神崎くんは残念なイケメン
12 大学2年、12月
クリスマスコンサートでは、クリスマスにちなんだ曲目1曲を含む計4曲とアンコール曲を披露する。いずれも10分前後ある曲ばかりだ。
しかし、文化祭でオペラ座の怪人に扮した神崎くんが好評すぎたため、急遽曲目の見直しを迫られた。本当はそのまま押し切ろうと思ってたのだが、すっかり神崎ファントムに魅了されてしまったお客さんからの圧力に屈しざるを得なくなったのだ。文化祭以前から来てくれることを約束してくれていた友人たちすら、「あのファントム出るんだよね?」と聞いてくるくらいだ。
とはいえ、印刷会社に依頼したカラーチラシはすでに4曲目を掲載してしまっていたので、アンコール曲を変更しようということになったーーのが、11月末。
オペラ座の怪人に出てくる歌は、当然、元々はオペラ曲。合唱にアレンジしたメドレーなどもあるが、到底一ヶ月で完成度を高められそうにはなかった。音が大きく動くところで、一人一人の子音のタイミングがずれ、ばらけて聞こえる。合唱としての完成度を上げるのが難しい。
メインの4曲もまだ完成しきっていないのに、アンコール曲に動きがあるのは結構痛かったーーしかも、どうするか具体的に決まっていない。
「どーしよっかなー」
アンコール曲以外の指揮を終えてぼやいたのは、指導をしてくれている大楠先生。まだ30代半ばで、音大講師をしながら指導にあたってくれている。
「どーおしよっかーなー」
大楠先生が歌うように言う。彼はとにかく歌が好きなのだ。だからこそ安い謝礼で指導を引き受けてくれているのだが。
私たちは知っている。こういう時は大概心に決めたことがあるときだ。
「コッコ」
大楠先生は、まず私ににっこり微笑み、私に呼びかけた。次に相ちゃんを見て呼びかけ、最後に神崎くんを呼ぶ。
「ちょっと相談したいから、別の部屋行こう。他のメンバーは休憩ー」
言い置いてスタスタと部屋を出て行く。私たち3人は顔を見合わせ、慌ててついていった。
「で、アンコールなんだけど。どうしよっか」
私たちは互いに顔を見合わせながら、次の言葉に備える。
「相ちゃんは部長として呼んだんだ。他の2人はソロを想定して呼んだ」
「ソロ?」
「合唱が無理そうなら、ソロ交えるしかないよね。で、オペラをソロで歌えるくらいの声量があるソプラノは、コッコくらいだ」
ざっきーはバリトン歌えるから問題ないよん、と補足を聞いて、神崎くんが嬉しくなさそうな苦笑をする。
声の大きさが災いした。私は苦い思いを飲み込む。
「でも、合唱部としては……」
「ま、メインは合唱だね。だからそんなに長くするつもりはないよ。でも、最初に相ちゃんか誰かが挨拶するでしょ。マスカレード歌ってーーまあ、どうにかもう一曲、短くして合唱するとしても、それでおしまい、でいいの。ファントムの出番がないとお客さん満足しないんじゃない」
そう、そこなのだ。問題は。
かといって、必要以上に神崎くんの負担を増やすのもどうかと思われる。お客さんと私たち、互いの妥協点がどこに行きつくかーー
「セリフだけ、っていうのも味気ない。歌をつけようと思うと女声が必要になる」
大楠先生は言って、いたずらっ子のような目になる。
「やっぱり有名どころだし、ファントムとクリスティーヌのデュエットでもあるから、メインテーマを短く入れて、オール・アイ・アスク・オブ・ユーを合唱してしっとり締める、ってのはどうだろう。ーーそのまま終わるとちょっと暗すぎるからね」
大楠先生は私と神崎くんの肩をたたいた。
「ま、やってみなよ。せっかくだから」
編曲は僕がするからさ、と軽やかに笑う先生に、結局口を出す余地はなく、私たち3人は顔を見合わせたのだった。
そして迎えた当日。
4曲目が終わると、相ちゃんが挨拶に立ち、最後に一言言い残して幕を閉じる。
『さて。先月、文化祭に現れた怪人は、姿を現さないままですね。皆様のアンコールでもあれば、応じて出て来るかもしれませんが……』
そこでアンコールの声に応えて幕が開くと、文化祭同様仮面をつけた部員たちによるマスカレード。簡単なふりもつけて盛り上げ、その終わりにかぶせるようにテーマソングのフレーズが始まる。
文化祭同様、赤い衣装に身を包んだ神崎くんが、舞台袖から出てきて合唱団の前に立つーー現れた瞬間に上がる歓声。
