いつか星が見えたら、あなたと見に行きたい。

FRAGMENT 01 断念

——私の目の前に広がるのは、綺麗なひまわり畑。私の前を歩くのは、私によく似たような男の子。
「ママ早く!ひまわり綺麗だよ!」
「そんなに早く走ると転ぶわよ?」
 男の子のことなんて知らないはずなのに、なぜか私にはわかることがある。それに——
 ドテッ……!
「わっ……!?」
「大丈夫……!?」
 だから転ぶって言ったのに……
「うえぇ〜ん……!痛いよ……」
「大丈夫よ。ママが治してあげるから!」
「ありがとう……ママ……」——

 チリリリーン……!
「んん……?はぁ……また夢……?」
 布団の横に置かれたカレンダーを確認すると、今日は1997年の10月3日だ。朝9時26分。謎の夢を見て目を覚ましたのは大学を中退したばかりの奥田 千夏(オクダ チカ)(21)。この日はアルバイトの面接がある。
 ジャバジャバ……キュッ……
「ふぅ……」
 シュッシュッ……
「行くか……」
 彼女には自信がなかった。アルバイトに採用されても、顔のことを弄られてしまうのではないか。年長者扱いされるのではないか。行く先々で言われるのは『子どもは何歳なの?』。当然だが、大学を中退したばかりの彼女に子どもなどいない。それでも気になるのは、毎晩のように夢に出てくる男の子のことだった。
「私に子ども……いやいや……」
 鏡を見ながら、自分に子どもがいるなんて信じられないと言い聞かせる。
 バタン……
 彼女はアパートの鍵をかけて面接に向かった。

焼肉屋『肉笑中』 10:05
「お待ちしてました。じゃあ履歴書ありますか?」
「はい……お願いします」
「えぇ〜と……?」
 面接を担当するのは店長の新田 義康(ニッタ ヨシヤス)(28)。
「大学辞めちゃったんだ?ってか21歳なの!?」
「はい……実はこれでも、21歳です……」
「はぁ……?」
 この反応は一度や二度じゃない。むしろ慣れてしまっていた。
「一人暮らし?他はどこかで働いているの?」
「両親はもういなくて、他はパチンコ屋の掃除やってます」
「そっか。とりあえず採用はするけど、無理はしないようにね?」
「ありがとうございます!」
 面接は採用。肉笑中はランチとディナーで営業を分けている。早朝はパチンコ屋、肉笑中はランチとディナーの両方に出勤する。かなり多忙にはなるが、一人で生きていくためには働くしかない。これだけ忙しいと恋をする余裕もない……
「入れるなら明日からお願いしようかな?とりあえずディナーにする?」
「はい!お願いします」
 一生懸命働けば、いつか誰かが認めてくれる!彼女は毎日そう信じている。

焼肉屋『肉笑中』 10/04 18:00
 今日は肉笑中の初出勤日。裏口の扉を開けて挨拶を交わす。
「おはようございます」
「おはよう……そしたらこれ着て、着替え終わったらタイムカードを押す。済んだら教えて」
「はい!」
 渡されたのは『肉』と書かれた黒いTシャツと、紺色のサロン。頭には白いタオル。タオルで髪を隠すと、痩せた肝っ玉母ちゃんにしか見えない。良く言えば仕事ができるように見えるため、初出勤ながらプレッシャーに襲われる。
「おはようございます」
「はい皆!今日から働くことになった奥田さんだ。飲食の経験はあるみたいだけど焼肉屋は初めてらしいから、皆よろしくな!」
「奥田です。お願いします」
「じゃあ今日は、この柳瀬君に色々教えてもらいながら卓番を覚えて、基本提供になるかな」
 彼女に仕事を教えることになったのは柳瀬 幸風(ヤナセ ユキカゼ)(21)。大学3年生だ。千夏が通っていた大学は桜ヶ丘大学だが、幸風は臨海都市大学に在学している。それにしても童顔だな……
「お……俺は柳瀬幸風って言います……よ……よろしくおねしゃす……!」
「おねしゃす……!?はい!よろしくお願いします」
 まさか彼女を前に緊張しているのだろうか?その光景を店長はほくそ笑んで見ている。
「ではえっと、卓番から……教えます……!どうぞ!」
「はい……!(そんなに緊張されるとマジ落ち着かないんだけど……)」
 店内には20席の通常席があり、奥には最大10人まで利用できる宴会場もある。
「こっちが団体様用の座敷です。最大で10人は入れます……それでこっちが、2名様用……」
「わかりました」
 卓番をメモしながら幸風の話を聞いているが、なるべく目を合わせないようにした。一瞬でも目が合ってしまうと、彼はすぐに緊張してしどろもどろになってしまうためだ。
「そういえば……お名前聞いてなかった!」
「名前?奥田ですけど?」
「それ……苗字ですよね?あの……」
 彼は人差し指で床を指差した。下の名前を知りたいようだ。
「下の名前ですか?千夏って言います」
「千夏さん……!可愛い名前……ってすみません!今のは冗談です……!」
「ははは……」
 早く終わらないかな?仕事を教えてもらっているだけなのに茶番劇だ。でも、何か見たことがあるような?理由は説明できないが、なぜか幸風の顔を知っている。
「きょきょ……今日は土曜日……だから、忙しいと思います。困ったら、店長より俺に聞いてください……!」
「はあ……?(自信満々に言ったわね……)」

