いつか星が見えたら、あなたと見に行きたい。
FRAGMENT 02 難航
——ドスン……ペッタン……
「重たい……」
私は男の子と一緒に餅つきをしていた。保育園の催しなのかな?私がお餅をひっくり返し、男の子が小さな力でお餅をつく。
「よいしょ……!美味しくなぁれっ……」
「あともうちょっとで美味しくなるわよ!」
お餅はきなこで食べようかな?あんこで食べようかな?でもこの子は、納豆餅が好きっていうことが、なぜか知っている……
「わぁ……!」
「危ない……!?」
ガシッ……!
私はもう、この子に傷をつけたくない……その一心で倒れそうなこの子を助けた。
「ママ……ごめんなさい……」
「いいのよ……あなたのためなら、ママはヒーローになれるの!お餅そろそろいいんじゃない?食べよ!」
「うん!ママの隣で食べていい?」
「当たり前じゃん!」——
千夏のアパート 10/05 05:45
「うぅ……もうまた夢……?勘弁してよもう……」
ポリポリ……
幸せな夢なのに疲れてしまう。夢で幸せになれるなら、現実でも私を幸せにしてよ……
「あっ……!?そういえば……!」
ドサッ……ドサッ……
彼女は慌てて鏡を確認した。顔のしわやしみ、目の状態を細かく。
「はぁ……」
昨日と何ら変わりはなかった。彼女が今恐れていることは、未来が見えてしまうと、その後に自分の老化が進んでいるのではないかということだった。老化の原因がそれと考えると、色々と辻褄が合う。毎日のように見る夢は、まさかこれから自分に起こる未来なのではないかとも思い始めた。
「私に子どもが生まれる未来……?彼氏だっていないのに……」
カチッ……ボォ……
作り置きの味噌汁を温める。今日は7時から9時までパチンコ屋の清掃バイト。出勤時間まで少し余裕がある。その後はスーツに着替えて就職の面接だ。自分のために働く毎日であるが、どうすれば幸せになれるのか。彼女には『幸せ』の意味がわからなくなっていた。別に贅沢な生活をしたいわけではない。ただ不自由なく生きたい。
「私って、何が欲しいんだろう……?」
子どもが欲しいと思ったことはある。確かに母親になることに憧れていた。だが、母親になりたいのなら今のままじゃダメだ。そのためにきちんと就職するんだ!
東洋商事株式会社 応接室 11:02
「よろしくお願いします」
「では、どうぞ……」
パチンコ屋の清掃バイトを終えた千夏は、就職面接のために東洋商事を訪れていた。職種はインフラ関連の営業職。
「桜ヶ丘大学法学部?ええ……良い大学行ったのに辞めたの?何かあったんですか?」
「ちょっと……お金が足りなくなってしまって……」
辞めた理由は詳しく話す必要はない。
「そういえばうちの求人見ました?年齢の方……」
「確認しました……」
「うちは30歳まで、高卒必須なのわかりますか?」
履歴書の生年月日には1976年8月19日と書かれている。それだけで信じられないのならと思い、彼女は運転免許証を見せた。
「存じております……ですがこれでも21歳なんです……!中学生の頃から老け顔で、大学に入っても身なりとか気にしなかっただけです……」
何て説明すれば理解してもらえるのだろうか?
「いや……ふざけてますか?」
「えっ……?」
「だって、こんな21歳がいるわけないじゃないですか?うちは営業ですから、少なくとも顔は大事なんですよ。それでこんなの(身分証明書)見せられても、うちは困りますよ……」
「……」
「言っちゃ悪いんですが、うちは美人な社員が多いから雰囲気を壊したくないんですよ。ということで面接はこれで以上です。お引き取りください……」
また不採用……これでもう何社目だろうか?確かに就職氷河期だから仕方ないこともある。けれど、あそこまで露骨に言われてしまったら自分自身の能力より、存在自体の価値を疑ってしまう。
「もうダメなのかな……」
やはり人前に出る仕事は無理なのだろうか。次は倉庫作業員や工場勤務の求人も視野に入れるべきか。
「どこで働いている未来が見えたらいいのに……でも見ない方がいいか……」
彼女は目を閉じたまま髪を耳にかけようと、左耳に触れそうになった。
「……!?未来……!」
触れる寸前に手を下ろした。やはり未来の断片が見えたのは、目を閉じて左耳に手を触れたときだ!初めて見えたのは大学を辞めるほんの少し前。その日を境にしわが目立ち始めたんだ!
