ただいまは戦闘開始のゴング

ROUND 4


「ちょっと、髪濡れたままだと風邪ひくでしょ」

 タオルを手に取り、彼の頭にバサリと被せる。
 至近距離。ぐっと引き寄せた瞬間、シャンプーの香りと一緒に、彼の身体のこわばりが伝わってきた。
 ふと、彼の大きな手が、私の腰の後ろにそっと回される。不意のスキンシップ。引き寄せられた胸元。
 ドクン、と心臓が跳ねる。

 男のずるさ。体温でごまかそうとする常套手段。
 やるじゃないの。でもね、駄目よ。どれだけドキドキさせられたって、リングを降りる前にちゃんと吐かせてからじゃないと、許してあげるわけにはいかないの。

「ねえ……全部話しちゃいなさいよ。ほら、楽になるわよ……?」

 タオルの上から彼の耳元に唇を寄せ、甘く低く囁く。
 観念しなさい。その息苦しいガードを下げて――。

「……本当に、何もやましいことないんだよ」

 彼が絞り出した声は、予想していた震え声ではなく、どこか気まずそうに困り果てたトーンだった。

「え?」

「後輩の女の子なんだけどさ……社内の別の先輩との恋愛でこじれてて。泣きつかれて、断れなくてさ。夕方、喫茶店でお茶飲んで、ひたすら愚痴と相談を聞かされてただけなんだよ。ハンバーグ残しそうになったのも、パフェ無理やり突き合わされて……」

「……は? 愚痴会? 恋愛相談?」

 拍子抜けするほど間抜けな真実に、私の動きが止まる。
 あなたじゃ……なかったのね?

「あの香水の匂いも、泣かれた時にハンカチ貸したら移ったみたいでさ。お前の言う通り、誤解されるようなことした俺が悪かったよ。……でも、相談に乗ってる時、俺ずっとお前の話ばっかりしてたんだ。『うちの奥さんなら、こういう時こう言ってくれるけどな』とか、『俺にはもったいないくらいしっかりしてる』ってさ。そしたら余計に『理想が高すぎる!』って泣かれて……」

 頭の中で、カランコロンと間の抜けたベルが鳴り響く。

 まったく、この人は……!
 人の旦那を仕事終わりに気軽に呼びつけて、自分の恋愛相談を聞かせるその女も女なら、ホイホイ付き合ってパフェまで奢らされているこの男も男だ。
 お人好しにもほどがある。

 でも――よその女の前で、私のことをそんなふうに自慢していたのね。
 あの安っぽい柑橘系のコロンは、相談に乗ってもらったお礼じゃなくて、私への当てつけだったわけね。
 だからこそ、あの子も悔し紛れに「素敵な奥さんですね」なんて言いながら、シャツに匂いを擦り付けていったわけだ――
 女のつまらない嫉妬と意地よね……まったく、脇が甘いんだから。

「ふぅ……」

 深い溜息を吐きながら、私はタオルの上から彼の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で回した。

「……悪かったわよ、疑って」

 顔を上げると、彼は「許してもらえたのか?」と子犬のように目をぱちくりさせている。
 その無防備な顔を見ていると、さっきまでの張り詰めた緊張感が嘘のように溶けていって、なんだか急におかしくなってしまった。

 まあ、いいわ。
 もしこれが全部、彼のついた完璧な嘘だったとしても。ここまでのプロットを組み上げて、私の機嫌を完璧に直してみせたなら、その腕前に免じて騙されてあげてもいい。

「――これも嘘でもいいわよ? 一生、上手に手玉に取ってね」

 と、耳元で甘い吐息を吹き込んで背中をポンと叩くと、彼は心底ほっとしたように、へなへなと私の肩に額を預けてきた。
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