光の重なり ― 魅惑のパリで見つけたもの ―
美月はその場から動かなかった。

言葉にしないと伝わらない。

それは分かっている。

でも、自分が何にこんなにも引っかかっているのか、美月自身にもまだうまく説明できなかった。


いつまで経っても座ろうとしない美月を見て、理久が目を細める。

「俺にエスパーにでもなれと?」

美月は首を横に振った。

たとえエスパーになったところで、今の自分の気持ちは読み取れない気がする。

しばらく美月を見ていた理久が、ふっと息を吐いた。

「久しぶりに、チェスでもしようか」

そう言って立ち上がる。

「……チェス?」

「その方が話しやすいでしょ」

否定できなかった。


チェスはいつの頃からか、二人が衝突したときに使う道具になっていた。

盤面を挟んで向き合うと、不思議と普段なら胸の奥に押し込めてしまう言葉も口にできる。

駒でも、言葉でも。

互いに攻めて、守って、時には引く。


理久がチェス盤をテーブルに置いた。

「ハンデはどうする?」

当然のように聞いてくる。

理久の方が圧倒的に強いため、いつも最初にハンデを決めるのだ。

以前、あまりにも腹が立っていたとき、ハンデなしで特攻したことがある。

結果は惨敗だった。

でも今回は。

「しっかりいただきます」

そう言うと、美月は迷いなく理久側の駒をいくつも盤面から外していった。

理久が面白そうに眺めている。

「美月……容赦ないね」

「そうですね。負け戦をするつもりはないので」

今、自分が言いたいことはまだ全部分からない。

でも、何も言わずにやり過ごすつもりもなかった。


勝負が始まった。

圧倒的に駒が少ないせいか、さすがの理久も無言で盤面を眺めている。

美月はひとつ駒を進めた。

「私が勝ったら、エコノミークラスにしてください」

理久も駒を動かす。

「美月はファーストクラスに乗りたかったんじゃないの?」

「それは、あくまで憧れです。叶わない前提で口にした絵空事です」

「うん。だから叶えただけなんだけど?」

そういう問題ではない。


乗ってみたい。

じゃあ、はいどうぞ。


そんな簡単に差し出せるのは、理久にそれだけの経済力があるからだ。

普通なら、「一度乗ってみたいね」で終わる話なのだ。

「美月は何が不満なの?」

「不満しかないです」

「もっと喜んでくれると思ってたけど」

理久は特に傷ついた様子もなく、淡々と駒を進める。

その余裕が、また少し腹立たしい。

美月は盤面を見たまま言った。

「突然シンデレラみたいな扱いをすれば、女はみんな喜ぶと思っているなら、その考えは今すぐ捨てた方がいいですよ」

理久の手が止まった。

美月も顔を上げる。


――言い過ぎた?


理久は怒っていなかった。

傷ついているわけでもない。

ただ、肩が小さく震えていた。

「……ちょっと、りく」

「ごめん、ごめん」

理久は口元を押さえる。

笑っていた。

「美月、本当に最高すぎる」

ついには目元まで潤んでいる。

「そんなに笑わないでほしいんですけど」

「だって……」

まだ笑いが収まらないらしい。

「そんな真正面から言われたことないから。あまりにも美月らしくて」

「ていうか、涙目じゃないですか」

今度は美月の顔が赤くなる。

「だから、ごめんって」


――何なの、それ。


もしかして今まで、高級なものを差し出せば女性は素直に喜んできたのだろうか。


……いや、勝手な想像だけれど。

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