ワンフレーズ歌い上げた神崎くんを追うように、ソプラノ最前列に並んだ私が一歩前に進み出て、ワンフレーズ歌い、サビをデュエットーーこの曲は、他の部員はサブコーラスに回る。
神崎くんも仮面を外して合唱の列に加わり、全員でしっとりしたラブソングであるオール・アイ・アスク・オブ・ユーを合唱。
完成度はーーどうにか間に合わせた。
お客さんは、ワンフレーズとはいえ、ファントムに扮した神崎くんによる有名曲に満足してくれたようだった。
私は拍手を聞きながら舞台から降り、どっと疲れを感じた。
後輩へは、文化祭の演目は、クリスマスコンサートと掛け離れないものを選ぶよう、引き継ごうと強く心に決めている。
部員のブーイングの嵐に耳を貸さず早々に服を着替えた神崎くんも、同じくぐったりしていた。私は買ってきた缶コーヒーを手渡す。
「お疲れ様」
「鈴木さんもね」
苦笑が返ってきた。
「しばらく、オペラ座の怪人は見れないな。散々な思い出が蘇りそうだ」
「そうかも。好きだったんだけどなあ。映画のやつ」
私も苦笑を返す。
少しだけ、同じ空気を感じた時、後ろからゆかりちゃんがやって来た。
「コッコ先輩、3年の先輩が呼んでますー!」
「はいはい」
私は慌てて走って行った。
私を呼んだのは、八代先輩だったらしい。なぜか頬に小さな切り傷がある。しばらく忘れていた人を見て、私は思わず身構える。
「今の子、名前なんていうんだっけ」
八代先輩はバイトその他で都合がつかなくなったからと文化祭以降姿を現さなかったのだ。
「ゆかりちゃんです」
「あー、そうだそうだ」
頷いて、はい、とお菓子の袋を差し出す。
「俺、打ち上げ行けないけど、みんなで食べて」
「ありがとうございます」
私が受け取ると、右手を差し出す。
伺うように目を見ると、苦笑いされた。
「握手くらいいいでしょ。駄目?」
甘え上手な弟キャラで通っていた八代先輩に小首を傾げられては断れない。私は息を吸い、止めて、その手を握った。
やっぱり男の人の手だ。
離しながら息を吐き出す。
「不思議だなー」
八代先輩は、私の後ろにまだゆかりちゃんの後ろ姿を見ているかのように言った。
「いっくら可愛くっても、興味そそられない子っていうのもいるんだな」
私はその真意を掴みかね、思わずその頬にある傷に目をやった。
「あ、これ」
八代先輩が苦笑いして、手で頬を撫でる。
「カノジョと喧嘩して、爪で切れた。女の付け爪って凶器だよなー。危ないったらない」
言うとポケットに手を突っ込む。
「よかったよ、ヒロイン役。上手くなったな。元々うまかったけど」
呟くように言うと、笑って背中を向けた。
「じゃーな。コッコももう少し身辺気ぃつけろな。ホイホイついて行かないように」
その背を見送って、私はほっと息を吐き出した。
「あれ、やっしー打ち上げ来ないんだ」
それを見たらしい元部長のゆっきーこと木原由紀子先輩が言う。
「あいつ、就活のプレッシャーで浮気して、社会人のカノジョと大喧嘩したんだって」
私に耳打ちすると、笑った。
「ポメラニアンみたいな顔して、案外やるよねー」
ポメラニアン……
まあ確かに。と思いつつ、ふと考えてしまった。
幸弘は柴犬だな。神崎くんはシベリアンハスキー。
考えて一人、くつくつ笑った。
打ち上げは近くの居酒屋で行われた。
個人店であまり広くないので貸切にしている。和室の小部屋が一つあるのを荷物置場にして、思い思いに席についた。
「ざっきーって、イケメンだよなー」
「まーたその話っすか!」
乾杯の直後に始まったアンドゥ先輩の呟きに、イオンがツッコミを入れた。
「いや、違うの違うの。男も惚れちゃうなって」
「何かあったんですか?」
さがちゃんが身を乗り出す。
「受付始まる頃にさ、入口近くにいた1年が、ちょっと酔っ払いの若者集団に絡まれてて」
「……見てたんですか、あのとき」
神崎くんが途端に苦笑いする。
「たまたま見かけたんだよ。女二人で男三人、20代かな。ヤンキーっぽい感じでさ。クリスマスコンサートって、何やんのーみたいな」
「そうなんすよー!どうしようかと思いました」
急に身を乗り出してきたのは1年の金田吉良くん。きらりんと呼ばれている。絡まれたのは彼らしい。
「絡まれているのに気づいて、『いたいた、金田くん。部長が探してたから行ってくれる?俺ここ代わるから』と走り寄るざっきー!」
