神崎くんは残念なイケメン
13 大学2年、1月
「あけおめー」
「あけおめ。あれ、サリーたち、まだなんだ」
年明けの3日は初詣でにでも行こうか、と、言い出したのはサリーだった。高校のときも3年の冬に3人で行った神社。ぼちぼち就活が始まるので、験担ぎに行こう、と言い、せっかくだからと早紀にも声をかけた。
「わぁ、行きたい」
早紀は嬉しそうに言ってから、でも、と考えるように口元に手をやった。
「私の家から行ったら、だいぶ時間かかりそう。遅くなっちゃうし、あんまりゆっくりできないね」
早紀は埼玉に住んでいるので、その神社までは3、4時間かかりそうだ。
「じゃあ、うち泊まりなよ」
サリーが楽しそうに言った。
「今年は弟が海外で年越しするとかで、お父さんお母さん寂しがってたんだ。喜ぶよ」
サリーの言葉に、迷惑じゃないなら……と早紀が同意し、サリーの家に前泊することになったのだった。
そんな訳で、サリーがいないということは、早紀もまだ来ていないということだ。
「うん。珍しいよなーー」
改札口に立つ幸弘が言ったとき、互いのポケットがブルブルとバイブの振動で震えたので、顔を見合わせてそれぞれ端末を取り出す。
[ごめん、箱根駅伝に遮られて、今ようやく最寄り駅に辿り着きました。寒いから暖かいところで待ってて]
[三が日地元から出ない理由を今更思い出した]
メッセージを目にした私と幸弘は顔を見合わせて笑った。
「災難だったね。そういえばすっかり忘れてた。サリーの家、街道近くにあったっけ」
「そういや、一回聞いたことあったわ。生で応援行ったりするのか。箱根駅伝はテレビで見るもんだって返ってきたけど」
「サリーらしいね」
笑って話しながら歩き出す。幸弘と二人で話すのは久々だった。ーーと意識すると、途端にそわそわし始める。もうほとんど癖みたいなものだと自嘲しながら、私は言った。
「って言っても、この近辺お店ないよね。神社に併設してる喫茶店くらいしか……」
「うん、まあ、仕方ないんじゃない。そこで待ってよう」
幸弘が言う。
「今日、ざっきーも誘ったんだけど、親戚の手伝いで忙しいから来れないって」
私は興味をそそられて目を輝かせる。
「神崎くんって、神主の息子か何かなの?地元鎌倉だし、神崎だし、流鏑馬やってるし」
幸弘は、この手の話にあまり興味を持たない。案の定無関心そうに答えた。
「いや、違うんじゃない。どっかで繋がってるかもしれないけど。親父さんが神主とは聞いてないよ」
「そっか」
私が肩を竦めると、幸弘がいたずらっぽい目をして見返してきた。
「香子がざっきーの話題に食いつくの、珍しいじゃない。さすがに興味沸いた?」
何か茶化す材料を探しているような幸弘に、私は半眼になって応えた。
「だって、流鏑馬やってるなんて珍しいじゃない。興味持たない方が珍しいよ」
幸弘はひょいと肩を竦めて、そんなもんかねー、と言った。
サリーと早紀が着いたのは、私がホットコーヒー、幸弘がオレンジジュースを飲み終え、お手洗いを済ませた後だった。
「ごめーん、待たせて。早紀もごめんね、せっかく前泊したのに、これじゃ意味ないよね」
サリーが言うと、早紀は首を振る。
「ううん。おかげでね、駅伝の走者が見れたの。早かったぁ」
目は嬉しそうに輝き、寒さのためか白い顔に赤みが差している。
「早紀は喜んでるみたいだな」
幸弘が笑うと、サリーが後ろ頭をかいた。
「それならいっか」
「しっかし、大変だったな」
「ほんと。すっかり忘れてたよー」
サリーと幸弘が歩き出す後ろを、私と早紀が着いていく。
「昨日は遅くまで起きてたの?」
「ううん。10時くらいに寝たよ。サリーちゃん、夜早いから」
私の問いに早紀が答えた。そう、サリーは遅くまで起きていられない体質で、22時には眠くなってしまう。不眠症とは無縁なタイプなのだ。
