きみが待つ空へ ~敏腕パイロットは命をかけて愛を守る~
 羽田の上空は暴風雨だったが、無事、定時に着陸できた。
 到着ロビーへ向かう通路をクルーたちと歩いていたとき、聞き覚えのある声が耳に届いて顔を向けた。
「お気をつけて! ありがとうございました!」
 よく通る声。
 彼女だ。
 お客様を見送っているのだろう。
 人影が見えなくなるまで、ツアーの旗を小刻みに振り続けている。
 やがて、旗をバッグにしまい、歩き始めたところを呼び止めた。
「香坂さん、ですよね」
 きっと、また会えると思っていた。
 けれどこうして実際に姿を見つけると、思いのほか嬉しく思っている自分がいる。
 軽く談笑していると、ツアーのお客様だったらしい老夫婦が戻ってきた。
 外はまだ雨。
 傘を持っていない夫婦は、傘を買える店を探していた。
 早朝のターミナルでは多くの店が開店前で、離れたコンビニしか開いていない。
 俺は、老婦人が、片足を引きずりながら歩いていたことに気づいていた。
「あの、よかったら私の傘を使ってください」
 彼女が躊躇いもなく傘を差し出し、夫婦を見送ったあとに近づく。
 案の定、自分は濡れて帰るつもりだと言う。
 フランスで出会った時も、ひたむきにお客様第一で行動していた。
 仕事への真面目さもあるが、彼女を見ていると、そもそも、誰かのために自然と動ける優しい人なのだろうと思う。
 雨の中を懸命に走る彼女を想像すると、放っておくなどできはしなかった。
「送るよ」
 気づけば俺は、そう言っていた。

 リムジンの中で、初めは緊張していた様子の彼女も、次第に打ち解けてくれた。
 仕事の話をする彼女の表情はくるくると変わり、見ていて飽きない。
 飾り気のない人柄も、自然体で会話ができるところも心地よかった。
 パイロットという職業や、次期会長という肩書に惹かれて近づいてくる人はいるが、俺をひとりの人間として見てくれる相手はそう多くはない。
 嬉しかった。
 もっと、彼女のことを知りたい。
 そんな思いが膨らんでいた。
 やがて、車が彼女のアパートの前に止まった。
 このまま別れたら、次に会えるかどうかは、今度こそ、運次第だ。
 それでも、俺を信頼してくれているだろう彼女に、自分の立場を利用して連絡先を調べるようなことはしたくなかった。
「香坂さん。……また、きみと会いたい。連絡先を聞いたら、迷惑だろうか」
 彼女は驚いたあと、はにかみながら頷いてくれた。
「……迷惑なんかじゃありません。私も、またお会いできたら嬉しいです」
 彼女も俺と同じ気持ちでいてくれたのだ。
 そのことに、胸の奥が熱くなった。

 連絡先を交換したものの、俺たちの休日は合わなかった。
 互いに、海外を飛び回る仕事だ。
 数日に一度、SNSでメッセージを送り合う程度では、距離も縮まらない。
 ようやく顔を見て話せたのは、仕事の前の展望デッキだった。
 なんとか彼女と会う時間をつくりたくて、俺は思い切って提案した。
「どうだろう。きみがいる街に、俺が行くというのは?」
 我ながら、まだ知人の域をでない男にそんな風に誘われたら戸惑うだろうとは思った。
 彼女の仕事を考えれば、簡単に応じられるものではない。
 職権乱用では、と疑う彼女にそうではないと説明すると、お客様優先を条件に、承諾してくれた。
 いくつの街で、彼女と束の間の時間を楽しんだだろうか。
 パリをはじめ、ニューヨーク、ローマ、フランクフルト……。
 カフェに入るのが定番だったけれど、街をぶらぶらと歩いたこともあった。
「颯さん、こっちです!」
 彼女は駆けだし、ショーウインドウの前に立ち止まると、手招きをした。
「ここのワッフル、ほんっとうに美味しいんですよ」
 満面の笑みを浮かべる無邪気な顔も、俺に教えたくてたまらないという様子も、たまらなくかわいらしかった。
 街角の建物に足を止めて、
「この建物は、1905年に建てられて、現在は銀行として使われています」
などと、俺を相手にガイドを始めてしまうこともあった。
 彼女の博識な一面に感心する一方で、楽しそうに話す姿をずっと見ていたいと思った。
 何気ない会話に笑い、同じ物を見て語り合う、そんな時間が心地よかった。
 もっと会いたい。
 できることなら、こうした時間を誰にも遠慮することなく、当たり前のように重ねていきたい。
 もう、ただの知人として会うだけでは満足できない。
 彼女に自分の気持ちを伝え――恋人として、そばにいたい。
 想いを伝える機会があれば、言葉にしよう。
 俺は、そう決めた。
 
 夜の静けさに包まれたマンションの一室で、俺は明日の乗務に備えて荷造りをしていた。
 着替えや身の回りのものをキャリーケースに詰めていく。
 明日はロンドン便を担当する。
 翌日には、彼女と食事をする約束があった。
 俺は、机の上に置いていた白い小箱を手に取り、蓋を開けた。
 中には、ダイヤモンドに縁どられたサファイアのネックレスが収まっている。
 見つけたのは、先週、都内の通りを歩いていたときだ。
 ふと、ショーウィンドウの一角に飾られたジュエリーが目に入った。
 通り過ぎかけて、足を止めた。
 午後の陽射しを受けて煌めくサファイア。
 深く澄んだ青からほのかな青へと、見る角度によって移ろう色に思わず息を呑む。
 ――シャルトル・ブルー。
 あの多彩な青。
 サファイアの青は、シャルトルの大聖堂を思わせた。
 彼女と初めて出会った街、シャルトル。
 あの日、あの街で出会えたこと。
 互いに旅をしていなければ、交わることのなかった縁だった。
 いつしか俺にとってシャルトルは、特別な街になっていた。
 俺だけが、この出会いに意味を見出しているのだろうか。
 ロンドンで、俺は彼女に想いを伝えるつもりだ。
 彼女が応えてくれるとは限らない。
 それでも、このネックレスだけは受け取ってほしいと願っている。
 俺がそばにいない空の下でも、彼女を守ってくれるように――。


 
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