うわ、なにお兄さんイケメンじゃーん、と盛り上がるヤンキー。俺たちも聴いていっていいの?と問う彼らに、神崎くんはニッコリと言ったそうだ。
「もちろん。クリスマスにちなんで、ありがたい神父さまのご説教もあるんですよ。曲の合間合間で」
それを聴いたヤンキー連、何それ超つまんなそー、行こう行こう、となったそうな。
「惚れるよなー!」
「惚れちゃいますねー!」
「ざっきー先輩カッコイイっす!」
盛り上がるアンドゥ先輩、吉良っち、さがちゃん。ああどうも、と言う神崎くんは早く話を終わらせたがっている。
「まあそんなざっきーなら、どんな女子が惚れても文句言えないなって。歌もうまいし。ねっ」
たまたま近くにいた私に振られて、曖昧に首を傾げた。
「あっ、アンドゥ先輩、違います。コッコはその中にあって希少な、ざっきーに簡単になびかない女子なんです!」
イオンが横から口を出す。私はますます苦笑した。
「いや、かっこいいと思うよ。顔は」
「……顔は、ね……」
神崎くんのテンションが一段落ちるのが見えて、あれ、と慌てる。
「いや、顔だけじゃなくて、いろいろイケメンだなと思うけど、時々なんていうかーー」
咄嗟にフォローの言葉が出てこず、
「残念な感じが……」
神崎くんの肩がまた一段落ちる。あれっ、違う違う、フォローしようと思ったのに!
改めて口を開きかけたところで、
「香子、もうお前いいから黙ってろ」
後ろから幸弘の手に口を塞がれる。幸弘にはその気がないとわかっていても、触れた手の大きさと温かさに、思わず鼓動が高鳴った。
「ちょっと、やめてよ」
幸弘は、好きな人に、そんな乱暴な触り方しない。そう分かっている痛みと、触れられた熱で一瞬混乱する。
「これ以上ざっきーいじめんな、見てられん」
「いじめてなんか……」
「それを言うなら、コッコだって負けてないよー」
私の背中を押し出しながら言ったのは、元部長のゆっきー先輩。
「何かあったんすか?」
問う幸弘。神崎くんも興味ありげに顔を上げている。
「受付開始後、ロビーで綺麗どころを集めてツーショット写真を撮りたがるOB達を一蹴。『そういうのは、発表後、部員だけになってからにしてください!』って。先輩たちしゅんとしてて、私はスカッとしたー」
うわ、見られてたのか。思わず顔があかくなる。
「コッコ先輩、すごい迫力でした」
にこやかに言うのはゆかりちゃん。いや、一応君をフォローしたのだけど、分かってる?
と、神崎くんが目元を押さえ、大変残念そうに呟いた。
「……見たかった……」
「見なくていいです見せもんじゃないです」
咄嗟に言い返すと、幸弘が噴き出した。
「言われたかった、じゃなくて?」
「え、ざっきーマゾなの?まさかのエム説?」
幸弘の言葉にアンドゥ先輩が便乗し、違いますそれは断固として否定しますと神崎くんが反論した。
「コッコ先輩もカッコイイっす!」
さがちゃんがまた目を輝かせて拳を握る。なんという安定の弟キャラ。
「うん、まあ、ありがとう」
さがちゃんの頭をわしゃわしゃと撫でると、さがちゃんが唇を尖らせた。
「俺、早紀先輩んちの犬じゃないです」
いや、分かってるよ。でも思わずね。
「いや、でもよかったよかった。君たち二人のおかげで助かったよ。みんな満足してくれたみたいだったし」
ゆっきー先輩が言って、私と神崎くんの肩をたたく。
「クリスティーヌとファントムに乾杯!」
陰で女傑と呼ばれるほど飲みっぷりの良いゆっきー先輩は、ビールの大ジョッキを掲げると一気に煽った。
「あああそれ本当勘弁してください」
私が泣きそうになりながら訴えるも、幸弘が苦笑いして呟く。
「しばらく言われるな」
「あんた他人事だと思ってー」
冗談半分襟元を掴んでやると、心外だとでも言うように両手を挙げた。
「だって、デュエットのとき、あんなに見つめ合っちゃって。ヤキモチ焼いちゃう子もいたんじゃないの」
私は頬がほてるのを感じながら、ギリッと奥歯を噛んだ。
「あれはタイミング合わせる為でしょ。たった二人しか歌わないのに呼吸がズレたら聞くに堪えないじゃない」
「その件に関して、指揮の僕から見てると」
ずいぶん遠くにいるのに話が聞こえていたらしく、大楠先生が挙手して言う。