ピピピピ……!
「……!?」
「おい!渡るなら渡れ!」
横断歩道の真ん中で突っ立っていれば当然クラクションを鳴らされる。
「す……すみません……!」
タッタッタッ……
横断歩道を渡った彼女は、肉笑中のアルバイトまで少しでも休もうと、重い足取りで歩きながら帰路に着いた。
あれから3週間後。千夏は一旦就職活動を休み、アルバイトに専念して忙しい毎日を過ごしていた。
臨海都市大学 経済学部棟 204講義室 10/28 12:00
柳瀬幸風は経済学部の3年生。彼も千夏と同様に就職活動をしながら、ゼミにも所属して卒論の研究をしている。夜は肉笑中でアルバイト。そんな彼の楽しみは、肉笑中では千夏に会えることだった。
「フフフ……」
彼は千夏と撮ったツーショット写真を常に持ち歩いている。
プルプルプル……
彼のPHSが鳴る。
「……親父か……」
ピッ……
「もしもし……」
「やっと出たか?おい幸風……何で帰ってこない上に連絡も寄越さないんだ?たまには連絡しろと言っているだろ?今何してんだ……?」
電話の相手は、江戸川区に住む彼の父親だ。
「別に何てことないよ……それよりもう電話かけてこないでくれ……俺は忙しいんだ……」
「おいま……」
プツッ……ツーツー……
「はぁ……」
父親と仲が悪いのだろうか?電話することすら面倒くさがっている。
「そういえば千夏さんは今日休みだったな……」
父親から電話がかかってきた日に限って千夏と会えないのは寂しい。想いこそ伝えていないが、彼は既に千夏のことが好きになっていた。
「あ〜……!千夏さんが携帯持っていれば〜……!」
当時は現代のように全員が全員携帯電話を持ち歩く時代ではなく、連絡手段はポケベル、公衆電話を使うことが主流だった。
「幸風?これから飯食いに行くか?」
「和明!ちょうどこれから学食に行く予定だよ」
彼に声をかけたのは親友の原田 和明(20)。内気な性格の幸風にとって数少ない友人の一人。
ズルズル……
学食のうどんを食べながら次の講義に備える。最近の話題はアルバイト先で好意を寄せる女性のことだ。自由な時間があれば気になって幸風に尋ねる。
「どうなんだ?千夏さんって人に好きって言ったか?」
「まだ言えていない……まあ、写真は撮ってくれた……」
「へぇ……綺麗な人だな?すごく大人っぽくていいな……」
「桜ヶ丘大中退で今アルバイトと就活に大忙し……」
「頭良いんだな?」
桜ヶ丘大学法学部は高偏差値の大学で知られている。
「和明だから話すけど、千夏さんはこの容姿のせいでなかなか就職先にありつけないようなんだ……」
千夏の存在自体は和明にしか話していない。
「言っちゃ悪いけど、確かに21歳って言われても信じてくれる人はいなそうだな……」
誰が見ても実年齢と容姿が合っていないようだ。
「俺が早く働いて養う……って選択肢もあるけどな!」
幸風は明るく宣言するように言い放った。だが自分の右胸をさすっている。
「どうした……?」
「いや……何でもない……飲みすぎて胸焼けしちまったみたいで……」
「そうか。でも、俺たちが就職するのって1年以上先だぞ?待ってくれるかぁ〜?」
「その前に好きってことだけは伝えるさ!」
「それは大事だ!けど、現状を考えるなら、親父さんに頼ってもいいんじゃないか?」
「親父は関係ねぇよ……」
幸風の父親に何か伝手があるのだろうか?相談をすれば力になってくれる存在でありそうだが、彼には頼る選択肢がなかった。だが彼だけがわかっていること。自分には『時間』がないかもしれない。
「さあ行くか……終わったら今日もバイト……」
「お前ずっとバイトしているよな?ちょっと働きすぎじゃね……?」
「大丈夫だこれくらい。千夏さんの笑顔が見れるからさ」
「お前の身体はもう千夏さんパワーでできてんな?」
「ああ。あんなに人を好きになったのって、初めてだしな……」
「俺もマジで応援するぜ!そろそろ始まるな?また後でな!」
次の講義は別々。和明と話す内容はほぼ千夏に関することであるが、まだ相談できていないことがある。それは——
『毎晩のように小さい男の子の夢を見るの……私によく似てて、もしかしたら私には未来が見えているのかなって……』
一度や二度なら理解できるが、ほぼ毎晩見るのなら一概に夢とは言えない。それも毎回千夏によく似た男の子が出てくる。本当に彼女の息子なら、父親は誰だ?