布団に入って数秒で眠れるのは羨ましいが、本人なりに悩みでもあるらしい。
まあでも、だからこそいつでもエネルギッシュで明るいのだろうと納得できる。
「参拝したら、おみくじしようよ」
サリーが振り返って言うと、幸弘が応じた。
「あ、俺おみくじパス。何かそこで運を使い切っちゃう気がする」
「就活も運頼みかい」
サリーが突っ込むと、私たちが笑った。
参拝とおみくじを終えると、サリーと早紀はお手洗いに行くと言うので、私と幸弘はその場で待つことになった。
ふと、参道を歩く仲睦まじいカップルに目が留まり、幸弘に問う。
「告白、しないの?」
幸弘の視線が泳いだ。
「えーと……ほら、発表の練習とか、忙しかったし」
「うん」
私は頷いてから、
「でも、もう3年になるし。ーー私たち、大学も違うから、なかなか会えなくなるよ」
「分かってる、けどーー」
幸弘が言葉を切って黙り込む。
私は苦笑した。
「ごめん。お節介だよね」
「いや」
幸弘はかぶりを振る。
「香子なりに、俺のこと考えてくれてるからだろ。ありがと」
幸弘がまっすぐに私を見て笑った。ーー途端に、切なくなる。
「ーー違う、かもしれない」
「え?」
「私、ね」
ゆっくりと、息を吸い、
「幸弘のことが、好きだよ」
幸弘の目が、驚きに見開かれる。
その目を見て、思った。
ああ、駄目だ。
今の私には、受け止められない。彼の答えが。
「ーー早紀のことも」
付け足された言葉に、幸弘は安心したように吐息し、苦笑した。
「一瞬、何のことかと思った。……そっか、ありがと」
私はおみくじが結わえ付けられた細い枝に目をやる。
たくさんの人の想いを託された白いおみくじは、まるで棘のように見えた。
「二人には、たくさん笑っていてほしい。幸せになってほしい。そう思ってるよ」
ーー神様。
どうか、聞き咎めないでください。
この、嘘と本音の入り混じった言葉を。ーー
私が心中で神に祈ったところで、サリーたちが戻ってきた。
「お待たせー。向こうに屋台あったよー」
「ほんと?いいね、行こう」
私は何事もなかったように微笑むと、サリーの方へ歩き出した。
「よーし、サリーちゃんがお詫びにタコ焼き奢っちゃうぞー」
「いいの?やったー」
私は笑って両手を上げた。
私たちは、しばらく4人で過ごした後、乗り換え駅で解散した。
都内まで早紀を送った幸弘からメッセージが届いたのは、自分の部屋に入ったときだった。
[言ったよ]
たった一言。
私は笑顔で親指を立てた絵を送り、ゆっくり息を吐き出した。
電話じゃなくてよかった。
一人で、部屋にいるときで、よかった。
目の奥が熱くなるのを堪えるために、ゆっくり目を閉じる。
かろうじて、涙は瞼の内側に留まり、頬を伝い落ちずに済んだ。
成人式を終えた週のサークルで、我々2年は早めに集まり、次期役員について話し合う予定だった。
そんな中、神崎くんから、早めに来るなら弓道場に寄ってくれと連絡があり、私はまず弓道場まで足を運んだ。
「ごめんね、お呼び立てしちゃって」
神崎くんは弓道場から少し離れた場所に立っていた。弓道着の中には、防寒のためかハイネックのTシャツを着ている。弓道部は自主練習の日なのか、ぱらぱらと人が出入りしているようだった。
「ううん。どうしたの?」
「これ」
私が寄っていくと、神崎くんが包みを差し出した。
「京都で買ったんだけど、鈴木さんに」
私はちょっと首を傾げて、それを受け取った。
「開けてもいい?」
神崎くんが頷いたのを確認して、包み紙を開く。持ち運びできる小さな手鏡だ。裏面には千代紙が埋め込まれているのか、赤をベースにした和柄の模様が入っている。
「わぁ、かわいい。わざわざありがとう」
私は微笑んで顔を上げた。
「でも、何で?」
