Héritage

第5章 半年ぶりの再会

 午後四時過ぎ

 海外出張から戻った俺は、いつもより早く屋敷に帰ってきた

 車を降りると、玄関先まで出てきた使用人が頭を下げる

「お帰りなさいませ、輝様」

「ただいま」

 長い移動の疲れを感じながら、屋敷の中へ入る

 そのときだった

 応接室のほうから、父親と母親の声が聞こえた

 両親がそろっているのは珍しくない

 けれど、今日は豊嶋家との話し合いがあると聞いていた

 俺は足を止めず、そのまま応接室へ向かった

 扉の前まで来たところで、中から母親の声がする

「では、こちらについてはそのように進めましょう」

 話し合いが終わったらしい

 俺が扉を開ける

「ただいま」

 中にいた全員の視線が、一斉にこちらへ向いた

 父親と母親

 そして、豊嶋家の両親

 その隣に――更がいた

「輝、お帰りなさい」

「お疲れさま」

 両親に続いて、豊嶋家の父親が声をかけてくる

「輝くん、久しぶりだね」

「ご無沙汰しています」

 頭を下げてから、更を見る

 目が合った

「……久しぶり、輝」

「ああ」

 たったそれだけの言葉なのに、妙な感覚があった

 半年ぶりだ

 最後に会ったのは、豊嶋家で兄貴の死と結婚の話をした日

 あの頃より、更の顔つきが少し変わったように見えた

 以前より大人びたというか

 いや

 半年会っていなかったせいで、そう感じるだけかもしれない

「ちょうどいいところに帰ってきた」

 父親が言った

「先ほど、両家で今後について話をしたところだ」

「今後……ですか」

「ああ」

 俺が席につくと、更も隣の席に腰を下ろした

 以前なら、何も気にしなかった距離だった

 それなのに、今日は妙に近く感じる

 ほんの少し身体を動かせば、肩が触れそうな距離

 意識した自分に、少し戸惑った

「喪も明けた」

 父親が淡々と話を続ける

「これまで保留にしていた婚姻について、正式に進めることになった」

 分かっていた

 半年が過ぎれば、こうなることも

 それでも、改めて言葉にされると現実味が増す

 隣を見る

 更は黙って前を向いていた

 表情からは、何を考えているのか読み取れない

「婚約については、正式な場を設ける」

 豊嶋家の父親が続けた

「両家で結納の席も準備するつもりだ」

「分かりました」

 俺が答える

 更も小さく頷いた

「はい」

 その返事は、半年前と変わらない

 けれど、半年という時間を過ごした今は、あの頃とは少し違って聞こえた

 父親と豊嶋家の父親が、今後の予定について話し始める

 結納の日程

 婚約の発表

 式の時期

 いくつかの話が進んでいく

 俺は一つずつ聞きながら、隣に座る更を意識していた

 昔から知っている

 何度も顔を合わせてきた

 兄貴の婚約者だった

 それなのに

 半年ぶりに会った更は、以前とは違う女性に見えた

 理由は分からない

 ただ、気になった

 母親が、ふと更に視線を向けた

「それと、更さんの仕事についてです」

「仕事……?」

 更が少しだけ顔を上げる

「はい」

 母親は穏やかな口調で続けた

「更さんには、現在のお勤め先を辞めてもらいます」

 更の表情がわずかに固まった

「……仕事を辞める、ということですか?」

 その声に、ほんの少し戸惑いが混じる

 俺も母親を見る

 母親は静かに首を横に振った

「現在の会社は、退職してもらいます」

 一度言葉を置いてから、続ける

「ただし、インテリアデザイナーとしての仕事まで辞めてもらうわけではありません」

 更が顔を上げる

「退職後は、神崎グループのホテル事業部へ移ってもらいます」

「……神崎グループへ?」

「ええ」

 母親は迷いなく頷いた

「更さんには、これからもインテリアデザイナーとして働いてもらいたいと思っています」

 更の表情から、わずかに緊張が抜けた

 俺は黙って聞いていた

 母親がこういう話をするときは、必ず先のことまで考えている

「輝は、これから神崎家を背負う立場になります」

 母親の視線が俺に向く

「海外出張も増えるでしょうし、国内外での式典や会食、取引先との社交の場にも出ることになるでしょう」

「はい」

「その際には、妻として更さんに同行してもらう機会も多くなります」

 隣にいる更が、少しだけ姿勢を正した

「今の会社のままでは、輝の仕事と更さん自身の仕事を両立させることが難しくなる可能性があります」