「あれはそんなロマンチックな視線じゃなくて、戦闘前のように覇気のある視線だったな。ざっきー怖くなかった?実は心配してたよ、コッコの視線に殺されないか」
「大楠先生ーー」
私が上げかけた批難の声を、神崎くんが遮る。
「いや、俺は丁度よかったですよ。気が引き締められて」
「視線に覇気を感じてたのは否定しないんだ」
ゆっきー先輩が噴き出した。思わずうなだれた私の肩を、えみりんがたたいた。
「コッコ、ちょっとこっち来て。早紀ちゃんが具合悪いんだって」
私は慌てて席を立った。
「え、早紀が?どこ?」
「こっちこっち。早く」
えみりんの向こうでサリーが手招きしている。
荷物置き場になった和室の奥に、早紀が座り込んでいた。
「早紀、大丈夫ーー」
「捕獲完了!」
「戦闘準備!」
「了解しました!」
「なんのこっちゃい!?」
急に戦隊もののノリで話し始めるサリー、えみりん、香奈ちゃんにニコちゃん。手にはなぜか、ドレス。
「ええと。一体何をする気?」
「そりゃーもちろん。一つしかないでしょー」
「逃げまくるからよ。観念なさい」
サリーが腕まくりしながら言ったのを見て、私は背中を嫌な汗が伝っていくのを感じる。いつの間にサリーとえみりんは共謀する仲になったのだろう。
「あの……ごめんね、香子ちゃん」
早紀の可愛い謝罪の言葉に、私は泣きたくなった。
ドレスを無理矢理着せられた上、えみりんに化粧やらヘアセットやらで散々遊ばれた私は、もはや力なく荷物置き場に座り込んでいた。早紀以外のメンバーは、私が着ていた服を持ち、ちょっと待っててと行って出て行ったきり戻ってこない。
「一体みんな何を考えてるんだろう」
「香子ちゃん、とっても似合ってる。お姫様みたい。可愛いよ」
早紀がふんわり微笑んだ。あなたに言われても素直に喜べない。
実は、ソロの話が出たとき、私もドレスを着たらどうかという意見もあったのだが、断固として拒否したのだ。理由として、女性のお客さんが、自分をクリスティーヌに投影できる方がいいとか、まあ考えつく限りの屁理屈を並べ立てた訳だが。
このドレスも、ニコちゃんの高校から借りてきた衣装なのだろうか。赤紫色のドレスはデコルテがすっきりとあいていて、スカートにはパニエが入っておらず、広がりすぎずに下に落ちていく形だ。裾から少しだけ中の白地が見える。
ガラッと戸が開いた音に、私は振り返った。
「サリー?」
ーーじゃない。
立ってたのは、唖然とした表情の神崎くん。
思わず立ち上がる私。
一瞬見つめ合って、神崎くんは静かに戸を閉めた。
その後、沈黙が訪れる。
「……トイレの場所、わかんなかったのかな」
私が呟くと、早紀が珍しく嘆息した。
「そうかもね……」
それから少しして、戻ってきたサリーたちにより元の服を返してもらい、着替えて人心地ついた私は、何の説明もないままに打ち上げに戻らされた。
神崎くんは私の方を見ないようにしているらしく、視線が合いそうになると反らされる。よほど似合ってなかったか……。ドレスとしてはどちらかというと好みだったのだが。あの場に鏡もなかったことが悔やまれるが、あまり気にしないことした。
私から少し離れたところで、サリーと早紀が話していて、サリーが眉根を寄せたのが見えた。呆れたように嘆息してえみりんを呼ぶ。えみりんもまたサリーから話を聞いて呆れたような顔をし、私を見て嘆息した。
一体なんなのよ!
叫びたくなる気持ちを抑えて、黙々と杯を重ねていると、それに気づいたゆかりちゃんが隣に来た。
「コッコ先輩、自分でお酌なんて味気ないじゃないですか」
お酌しようと銚子に手を伸ばしたので、私は受けるつもりでお猪口を差し出す。しかし、ゆかりちゃんは銚子を持ち上げた途端、熱っ、と手を離した。並々と入っていたお酒がわずかにこぼれ、私の手にもかかる。私は何もいわずすぐさま冷めたお手拭きを自分の手に当てる。
「ゆかりん、大丈夫?」
すかさずゆたぽんこと佐藤豊くんが声をかけ、お手拭きを差し出した。ゆかりちゃんは苦笑してそれを受け取る。
「こんなに熱いと思いませんでした。先輩、かかりませんでした?」
私は、大丈夫、と短く答える。
「一応、流水で冷まして来たら。あと残ったら大変だよ」
横からケイケイが言うと、ゆかりちゃんはそうします、と立ち上がった。
私は冷えたおしぼりを握りしめたまま、静かに再度のため息をついた。