ブルーヘヴンの彼方に

 美山駅に着く頃には、空が少しずつ青く沈み始めていた。
 自転車置き場からママチャリを引き出し、ボストンバッグを籠へ乗せる。
 青を見ると、あの子を思い出す。
 あの日、腕いっぱいに抱えていた薔薇。
 これが、いわゆる恋の病なのだろうか。
 夕陽を背に、自宅へ向かう。
 僕の家は三階建てで、玄関までは階段ではなく緩やかなスロープになっている。
 父が、病弱だった僕のためにそう設計したらしい。
 結局、僕がこの家で車椅子を使ったことは一度もない。

「オオ、エディ。おかえりなさいネ」
「ただいま、母さん」
「今日はオカアサン、ハンバーグ作りマシタ」
「ありがとう」
 母はフランス人だ。
 音楽一家に生まれ、若い頃はハープ奏者として活動していた。
 父がフランスを訪れた時、一目惚れして猛アタック。
 結局、母は家族の反対を押し切り、父について日本へ来てしまったらしい。
 恋をすると一直線。
 そういうところだけは、父に似たくないと思っていたけれど。
 ……もう手遅れかもしれない。

「エディ。オトウサン、もえる」
「え?」
「オトウサン、もえる」
 相変わらず母の日本語は、時々謎だ。
「あとで父さんに聞いて」
 僕は二階へ上がり、自室のドアを開けた。

「うわッ」
「ぎゃッ」
 妹が半裸で、鏡の前に立っていた。

「何してるんだよ、エリサ!」
「兄貴、今日早くない?」
「いいから服着て」
「今度、水着特集の撮影あるんだよ。変な肉ついてないかチェックしてただけ」
「それ、自分の部屋でやってくれない?」
「兄貴の鏡の方が全身映るから便利なんだよね」
 要するに。
 置くには邪魔だけど、使うには便利だからそのままにしておけということらしい。
「終わったら出てって」
「えー」
「えー、じゃない」
 半ば強引に追い出した直後。
 ベッドの上に、見慣れないものを見つける。
「……な」
「あー、ごめんごめん」
 エリサが戻ってきた。
「ブラ忘れた」
「……」
 こいつは。

「パリコレとかだと、モデルなんて着替えまくりだから、いちいち気にしてらんないんだって」
「ここはパリでもコレクション会場でもない」
「細かいなあ」
「最低限の恥じらいは持ってくれ。頼むから」

 何で兄の僕が頼まなきゃいけないんだ。
 エリサを追い出し、今度こそ鍵を閉めた。
 外で何か喚いている。

 知らない。
 僕はベッドに倒れ込んだ。

「……一人暮らし、しようかな」
 本気でそう思った。

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