「まさか俺だったりして……わけないよな……?」
冷静に考えれば違うと思うのだが、他に考えられる男性もいない。自分が父親なら一番いいかもしれない。だが、彼には恋愛に踏み込めない『壁』があった。
千夏のアパート 12:55
ズズッ……
千夏はコーヒーを飲みながら何かの絵を描いている。何度も夢を見ていれば嫌でも覚える。描いているのは夢の男の子だ。元々絵を描くことが得意な彼女は、服装から髪型、目元まで克明に描き続ける。
「できた!」
完成した絵はやはり自分に似ている。
「でもこの顔……どこかで……」
断片的に見える面影。すぐそこまで来ているのだが、全然来ない状態だ。子どもは成長とともに親に似ると言われているが、絶妙な幼さで面影の判別がつかない。
「あの子は、私に何を伝えたいんだろう……」
容姿と身体は老化しているが、月経は安定している。それでも自分は何歳なのだろうかすらわからなくなる。
「よいしょ……」
この似顔絵を最初に見せるのは幸風に決めている。出会った当初は鬱陶しくて仕方なかった。しかし、出会ってから1か月足らずで、彼の純粋な優しさに心を開くようになっていた。
「でも今日は休みだ……明日になりそうかな」
数少ない夜の休日。身体に鞭を打って働き続ける彼女の身体は疲弊していた。少なくとも、自分に精一杯な生活から抜け出せなければ、子どもを育てることはままならない。
「はぁ……」
彼女は連勤の疲れからついうとうとし、あぐらをかいたまま仰向けに倒れ込んだ。
——ザァァァァ……!
「……!?ここはどこ!?寒い……」
私が立っているのは、どこか見覚えのあるバス停。横殴りの雨が降り注いでいる。雨宿りも意味がなく、靴下にまで雨が入っている。来るはずのバスが来ない。寒い。このままじゃ凍え死んでしまいそう……
「誰か……助けて……」
私は震える声で囁いた。誰の耳にも入らないことくらい、わかっているのに……
ピチャ……ピチャ……
「……?あなたは?」
私に優しく傘を差し出してくれたのは一人の男性。肝心の顔は、黒いモヤがかかっていて見えない。
「探したぞ……全くどこ行ってたんだよ……?さあ帰ろう母さん!」
「……!?」
嘘でしょ……今私のことを『母さん』と呼んだ!?まさかこの人って、私が見ていた男の子なの……!?
「ほらっ?傘一個しかないけど、2人入れるだろ?帰ろっ」
「う……うん!」
彼の手がすごく温かい……寒い雨なのに……私は大雨の中、待っていてよかったと思った。でも、あなたは誰なの?今聞くのは、野暮かもしれない……
「母さん!今日の夕飯は?」
「今日?じゃあ……あなたの食べたいもの何でも作ってあげる!」
「迷うなぁ……じゃあ、ハン……」——
「はっ……!?雨……!雨……ってあれ?家ん中だ……」
千夏のアパート 19:08
「ヤバ変な時間に寝ちゃったじゃん……これこっから寝れないパターン……」
明日は早朝からアルバイトが入っているのに、全くツイていない……明日の天気予報は雨。傘を差しながら徒歩15分の距離を歩くと考えると憂鬱になる。しかし——
「何か手が温かい……」
夢を見た直後なのか、右手がすごく温かい。『彼』がくれた温もりなのか?