私の問いに、神崎くんは言葉を探すように目を泳がせてから言った。
「年明けのお礼をしたくって」
文化祭からクリスマスコンサートまで、神崎くんにはずいぶん無理をさせてしまったーーそれが気になっていた私は、 神崎くんの誕生日が年末ということをたまたま幸弘から聞いて 、年始にシンプルなペンをプレゼントしたのだ。2色ボールペンとシャーペンがセットされたもので、これから就活でも役に立つのではと思ったのだが、逆に気を使わせてしまったかと苦笑する。
「お礼なんて、よかったのに。逆にごめんね」
「あ、違うんだ、気を使った訳じゃなくてーーこばやんが、鈴木さん1月生まれだって言ってたし、その」
神崎くんはまた言葉を探すように目を泳がせ、苦笑した。
「お互い、ソロお疲れさまってことで」
私は笑った。
「そっか。そうだね、確かに。ありがとう」
私がお礼を言ったとき、後ろから砂利を踏む足音がした。
「あれ、神崎が見知らぬ女子と話してる」
聞き覚えのない声に振り返ると、飲み物を買ってきたところなのか、弓道着に雪駄を履いた一人の男子が、財布とペットボトルを持ったまま歩いてきた。焦げ茶のフレームの眼鏡をかけている。
「なに、お前彼女いたの。だから他の女に見向きもしないんだ」
「違っーーそういうんじゃ」
「違いますよ。もう一つのサークルの仲間です」
私が笑顔で言うと、そうなのかー、と近づいてきた男子は言いながら、ペットボトルと財布を脇に挟んで、寒いのか袖と袖に手を突っ込む。さして身長は高くないし、顔立ちが特別整っている訳でもないが、何となく印象のいい人だ。
「三十三間堂でも大変だったんですよ、こいつ。この容姿で、入賞まで残っちゃうから」
「三十三間堂?」
三十三間堂といえば、言わずと知れた京都の名所の一つだ。中学の修学旅行で訪れた記憶があるが……入賞って?京都の名所と賞が結び付かず、私が首を傾げると、男子は笑った。
「あ、ほんとに彼女じゃないんだ。それ、聞いてないって反応だもんね」
神崎くんが、嫌そうな視線を送っているのを全く気にせず、男子は言う。
「段持ちの新成人は、年始に三十三間堂で通し矢に参加できるんだ。普段の的より遠くて、二本命中したら予選突破。我らが神崎くんは、部内で唯一決勝に進出した上、4位入賞という快挙を果たしましたー!」
言って、ぱちぱちと拍手するので、私も思わず、おー、と拍手した。神崎くんが苦笑している。
「普通、予選終わるとだいぶ人が減るんだけど、予選終わった女子も結構残って見て行ってたみたいでね。たくさん写真撮られたと思うなー、知らないうちに。声かけられたときには断ってたみたいだけど」
「へぇ、三十三間堂でそんな行事があるなんて知らなかった。いいですね、歴史ある名所で弓道なんて。思い出になりますね」
私が興味を持って応じると、嬉しそうに微笑んだ。
「うん、女子は振袖に袴で出るから華やかなんだよー。君はもう成人したの?」
「同じ歳です。今から始めても、もう出られませんね」
私が言うと、残念だねと笑った。神崎くんは相変わらず嫌そうに嘆息して、男子に言った。
「立木、もう戻れよ」
「えー、いいじゃん。美人さんと話したら命中率が上がる気がする」
言って、立木と呼ばれた男子は、ペットボトルと財布を持った手で、弓を引く仕種をする。
「神崎くんも、まだ練習中なんでしょ?お邪魔しちゃっても悪いから、そろそろ行くね。ありがとう」
「俺も、もう少ししたら行くから」
「うん、待ってるね。じゃあ」
私は立木くんにぺこりと会釈して、背を向けて歩き出した。
「待ってるねって……ヤバくね?」
「え、神崎、お前結構重症?」
わずかに後ろで聞こえる会話は相変わらずよく分からないけど、ポケットに入れた手の平サイズの包みに触れる。
