光の重なり ― 魅惑のパリで見つけたもの ―
第1話 奥さんと行く、初めての海外旅行
三月、美月は看護師として四年間勤めた大学病院を退職した。
そして六月、同じ大学病院の外科医である藤崎理久と結婚式を挙げた。
八月末には理久の海外留学が決まっている。美月も帯同することにしており、新婚旅行は留学直前、理久の休みに合わせて行く予定になっていた。
けれど、その前にもうひとつ。
七月、パリで開催される学会に理久が参加する。
せっかくだから一緒に行こう、と誘われ、美月も同行することになっていた。
挙式と披露宴を終え、慌ただしかった準備の日々からようやく解放された、ある休日の夜。
リビングでは、理久がソファに座って医学雑誌を読んでいた。
美月はふと、まだ何ひとつ確認していなかったことを思い出した。
「ねぇ、りく。パリの学会のことなんですけど」
理久が雑誌から目を上げる。
「ん?」
「航空券って、もう予約してますよね?」
「もちろん。ちゃんと二枚取ってるよ」
「良かったぁ……。全部お任せしちゃってて、すみません」
「メインは俺の学会だからね。俺が予約するのは当然でしょ。安心して」
美月にとって、パリは初めてだった。
セーヌ川に、石畳の街並み。
写真や映像では何度も見てきたけれど、一度は行ってみたいと思っていた場所でもある。
「直行便ですか?」
「もちろん」
「窓際かな。景色、見られるかな」
「気になるなら予約画面見る?」
理久はスマホを手に取り、何度か画面を操作した。
「はい」
差し出されたスマホを受け取り、美月は画面を覗き込む。
そして、数秒固まった。
「……え?」
もう一度見る。
見間違いかと思った。
けれど、どう見ても同じだった。
「待って。この席って……」
画面に表示されているのは、機体前方。
一席ずつ独立して配置された、明らかに別世界の座席だった。
美月はゆっくりと顔を上げる。
「……ファーストクラス?」
「うん」
あまりにも平然と答えられて、余計に混乱した。
「ちょっと待ってください! いくらなんでもファーストクラスはないでしょう!」
「え? 美月、乗ってみたいって言ってたよね?」
理久は本当に不思議そうだった。
「……言いましたけど」
確かに言った。
いつだったか、酔っていたときだ。
一度くらい、ファーストクラスに乗ってみたい。
そんな話をした。
「でも、あれは単なる憧れを口にしただけで。本当に乗るなんて思ってませんし……」
話しているうちに、だんだん声が小さくなっていく。
ファーストクラスなんて、自分には縁がない。
そう思っていたからこそ、気軽に口にできた夢だった。
それをこの男は、当たり前のように現実にしてしまった。
「快適な空の旅になるよ」
理久がにっこり笑う。
本当に、何も問題がないと思っている顔だった。
――一体、いくらするの。
今回はあくまで学会だ。
理久は仕事として行く。
自分はそこに帯同するだけ。
大学から支給されるのは、当然エコノミークラス相当分のはずだ。その上に、どれだけ自腹を乗せたのだろう。
しかも、同じ学会へ向かう医師が同じ便に乗っている可能性だってある。
もし教授や上司がエコノミーやビジネスクラスに乗っていて、自分たち夫婦だけファーストクラスだったら。
想像しただけで落ち着かなかった。
黙り込んだ美月を見て、理久が医学雑誌を閉じた。
「美月」
ソファの隣を軽く叩く。
座れ、ということらしい。
「何か言いたいことがあるなら、言葉にしてほしいんだけど」
理久は少しだけ眉を上げた。
「さすがに心の中までは読めないよ」
そして六月、同じ大学病院の外科医である藤崎理久と結婚式を挙げた。
八月末には理久の海外留学が決まっている。美月も帯同することにしており、新婚旅行は留学直前、理久の休みに合わせて行く予定になっていた。
けれど、その前にもうひとつ。
七月、パリで開催される学会に理久が参加する。
せっかくだから一緒に行こう、と誘われ、美月も同行することになっていた。
挙式と披露宴を終え、慌ただしかった準備の日々からようやく解放された、ある休日の夜。
リビングでは、理久がソファに座って医学雑誌を読んでいた。
美月はふと、まだ何ひとつ確認していなかったことを思い出した。
「ねぇ、りく。パリの学会のことなんですけど」
理久が雑誌から目を上げる。
「ん?」
「航空券って、もう予約してますよね?」
「もちろん。ちゃんと二枚取ってるよ」
「良かったぁ……。全部お任せしちゃってて、すみません」
「メインは俺の学会だからね。俺が予約するのは当然でしょ。安心して」
美月にとって、パリは初めてだった。
セーヌ川に、石畳の街並み。
写真や映像では何度も見てきたけれど、一度は行ってみたいと思っていた場所でもある。
「直行便ですか?」
「もちろん」
「窓際かな。景色、見られるかな」
「気になるなら予約画面見る?」
理久はスマホを手に取り、何度か画面を操作した。
「はい」
差し出されたスマホを受け取り、美月は画面を覗き込む。
そして、数秒固まった。
「……え?」
もう一度見る。
見間違いかと思った。
けれど、どう見ても同じだった。
「待って。この席って……」
画面に表示されているのは、機体前方。
一席ずつ独立して配置された、明らかに別世界の座席だった。
美月はゆっくりと顔を上げる。
「……ファーストクラス?」
「うん」
あまりにも平然と答えられて、余計に混乱した。
「ちょっと待ってください! いくらなんでもファーストクラスはないでしょう!」
「え? 美月、乗ってみたいって言ってたよね?」
理久は本当に不思議そうだった。
「……言いましたけど」
確かに言った。
いつだったか、酔っていたときだ。
一度くらい、ファーストクラスに乗ってみたい。
そんな話をした。
「でも、あれは単なる憧れを口にしただけで。本当に乗るなんて思ってませんし……」
話しているうちに、だんだん声が小さくなっていく。
ファーストクラスなんて、自分には縁がない。
そう思っていたからこそ、気軽に口にできた夢だった。
それをこの男は、当たり前のように現実にしてしまった。
「快適な空の旅になるよ」
理久がにっこり笑う。
本当に、何も問題がないと思っている顔だった。
――一体、いくらするの。
今回はあくまで学会だ。
理久は仕事として行く。
自分はそこに帯同するだけ。
大学から支給されるのは、当然エコノミークラス相当分のはずだ。その上に、どれだけ自腹を乗せたのだろう。
しかも、同じ学会へ向かう医師が同じ便に乗っている可能性だってある。
もし教授や上司がエコノミーやビジネスクラスに乗っていて、自分たち夫婦だけファーストクラスだったら。
想像しただけで落ち着かなかった。
黙り込んだ美月を見て、理久が医学雑誌を閉じた。
「美月」
ソファの隣を軽く叩く。
座れ、ということらしい。
「何か言いたいことがあるなら、言葉にしてほしいんだけど」
理久は少しだけ眉を上げた。
「さすがに心の中までは読めないよ」