「やっぱり……まだ諦めるなって言いたいのね……」
夢の中で希望をくれる存在がいるのなら、人生はまだ捨てたものではないのかもしれない。
「重たい……」
私は男の子と一緒に餅つきをしていた。保育園の催しなのかな?私がお餅をひっくり返し、男の子が小さな力でお餅をつく。
「よいしょ……!美味しくなぁれっ……」
「あともうちょっとで美味しくなるわよ!」
お餅はきなこで食べようかな?あんこで食べようかな?でもこの子は、納豆餅が好きっていうことが、なぜか知っている……
「わぁ……!」
「危ない……!?」
ガシッ……!
私はもう、この子に傷をつけたくない……その一心で倒れそうなこの子を助けた。
「ママ……ごめんなさい……」
「いいのよ……あなたのためなら、ママはヒーローになれるの!お餅そろそろいいんじゃない?食べよ!」
「うん!ママの隣で食べていい?」
「当たり前じゃん!」——
千夏のアパート 10/05 05:45
「うぅ……もうまた夢……?勘弁してよもう……」
ポリポリ……
幸せな夢なのに疲れてしまう。夢で幸せになれるなら、現実でも私を幸せにしてよ……
「あっ……!?そういえば……!」
ドサッ……ドサッ……
彼女は慌てて鏡を確認した。顔のしわやしみ、目の状態を細かく。
「はぁ……」
昨日と何ら変わりはなかった。彼女が今恐れていることは、未来が見えてしまうと、その後に自分の老化が進んでいるのではないかということだった。老化の原因がそれと考えると、色々と辻褄が合う。毎日のように見る夢は、まさかこれから自分に起こる未来なのではないかとも思い始めた。
「私に子どもが生まれる未来……?彼氏だっていないのに……」
カチッ……ボォ……
作り置きの味噌汁を温める。今日は7時から9時までパチンコ屋の清掃バイト。出勤時間まで少し余裕がある。その後はスーツに着替えて就職の面接だ。自分のために働く毎日であるが、どうすれば幸せになれるのか。彼女には『幸せ』の意味がわからなくなっていた。別に贅沢な生活をしたいわけではない。ただ不自由なく生きたい。
「私って、何が欲しいんだろう……?」
子どもが欲しいと思ったことはある。確かに母親になることに憧れていた。だが、母親になりたいのなら今のままじゃダメだ。そのためにきちんと就職するんだ!
東洋商事株式会社 応接室 11:02
「よろしくお願いします」
「では、どうぞ……」
パチンコ屋の清掃バイトを終えた千夏は、就職面接のために東洋商事を訪れていた。職種はインフラ関連の営業職。
「桜ヶ丘大学法学部?ええ……良い大学行ったのに辞めたの?何かあったんですか?」
「ちょっと……お金が足りなくなってしまって……」
辞めた理由は詳しく話す必要はない。
「そういえばうちの求人見ました?年齢の方……」
「確認しました……」
「うちは30歳まで、高卒必須なのわかりますか?」
履歴書の生年月日には1976年8月19日と書かれている。それだけで信じられないのならと思い、彼女は運転免許証を見せた。
「存じております……ですがこれでも21歳なんです……!中学生の頃から老け顔で、大学に入っても身なりとか気にしなかっただけです……」
何て説明すれば理解してもらえるのだろうか?
「いや……ふざけてますか?」
「えっ……?」
「だって、こんな21歳がいるわけないじゃないですか?うちは営業ですから、少なくとも顔は大事なんですよ。それでこんなの(身分証明書)見せられても、うちは困りますよ……」
「……」
「言っちゃ悪いんですが、うちは美人な社員が多いから雰囲気を壊したくないんですよ。ということで面接はこれで以上です。お引き取りください……」
また不採用……これでもう何社目だろうか?確かに就職氷河期だから仕方ないこともある。けれど、あそこまで露骨に言われてしまったら自分自身の能力より、存在自体の価値を疑ってしまう。
「もうダメなのかな……」
やはり人前に出る仕事は無理なのだろうか。次は倉庫作業員や工場勤務の求人も視野に入れるべきか。
「どこで働いている未来が見えたらいいのに……でも見ない方がいいか……」
彼女は目を閉じたまま髪を耳にかけようと、左耳に触れそうになった。
「……!?未来……!」
触れる寸前に手を下ろした。やはり未来の断片が見えたのは、目を閉じて左耳に手を触れたときだ!初めて見えたのは大学を辞めるほんの少し前。その日を境にしわが目立ち始めたんだ!