じわじわと、くすぐったい喜びが沸いてきて、自然と口角が上がった。
「あけおめ。あれ、サリーたち、まだなんだ」
年明けの3日は初詣でにでも行こうか、と、言い出したのはサリーだった。高校のときも3年の冬に3人で行った神社。ぼちぼち就活が始まるので、験担ぎに行こう、と言い、せっかくだからと早紀にも声をかけた。
「わぁ、行きたい」
早紀は嬉しそうに言ってから、でも、と考えるように口元に手をやった。
「私の家から行ったら、だいぶ時間かかりそう。遅くなっちゃうし、あんまりゆっくりできないね」
早紀は埼玉に住んでいるので、その神社までは3、4時間かかりそうだ。
「じゃあ、うち泊まりなよ」
サリーが楽しそうに言った。
「今年は弟が海外で年越しするとかで、お父さんお母さん寂しがってたんだ。喜ぶよ」
サリーの言葉に、迷惑じゃないなら……と早紀が同意し、サリーの家に前泊することになったのだった。
そんな訳で、サリーがいないということは、早紀もまだ来ていないということだ。
「うん。珍しいよなーー」
改札口に立つ幸弘が言ったとき、互いのポケットがブルブルとバイブの振動で震えたので、顔を見合わせてそれぞれ端末を取り出す。
[ごめん、箱根駅伝に遮られて、今ようやく最寄り駅に辿り着きました。寒いから暖かいところで待ってて]
[三が日地元から出ない理由を今更思い出した]
メッセージを目にした私と幸弘は顔を見合わせて笑った。
「災難だったね。そういえばすっかり忘れてた。サリーの家、街道近くにあったっけ」
「そういや、一回聞いたことあったわ。生で応援行ったりするのか。箱根駅伝はテレビで見るもんだって返ってきたけど」
「サリーらしいね」
笑って話しながら歩き出す。幸弘と二人で話すのは久々だった。ーーと意識すると、途端にそわそわし始める。もうほとんど癖みたいなものだと自嘲しながら、私は言った。
「って言っても、この近辺お店ないよね。神社に併設してる喫茶店くらいしか……」
「うん、まあ、仕方ないんじゃない。そこで待ってよう」
幸弘が言う。
「今日、ざっきーも誘ったんだけど、親戚の手伝いで忙しいから来れないって」
私は興味をそそられて目を輝かせる。
「神崎くんって、神主の息子か何かなの?地元鎌倉だし、神崎だし、流鏑馬やってるし」
幸弘は、この手の話にあまり興味を持たない。案の定無関心そうに答えた。
「いや、違うんじゃない。どっかで繋がってるかもしれないけど。親父さんが神主とは聞いてないよ」
「そっか」
私が肩を竦めると、幸弘がいたずらっぽい目をして見返してきた。
「香子がざっきーの話題に食いつくの、珍しいじゃない。さすがに興味沸いた?」
何か茶化す材料を探しているような幸弘に、私は半眼になって応えた。
「だって、流鏑馬やってるなんて珍しいじゃない。興味持たない方が珍しいよ」
幸弘はひょいと肩を竦めて、そんなもんかねー、と言った。
サリーと早紀が着いたのは、私がホットコーヒー、幸弘がオレンジジュースを飲み終え、お手洗いを済ませた後だった。
「ごめーん、待たせて。早紀もごめんね、せっかく前泊したのに、これじゃ意味ないよね」
サリーが言うと、早紀は首を振る。
「ううん。おかげでね、駅伝の走者が見れたの。早かったぁ」
目は嬉しそうに輝き、寒さのためか白い顔に赤みが差している。
「早紀は喜んでるみたいだな」
幸弘が笑うと、サリーが後ろ頭をかいた。
「それならいっか」
「しっかし、大変だったな」
「ほんと。すっかり忘れてたよー」
サリーと幸弘が歩き出す後ろを、私と早紀が着いていく。
「昨日は遅くまで起きてたの?」
「ううん。10時くらいに寝たよ。サリーちゃん、夜早いから」
私の問いに早紀が答えた。そう、サリーは遅くまで起きていられない体質で、22時には眠くなってしまう。不眠症とは無縁なタイプなのだ。
