魔力が漏れる体の辺境令嬢は、前世の調合スキルと従兄の溺愛で生きていきます
第三十五章 配る仕事
設置作業は、二週間かかった。
区画内の各節に、ノエルの中継器が据えられた。蓄めて、調律して、次へ渡す。彼の小さな装置の、大きな兄弟たちだった。各器には安全機構が付いていた。負荷が限界を超えれば、自動で回路が切れる。誰かが倒れる前に、機械が止まる設計だった。
「人は我慢するからな」とノエルは言った。「機械は、我慢させない」
術者たちは各地から集められ、手順の訓練を受けた。残響を読む者、結ぶ者、領域を保つ者。誰も、全工程はできない。けれど手順書と輪番表があれば、工程は回った。輪番の管理はアデルが担い、彼女の表には、各人の上限と、交代の時刻と、食事と休憩の時間まで書き込まれていた。
初日の訓練では、他区画の古参が、輪番そのものに異を唱えた。「昔は、一人で三節を見たもんだ」。レオンが短く答えた。「その三節のうち、二つは記録が痩せて、異変に気づけなかった節だ。……一人で見る時代は、終わったんです」。空気が少し張ったが、古参は最後まで訓練に残った。経験の否定ではなく、経験の置き場所の変更だった。
顔ぶれは様々だった。ベテランのハンスは装置に懐疑的で、「機械に任せていれば、腕が鈍る」と公言していた。地元出身の術者カヤは、村の水路と節の癖を身体で知っていた。若手のルネは熱心さが先行し、アデルに「上限は申告より低く置く」と二度も表を直されていた。――誰もが、別の誰かの代わりにはなれない。けれど、組み合わせれば、全体は回る。その発想が、現場の合言葉になっていった。
訓練の二日目、カヤが公式の水路図の誤りを指摘した。雪解けの時期だけ現れる細い側路が、図にないのだという。「子どもの頃から、そこで洗い物をしてました。図は、現場を知らない人が引いたんです」。ユリウスはその場で図を訂正し、欄外に記録者の名を書いた。『側路の存在、カヤの証言による』。記録に現場の名が入ること。それも、この作戦の小さな改革だった。
リゼットへの供給も、計画の一部に組み込まれた。作戦期間中は、装置にユリウスとレオンと、訓練を受けた術者数名が少しずつ魔力を貯め、彼女はパッチで受け取る。クロードは村の医療班の責任者として避難所に詰めることになった。傍にいない。――それが、計画の通常の形だった。
出発の前、クロードは彼女の診察記録の写しを、ユリウスに託した。「私がいない間の、数値の見方はここに。判断に迷ったら、原本ではなく、この写しの基準で」。主治医の不在もまた、手順と記録で埋められていた。彼女の身体の情報も、一人の手の中にはなかった。
作戦の四日目、避難所の医療班から届いた書類の束の中に、彼女の供給記録の写しが混ざっていた。数値の欄はユリウスの字だったが、欄外に、見覚えのある筆跡で、一つだけ数値でないものが書かれていた。『よく眠れているか』。質問の形をした、確認事項。リゼットは自分の記録の欄外に、同じ大きさの字で返事を書いて、戻りの書類に挟んだ。『眠れています。そちらも』。二人のやり取りは、作戦の書類の欄外で、静かに往復していた。
訓練の三日目、机上演習が本番の縮図になった。「術者一名、負傷で離脱」の想定で、引き継ぎに四分かかった。目標は三分。ハンスが毒づいた。「本番で四分も空けば、流れは荒れる」
「だから、今、荒らしておくんです」とアデルが言った。「失敗は、演習の中でなら安い」
演習はその日のうちに三度繰り返され、最後は二分半で引き継げた。ハンスは帰り際、ルネの道具の紐の結び目を、無言で直していた。
試験運転の日、区画の流れは半分まで整ったところで乱れた。三番の中継器の調律が、隣と合っていない。数値には出ない、微かなずれだった。
リゼットは目を閉じた。香りの重なりとして聞く。左は水の匂いが強く、右は土が重い。その中間――彼女は言葉で指示を出した。「三番を半音、二番の側へ寄せて。一番はそのまま」
ノエルが調整し、流れが、すっと揃った。
「……数値に出ないものを、数値以上に直すな」
そのとき、調整の余波で、節の台の周りの流れが小さく渦を巻いた。リゼットは手を掲げ、自分の領域を、台の一つ分の広さにだけ張った。部屋一つが精密な上限の、彼女の領域。渦は境界の内側で静まり、術者たちは乱れのない空気の中で、落ち着いて次の手順に移れた。
「私の仕事は、これだけです」とリゼットは笑った。「小さく区切って、整えて、渡す。あとは、皆さんの仕事」
翌日、思わぬ報告が上がった。三番の隣、四番の中継器の、音のわずかな変わり目を、ハンスが耳で捉えたのだ。数値には、まだ出ていなかった。「機械に任せれば腕が鈍る、は撤回する」と彼は言った。「ただし、機械の面倒は、腕のある人間が見ないと回らん。それが俺の持ち場だ」。懐疑者は、計画の中で、最も厳しい検査役になっていた。
大巡りの日まで、あと九日。故郷の空の匂いは、まだ重かった。けれど、仕組みは、もう一人の中にはなかった。