ピピピピ……!
「……!?」
「おい!渡るなら渡れ!」
横断歩道の真ん中で突っ立っていれば当然クラクションを鳴らされる。
「す……すみません……!」
タッタッタッ……
横断歩道を渡った彼女は、肉笑中のアルバイトまで少しでも休もうと、重い足取りで歩きながら帰路に着いた。
あれから3週間後。千夏は一旦就職活動を休み、アルバイトに専念して忙しい毎日を過ごしていた。
臨海都市大学 経済学部棟 204講義室 10/28 12:00
柳瀬幸風は経済学部の3年生。彼も千夏と同様に就職活動をしながら、ゼミにも所属して卒論の研究をしている。夜は肉笑中でアルバイト。そんな彼の楽しみは、肉笑中では千夏に会えることだった。
「フフフ……」
彼は千夏と撮ったツーショット写真を常に持ち歩いている。
プルプルプル……
彼のPHSが鳴る。
「……親父か……」
ピッ……
「もしもし……」
「やっと出たか?おい幸風……何で帰ってこない上に連絡も寄越さないんだ?たまには連絡しろと言っているだろ?今何してんだ……?」
電話の相手は、江戸川区に住む彼の父親だ。
「別に何てことないよ……それよりもう電話かけてこないでくれ……俺は忙しいんだ……」
「おいま……」
プツッ……ツーツー……
「はぁ……」
父親と仲が悪いのだろうか?電話することすら面倒くさがっている。
「そういえば千夏さんは今日休みだったな……」
父親から電話がかかってきた日に限って千夏と会えないのは寂しい。想いこそ伝えていないが、彼は既に千夏のことが好きになっていた。
「あ〜……!千夏さんが携帯持っていれば〜……!」
当時は現代のように全員が全員携帯電話を持ち歩く時代ではなく、連絡手段はポケベル、公衆電話を使うことが主流だった。
「幸風?これから飯食いに行くか?」
「和明!ちょうどこれから学食に行く予定だよ」
彼に声をかけたのは親友の原田 和明(20)。内気な性格の幸風にとって数少ない友人の一人。
ズルズル……
学食のうどんを食べながら次の講義に備える。最近の話題はアルバイト先で好意を寄せる女性のことだ。自由な時間があれば気になって幸風に尋ねる。
「どうなんだ?千夏さんって人に好きって言ったか?」
「まだ言えていない……まあ、写真は撮ってくれた……」
「へぇ……綺麗な人だな?すごく大人っぽくていいな……」
「桜ヶ丘大中退で今アルバイトと就活に大忙し……」
「頭良いんだな?」
桜ヶ丘大学法学部は高偏差値の大学で知られている。
「和明だから話すけど、千夏さんはこの容姿のせいでなかなか就職先にありつけないようなんだ……」
千夏の存在自体は和明にしか話していない。
「言っちゃ悪いけど、確かに21歳って言われても信じてくれる人はいなそうだな……」
誰が見ても実年齢と容姿が合っていないようだ。
「俺が早く働いて養う……って選択肢もあるけどな!」
幸風は明るく宣言するように言い放った。だが自分の右胸をさすっている。
「どうした……?」
「いや……何でもない……飲みすぎて胸焼けしちまったみたいで……」
「そうか。でも、俺たちが就職するのって1年以上先だぞ?待ってくれるかぁ〜?」
「その前に好きってことだけは伝えるさ!」
「それは大事だ!けど、現状を考えるなら、親父さんに頼ってもいいんじゃないか?」
「親父は関係ねぇよ……」
幸風の父親に何か伝手があるのだろうか?相談をすれば力になってくれる存在でありそうだが、彼には頼る選択肢がなかった。だが彼だけがわかっていること。自分には『時間』がないかもしれない。
「さあ行くか……終わったら今日もバイト……」
「お前ずっとバイトしているよな?ちょっと働きすぎじゃね……?」
「大丈夫だこれくらい。千夏さんの笑顔が見れるからさ」
「お前の身体はもう千夏さんパワーでできてんな?」
「ああ。あんなに人を好きになったのって、初めてだしな……」
「俺もマジで応援するぜ!そろそろ始まるな?また後でな!」
次の講義は別々。和明と話す内容はほぼ千夏に関することであるが、まだ相談できていないことがある。それは——
『毎晩のように小さい男の子の夢を見るの……私によく似てて、もしかしたら私には未来が見えているのかなって……』
一度や二度なら理解できるが、ほぼ毎晩見るのなら一概に夢とは言えない。それも毎回千夏によく似た男の子が出てくる。本当に彼女の息子なら、父親は誰だ?