肉笑中 20:45
 ザワザワ……ガヤガヤ……
「お待たせいたしました……生ビールと、こちらハラミ2人前になります」
「そこ置いといて……」
 コトッ……
 初日であるため仕事は提供のみ。やはり土曜日だけあって客足が絶えない。提供だけでもかなり体力を使う。だが元々仕事の覚えが早い彼女は、メモを確認しなくても卓番を把握できていた。
「ふぅ……耳かゆい……」
 汗がタオルに染みて締めつけ部分がかゆくなる。
「はぁ……」
 耳をかいた。焼肉の煙がしみて目を瞑った。
——バチバチ……
「うえぇ〜ん……!」
「ちょっと火止めて!早く……!」
「うぅ……わかった……!」——

「……!?今の何……!?」
 突然脳裏をよぎったのは焼肉の火が強すぎて、脂がバチッ!と飛んで赤ん坊の顔に当たる光景。
「見ちゃった……」
 一体何を見たのだ?見えてしまった事実に絶望的な表情を浮かべる。
「奥田さん?」
「あっ……!?すみません……」
 彼女は厨房へ戻るために歩いた。辺りを見渡している。あの赤ん坊はどこにいるのだろうか?
 バチバチ……!
「ちょっと火強すぎない……?」
「ホルモンはこれくらいの火で焼かないとダメなんだよ」
「……!?あの子……!」
 彼女が見ているのは1歳くらいの子どもと、その若い両親。ホルモンを焼いているが、脂が落ちて火がメラメラと燃えている。
「奥田さん?」
「すみません、これ貸してください!」
 彼女は幸風が持っていたハイボールの氷を素手で掴む。本当はやってはいけないのだが、今回は仕方がなかった。
 カチッ……
 彼女はロースターの火力調整つまみを回し、火を消すと——
 シュゥゥ……
 掴んだ氷を網に置いて火が消えるのを待った。
「ああ!?燃えてたのに何で消すんだよ……!?」
「申し訳ありません!すぐにでも火が飛びそうだったので……」
 彼女のとっさの行動で脂は飛ばず、それ以上燃えることはなかった。
「だから言ったじゃない!?そんなに強くしたら絶対飛ぶって……!」
「そんなにヤバかったのか……ごめんなさい……」
「ありがとうございます……!じゃあ次は私が火つけるからね?」
「いえいえそんな……!ごゆっくりお過ごしください……」
 素手でハイボールの氷を掴むのはよくないが、誰も火傷しなくて本当によかった。
「大丈夫でした……?」
「すみません……いきなりあんなこと……」
「いや……格好良かったです……(このハイボール飲んじゃダメかな……?)」
「これ新しく入れてきますね!」
「あっ……」
 彼女はハイボールを入れ直す。冷静に仕事をしているように見えるが、彼女の心は常に不安に押し潰されていた。理由は『未来の断片』を見てしまったからだ。なぜ見えてしまったのか、どうすれば見ずに済んだのか。そんなことを考える余裕もなく客足は絶えない。
 ザワザワ……ガヤガヤ……
 そうして23時を過ぎた頃、ようやく店内は落ち着き始めた。

