、彼女の表情に気づいたように、静かに声をかけた。
「小春さん。どうか、そう固くならないでください」
「え……?」
「今日から、慣れない場所で過ごすことになるのです。初めから何もかも、きちんとなさろうと思わなくてもいいんですよ」
思いがけない言葉だった。
小春は目を瞬かせた。
「ですが、こちらでいろいろと教えていただくのですから、きちんとしなくては……」
「ええ。でも」
千紘は穏やかに頷いた。
「…けれど、何かを間違えたからといって、すぐに困るようなことにはなりません。わからないことがあれば、遠慮なく尋ねてください」
その声音には、少しの気負いもなかった。
ただ、ごく自然に、小春を気遣っている。
小春は、思わず彼の顔を見つめた。