布団に入って数秒で眠れるのは羨ましいが、本人なりに悩みでもあるらしい。
まあでも、だからこそいつでもエネルギッシュで明るいのだろうと納得できる。
「参拝したら、おみくじしようよ」
サリーが振り返って言うと、幸弘が応じた。
「あ、俺おみくじパス。何かそこで運を使い切っちゃう気がする」
「就活も運頼みかい」
サリーが突っ込むと、私たちが笑った。
参拝とおみくじを終えると、サリーと早紀はお手洗いに行くと言うので、私と幸弘はその場で待つことになった。
ふと、参道を歩く仲睦まじいカップルに目が留まり、幸弘に問う。
「告白、しないの?」
幸弘の視線が泳いだ。
「えーと……ほら、発表の練習とか、忙しかったし」
「うん」
私は頷いてから、
「でも、もう3年になるし。ーー私たち、大学も違うから、なかなか会えなくなるよ」
「分かってる、けどーー」
幸弘が言葉を切って黙り込む。
私は苦笑した。
「ごめん。お節介だよね」
「いや」
幸弘はかぶりを振る。
「香子なりに、俺のこと考えてくれてるからだろ。ありがと」
幸弘がまっすぐに私を見て笑った。ーー途端に、切なくなる。
「ーー違う、かもしれない」
「え?」
「私、ね」
ゆっくりと、息を吸い、
「幸弘のことが、好きだよ」
幸弘の目が、驚きに見開かれる。
その目を見て、思った。
ああ、駄目だ。
今の私には、受け止められない。彼の答えが。
「ーー早紀のことも」
付け足された言葉に、幸弘は安心したように吐息し、苦笑した。
「一瞬、何のことかと思った。……そっか、ありがと」
私はおみくじが結わえ付けられた細い枝に目をやる。
たくさんの人の想いを託された白いおみくじは、まるで棘のように見えた。
「二人には、たくさん笑っていてほしい。幸せになってほしい。そう思ってるよ」
ーー神様。
どうか、聞き咎めないでください。
この、嘘と本音の入り混じった言葉を。ーー
私が心中で神に祈ったところで、サリーたちが戻ってきた。
「お待たせー。向こうに屋台あったよー」
「ほんと?いいね、行こう」
私は何事もなかったように微笑むと、サリーの方へ歩き出した。
「よーし、サリーちゃんがお詫びにタコ焼き奢っちゃうぞー」
「いいの?やったー」
私は笑って両手を上げた。
私たちは、しばらく4人で過ごした後、乗り換え駅で解散した。
都内まで早紀を送った幸弘からメッセージが届いたのは、自分の部屋に入ったときだった。
[言ったよ]
たった一言。
私は笑顔で親指を立てた絵を送り、ゆっくり息を吐き出した。
電話じゃなくてよかった。
一人で、部屋にいるときで、よかった。
目の奥が熱くなるのを堪えるために、ゆっくり目を閉じる。
かろうじて、涙は瞼の内側に留まり、頬を伝い落ちずに済んだ。
成人式を終えた週のサークルで、我々2年は早めに集まり、次期役員について話し合う予定だった。
そんな中、神崎くんから、早めに来るなら弓道場に寄ってくれと連絡があり、私はまず弓道場まで足を運んだ。
「ごめんね、お呼び立てしちゃって」
神崎くんは弓道場から少し離れた場所に立っていた。弓道着の中には、防寒のためかハイネックのTシャツを着ている。弓道部は自主練習の日なのか、ぱらぱらと人が出入りしているようだった。
「ううん。どうしたの?」
「これ」
私が寄っていくと、神崎くんが包みを差し出した。
「京都で買ったんだけど、鈴木さんに」
私はちょっと首を傾げて、それを受け取った。
「開けてもいい?」
神崎くんが頷いたのを確認して、包み紙を開く。持ち運びできる小さな手鏡だ。裏面には千代紙が埋め込まれているのか、赤をベースにした和柄の模様が入っている。
「わぁ、かわいい。わざわざありがとう」
私は微笑んで顔を上げた。
「でも、何で?」
私の問いに、神崎くんは言葉を探すように目を泳がせてから言った。