肉笑中 23:17
 バタッ……
「ふぅ……」
 休憩なしで5時間以上の立ちっぱなしは脚にくる。閉店時間の24時になれば締め作業。
「ちょっとお手洗い行ってきます……」
 気にしすぎだと思うのだが、自分ばかり遠い席に提供させられたような気がしていた。
 シャー……キュッ……
 タオルを解いて自分の顔を鏡で確認する。
「はぁ……」
 彼女は薄々感じていた。実年齢以上に老けて見える理由は、おそらく未来の断片を見てしまったからなのではないか。ただどうしてもわからないのは、未来の断片が見えてしまった理由だった。考えながら顔を細かくチェックしていると——
「おいババア!どんだけトイレ長えんだよ……!?」
「ひっ……!?す……すみません……!」
 いきなり汚い言葉を投げたのはフリーターの宮澤 由美(ミヤザワ ユミ)(24)。
「早く来い!」
 自分の方が年下なのに『ババア』と呼ばれてしまう。本当なら抵抗したかった。
「この皿全部洗っておいて」
「はい……!」
 ゴシゴシ……シャー……
 自分は何のために生まれてきたのだろうか?どうすれば人並みの生活ができるのだろうか?未来なんて見えなければ……
「何かあの女……ババアのくせに無駄に仕事が早えんだよな……腹立つわ……あいついくつなの?」
「店長から聞いたんだけど、21らしいよ!ヤバくね?」
「私より下!?」
「……(聞こえてるよ……!)」
 やはりここも外れか……気にするだけ負けと割り切ろうとした頃——
「あの……人にそんなこと言うのは……いけないと思います……」
「はぁ?何お前……」
 震える声で宮澤たちに反論したのは幸風。
「ババアにババアと言って何が悪いわけ?大体あいつさ、ハイボールに指突っ込んだでしょ?人としてどうなわけ?」
「そ……それは……」
 シャー……キュッ……
 千夏は水を止めて宮澤のもとへ歩み寄る。目を見開いて真剣な表情をしている。
「な……何よ……?もしかして怒ったの?」
「……」
「奥田さん……?」
「その節は申し訳ありませんでした……」
 どんなに陰口を言われても、いけないことはきちんと謝る。
「奥田さん……(こんなときに俺は何も言えないのか……!)」
 幸風は何も言えないやるせなさを感じているが、宮澤は素直すぎる言動に戸惑っている。
「……何かやけに素直ね……もういいよ……!」
 普段の彼女は穏やかで優しい表情だが、真剣になると別人のようになる。見る人によってはビビることもある。
「あの……奥田さん……」
「はい?」
「えっと……何でもないです……」
「……(何か柳瀬さんと話しているときが一番イライラするんだけど……!)」
 もし『イライラするんだけど!』と言ったら彼はどうなるのだろうか?萎縮して泣いてしまう未来が見える。そうして閉店時間を迎え、幸風と共に締め作業を終えると、ようやく帰宅時間を迎える。

肉笑中 10/05 00:34
 タイムカードを切り、疲れた表情をなるべく隠しながら着替えを済ませた。初日から散々なことが多かったが、何とか1日を終えることができた。
「奥田さん……!」
 まだ何か用があるのか。いい加減にしてほしい。もうこうなったら言うしかない。
「柳瀬さん……ちょっと来てください……」
「えっ……?」
 彼女は幸風を駐車場の人目につかないところまで誘導すると、そのまま彼の目を見つめた。
「あのさ……宮澤さんより柳瀬さんみたいなハッキリしない人って本当にイライラするの!さっきからあの……あの……とか言うけどさ、何が言いたいの!?もう言っちゃうけどさ、言いたいことがないなら私にもう話しかけないで!それでも言いたいことがあるなら別だけど?」
「……!?ごめんなさい……!ごめんなさい……!」
「言いたいことがあるなら今言いなさい……」
 少しの沈黙を置いて震える口を動かした。何を言うのだろうか?
「一緒に帰りませんか……?」
「えっ?」
「もし方向が合うなら……!俺、臨海1丁目のところに住んでます!」
「奇遇ですね?実は私もです。いいですよ。一緒に帰りましょ?」
「ヤッター!ってあっ……いや……」
「素直になったからよし!ってことにしておくわ……」
 彼は嬉しそうにしているが、実は彼女も心から嬉しかった。こんな可愛い男の子と一緒に帰れるなんて……
「帰ろう……」
「はい……!それと、もしよかったら……俺のこと幸風って呼んでくれませんか?」
「幸風……考えておきます」
 彼女は嬉しい気持ちに加え、一緒に歩いていると親子に見えてしまうのではないかという不安がある。しばらくの間は化粧をすることを忘れていたが、これを機に少し自分を見直してもいいかもしれないと考えた。
< 1 / 2 >

この作品をシェア

pagetop