 母親は更を見る

「神崎グループのホテル事業部であれば、インテリアデザイナーとして仕事を続けながら、必要なときには家の予定に合わせて調整することもできます」

「……はい」

「将来、子どもができたときも同じです」

 更が黙って母親の言葉を聞いている

「仕事を辞めることを前提にするのではなく、仕事を続けながら家庭を持てる環境を最初から用意しておく」

 母親の声には、押しつけるような響きはなかった

 むしろ、何年も先のことまで考えた上での判断なのだと分かる

「更さんには、自分の仕事を持っていてほしいと思っています」

 更が少しだけ目を見開いた

「……ありがとうございます」

「お礼を言うことではありませんよ」

 母親が微笑む

「神崎家の妻になるから仕事を捨てる、そんな必要はありません」

 その言葉を聞いて、更の肩から力が抜けたように見えた

 俺はそんな更を横目で見た

 半年ぶりに会ったせいなのか

 さっきから、どうしても視線が向いてしまう

 仕事の話を聞いているときの真剣な表情

 少し考えるように伏せた目

 昔から知っている顔なのに、知らない一面を見ているような気がした

「輝」

 突然、母親に呼ばれる

「はい」

「あなたも異論はないでしょう?」

「もちろんです」

 即答すると、更がこちらを見る

 その視線とぶつかった

 何となく、目を逸らしにくかった

「……そう」

 母親は満足そうに頷いた

「では、細かい話はこれから詰めていきましょう」

 両家の父親たちも頷く

 その後もいくつか話が続いたが、ひと通り決まったところで、両親たちは別室へ移動することになった

「輝、更さん」

 母親が立ち上がる

「久しぶりに会ったのでしょう」

 俺と更を見る

「少し庭でも歩いてきたら?」

「庭……?」

「今日は天気もいいから」

 そう言って、母親はそれ以上何も言わずに部屋を出ていった

 残ったのは、俺と更だけだった

「……行く?」

 更が聞く

「ああ」

 俺たちは応接室を出た

***

 庭に出ると、夕方の光が木々の間から差し込んでいた

 昼間より少し気温が下がり、風が頬を撫でていく

 半年ぶりに歩く更の隣は、不思議なくらい懐かしかった

「忙しかった?」

 更が聞いた

「ああ」

「海外?」

「多かった」

「やっぱり」

 更が小さく笑う

「輝らしいね」

「更は?」

「私も仕事してたよ」

「インテリアの仕事?」

「うん」

 そう答えた更が、少し先にある木々へ視線を向ける

「仕事、好きだから」

「……そうなんだ」

「うん」

 その横顔を見ながら、俺は思った

 更が仕事をしているところを、俺は知らない

 これまで家族同士で会うときに見ていた更とは、少し違う

 一人の女性として、自分の仕事を持っている

 そんな更を、初めて意識した気がした

「ねえ、輝」

「ん?」

「本当に、私でいいの?」

 足が止まる

 更も立ち止まった

 夕方の光が、更の横顔を照らしている

「……どういう意味?」

「結婚のこと」

 更が俺を見る

「輝は、私との結婚でいいの?」

 答えがすぐには出なかった

 いいとか、悪いとか

 そんな簡単な話じゃない

 兄貴がいた頃から、俺たちの未来は別々だった

 それが今、同じ場所へ向かおうとしている

「俺は……」

 一度言葉を切る

「更と結婚することを、嫌だと思ったことはない」

 更の目がわずかに揺れる

「ただ」

 俺は更を見る

「半年ぶりに会ったら、少し変な感じがする」

「変?」

「ああ」

 自分でも、うまく説明できない

「昔から知ってるのに」

 風が吹いた

 更の髪が頬にかかる

 更が手を上げるより先に、俺の手が動きかけた

 けれど、途中で止めた

 自分でも、なぜそうしようとしたのか分からなかった

 更は自分の指で髪を耳にかけた

「……私も」

 小さな声が聞こえた

「輝とこういう話をするの、変な感じ」

「だよな」

 二人で少し笑った

 けれど、さっきまでとは何かが違っていた

 兄貴がいた頃には、考えもしなかったこと

 更と俺が、この先の人生を一緒に歩く

 その未来を、初めて自分のこととして考えた

 更が俺の隣を歩く

 妻として

 その姿を想像した瞬間、胸の奥に小さな熱が生まれた

 俺はその感覚を、まだ言葉にできなかった
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