「年明けのお礼をしたくって」
文化祭からクリスマスコンサートまで、神崎くんにはずいぶん無理をさせてしまったーーそれが気になっていた私は、 神崎くんの誕生日が年末ということをたまたま幸弘から聞いて 、年始にシンプルなペンをプレゼントしたのだ。2色ボールペンとシャーペンがセットされたもので、これから就活でも役に立つのではと思ったのだが、逆に気を使わせてしまったかと苦笑する。
「お礼なんて、よかったのに。逆にごめんね」
「あ、違うんだ、気を使った訳じゃなくてーーこばやんが、鈴木さん1月生まれだって言ってたし、その」
神崎くんはまた言葉を探すように目を泳がせ、苦笑した。
「お互い、ソロお疲れさまってことで」
私は笑った。
「そっか。そうだね、確かに。ありがとう」
私がお礼を言ったとき、後ろから砂利を踏む足音がした。
「あれ、神崎が見知らぬ女子と話してる」
聞き覚えのない声に振り返ると、飲み物を買ってきたところなのか、弓道着に雪駄を履いた一人の男子が、財布とペットボトルを持ったまま歩いてきた。焦げ茶のフレームの眼鏡をかけている。
「なに、お前彼女いたの。だから他の女に見向きもしないんだ」
「違っーーそういうんじゃ」
「違いますよ。もう一つのサークルの仲間です」
私が笑顔で言うと、そうなのかー、と近づいてきた男子は言いながら、ペットボトルと財布を脇に挟んで、寒いのか袖と袖に手を突っ込む。さして身長は高くないし、顔立ちが特別整っている訳でもないが、何となく印象のいい人だ。
「三十三間堂でも大変だったんですよ、こいつ。この容姿で、入賞まで残っちゃうから」
「三十三間堂?」
三十三間堂といえば、言わずと知れた京都の名所の一つだ。中学の修学旅行で訪れた記憶があるが……入賞って?京都の名所と賞が結び付かず、私が首を傾げると、男子は笑った。
「あ、ほんとに彼女じゃないんだ。それ、聞いてないって反応だもんね」
神崎くんが、嫌そうな視線を送っているのを全く気にせず、男子は言う。
「段持ちの新成人は、年始に三十三間堂で通し矢に参加できるんだ。普段の的より遠くて、二本命中したら予選突破。我らが神崎くんは、部内で唯一決勝に進出した上、4位入賞という快挙を果たしましたー!」
言って、ぱちぱちと拍手するので、私も思わず、おー、と拍手した。神崎くんが苦笑している。
「普通、予選終わるとだいぶ人が減るんだけど、予選終わった女子も結構残って見て行ってたみたいでね。たくさん写真撮られたと思うなー、知らないうちに。声かけられたときには断ってたみたいだけど」
「へぇ、三十三間堂でそんな行事があるなんて知らなかった。いいですね、歴史ある名所で弓道なんて。思い出になりますね」
私が興味を持って応じると、嬉しそうに微笑んだ。
「うん、女子は振袖に袴で出るから華やかなんだよー。君はもう成人したの?」
「同じ歳です。今から始めても、もう出られませんね」
私が言うと、残念だねと笑った。神崎くんは相変わらず嫌そうに嘆息して、男子に言った。
「立木、もう戻れよ」
「えー、いいじゃん。美人さんと話したら命中率が上がる気がする」
言って、立木と呼ばれた男子は、ペットボトルと財布を持った手で、弓を引く仕種をする。
「神崎くんも、まだ練習中なんでしょ?お邪魔しちゃっても悪いから、そろそろ行くね。ありがとう」
「俺も、もう少ししたら行くから」
「うん、待ってるね。じゃあ」
私は立木くんにぺこりと会釈して、背を向けて歩き出した。
「待ってるねって……ヤバくね?」
「え、神崎、お前結構重症?」
わずかに後ろで聞こえる会話は相変わらずよく分からないけど、ポケットに入れた手の平サイズの包みに触れる。
じわじわと、くすぐったい喜びが沸いてきて、自然と口角が上がった。