「まさか俺だったりして……わけないよな……?」
冷静に考えれば違うと思うのだが、他に考えられる男性もいない。自分が父親なら一番いいかもしれない。だが、彼には恋愛に踏み込めない『壁』があった。
千夏のアパート 12:55
ズズッ……
千夏はコーヒーを飲みながら何かの絵を描いている。何度も夢を見ていれば嫌でも覚える。描いているのは夢の男の子だ。元々絵を描くことが得意な彼女は、服装から髪型、目元まで克明に描き続ける。
「できた!」
完成した絵はやはり自分に似ている。
「でもこの顔……どこかで……」
断片的に見える面影。すぐそこまで来ているのだが、全然来ない状態だ。子どもは成長とともに親に似ると言われているが、絶妙な幼さで面影の判別がつかない。
「あの子は、私に何を伝えたいんだろう……」
容姿と身体は老化しているが、月経は安定している。それでも自分は何歳なのだろうかすらわからなくなる。
「よいしょ……」
この似顔絵を最初に見せるのは幸風に決めている。出会った当初は鬱陶しくて仕方なかった。しかし、出会ってから1か月足らずで、彼の純粋な優しさに心を開くようになっていた。
「でも今日は休みだ……明日になりそうかな」
数少ない夜の休日。身体に鞭を打って働き続ける彼女の身体は疲弊していた。少なくとも、自分に精一杯な生活から抜け出せなければ、子どもを育てることはままならない。
「はぁ……」
彼女は連勤の疲れからついうとうとし、あぐらをかいたまま仰向けに倒れ込んだ。
——ザァァァァ……!
「……!?ここはどこ!?寒い……」
私が立っているのは、どこか見覚えのあるバス停。横殴りの雨が降り注いでいる。雨宿りも意味がなく、靴下にまで雨が入っている。来るはずのバスが来ない。寒い。このままじゃ凍え死んでしまいそう……
「誰か……助けて……」
私は震える声で囁いた。誰の耳にも入らないことくらい、わかっているのに……
ピチャ……ピチャ……
「……?あなたは?」
私に優しく傘を差し出してくれたのは一人の男性。肝心の顔は、黒いモヤがかかっていて見えない。
「探したぞ……全くどこ行ってたんだよ……?さあ帰ろう母さん!」
「……!?」
嘘でしょ……今私のことを『母さん』と呼んだ!?まさかこの人って、私が見ていた男の子なの……!?
「ほらっ?傘一個しかないけど、2人入れるだろ?帰ろっ」
「う……うん!」
彼の手がすごく温かい……寒い雨なのに……私は大雨の中、待っていてよかったと思った。でも、あなたは誰なの?今聞くのは、野暮かもしれない……
「母さん!今日の夕飯は?」
「今日?じゃあ……あなたの食べたいもの何でも作ってあげる!」
「迷うなぁ……じゃあ、ハン……」——
「はっ……!?雨……!雨……ってあれ?家ん中だ……」
千夏のアパート 19:08
「ヤバ変な時間に寝ちゃったじゃん……これこっから寝れないパターン……」
明日は早朝からアルバイトが入っているのに、全くツイていない……明日の天気予報は雨。傘を差しながら徒歩15分の距離を歩くと考えると憂鬱になる。しかし——
「何か手が温かい……」
夢を見た直後なのか、右手がすごく温かい。『彼』がくれた温もりなのか?
「やっぱり……まだ諦めるなって言いたいのね……」
夢の中で希望をくれる存在がいるのなら、人生はまだ捨てたものではないのかもしれない。


