初恋、のちパパになる―憧れのあなたは母になっていた―
8. 夫婦、のち親子
そして、一か月後。
「おめでとうございます。確かに受理いたしました」
玲と遙花は婚姻届を提出し、晴れて夫婦となった。
「まだ、実感湧かないな」
「でも、今日から僕と同じ苗字だよ」
「うん。しかも……」
「何?」
「本当に、いいの?」
「何が?」
「蒼生のことも、養子縁組まで考えてくれて」
遙花は遠慮がちに言う。
「言ったはずだよ」
「え?」
「僕が、蒼生君のお父さんになりたいって」
玲は迷いなく答える。
「今日、遙花さんと夫婦になれた。それに、これから蒼生君の父親になるための一歩も踏み出せる。こんなに嬉しい日はないよ」
「ありがとう、玲君」
普通養子縁組であれば、婚姻後に届け出をすれば成立するが、蒼生の実父との法律上の親子関係は残ったままになる。
「あいつには、蒼生の父親なんて……二度と名乗らせたくない」
蒼生を拒絶し、遙花を殺そうとした男。
さらには、遙花を庇った玲にまで重傷を負わせた。
その男の両親もまた、跡取りだからという理由で蒼生だけを引き取り、自分たちの養子にしようとした。
遙花は、その身勝手さがどうしても許せなかった。
完全に縁を切りたい。ただ、それが蒼生にとって必要な法的措置なのかは、また別の問題だった。
玲は、俯く遙花の手をそっと握った。
「そうだね。もともと何一つ、父親の役割なんて果たしていないけど」
「ほんとそれ」
「今回の特別養子縁組はね、監護期間が原則六か月以上必要なんだけど、申立て前の養育実績も考慮してもらえるんだ」
「じゃあ、玲君が今まで蒼生を育ててきたことも?」
「うん。僕たちはもう三年近く一緒に過ごしてきたから。その間の監護状況をきちんと証明できれば、最初から六か月待ち直す必要はないと思う」
「そうなんだ……」
玲は、これまでの三人での生活を思い返した。
☆
玲と遙花は、交際を始めて半年ほど経った頃から同居を始めた。
遙花と蒼生が、玲のマンションへ引っ越してきたのだ。
離婚後、遙花は元夫から一括で支払われた慰謝料と養育費を生活費に充てていた。しかし、同居を始めてからは、玲が三人分の生活費を負担するようになった。
当初、遙花も働こうとしていた。しかし、保育園も仕事も思うように見つからず、不採用が続いて落ち込んでいた。
「どうせ家族になるんだから」
玲は、そう言って笑った。
「今は無理して仕事を探さなくてもいいよ。遙花さんが働きたいときは、僕もできる限り協力するから」
その言葉に、遙花は少しだけ肩の力が抜けた。
蒼生が幼いうちは、できるだけ母親と一緒に過ごす時間を大切にしてほしい。
もちろん、玲自身も仕事の合間を縫って育児に関わってきた。
蒼生が熱を出せば病院へ連れていき、早く帰ってきた日や休みの日にはお風呂に入れたり、寝かしつけも積極的に行った。
初めは離乳食を器ごとひっくり返されたり、せっかく口に運んだものを吐き出されたりと、悪戦苦闘の連続だった。
それでも少しずつ慣れていき、いつしか外出先でも一人で食事の世話ができるようになった。
そんな日々を、三人で積み重ねてきたのだ。
☆
三人で過ごしてきた時間は、決して短くない。
玲にとって、その一日一日が何より大切なものだった。
玲は、遙花の手を優しく握り直した。
「ただ、実のお父さんの同意の問題もあるし、何より蒼生君のために特別養子縁組が必要だと認めてもらわないといけない。だから、審査は慎重になると思う」
役所で婚姻届を提出した二人は、その足で家庭裁判所へ向かった。
かつて、特別養子縁組の事案を扱った経験のある玲は、必要な書類を事前に揃えていた。
「『特別養子適格の確認』と『特別養子縁組成立』の二つを同時に申し立てたいのですが」
玲は婚姻届の受理証明書を提出し、職員がそれを確認して尋ねた。
「かしこまりました。えっと……先ほど夫婦になられたばかり?」
「はい」
「養親になられるのは、どちらですか?」
「僕です」
玲は、迷いなく答えた。
「奥様の実のお子さんを、玲さんが特別養子にされるということですね」
「はい」
事前に書類を揃えていたこともあり、申立ては滞りなく受け付けられた。
今後は、家庭裁判所による調査や審理が進められることになる。
*
申し立てを終えてから、二人は玲の実家に立ち寄った。
「パパとママ、かえってきた!」
玄関先で、蒼生が真っ先に出迎えた。
「ただいま、蒼生。いい子にしてた?」
「うん! さっき、おねえちゃんとクッキーつくったよ」
「あ、玲。お帰り」
「姉ちゃん」
「先にお邪魔してるよ」
「律も、来てたんだ」
「遙ちゃん、こんにちは」
「瑠花ちゃん、こんにちは。蒼生のこと、面倒見てくれてありがとう」
「いいのいいの。蒼生君、すごくお利口さんにしててくれるから。さっき一緒にクッキー作ったの。パパとママに見せるんだって言ってたよ。もう、可愛くて」
瑠花と遙花。名前の似ているもの同士であり、年の差も一つで、ほぼ同年代の二人。蒼生を若葉に預かってもらいに行った時に出会い、あっという間に打ち解けた。
瑠花の婚約者・律は、玲にとっても幼なじみだった。両家は親世代から長年家族ぐるみの付き合いを続けており、その縁が今度は子どもたちの結婚によって、親族という形で結ばれようとしていた。
「玲、婚姻届出せた?」
「うん」
「まさか、玲に先越されるとは思わなかったわ」
「来年は蒼生君も幼稚園の入園を控えているし、それに合わせて先に籍だけ入れようって話でまとまったから。まあ、そうなるよね」
蒼生は来年の春から幼稚園に通い始める。新しい生活が始まる前に、まず夫婦としての関係を法律上も整えておきたいと考え、当初の予定より早く入籍することになった。
「律、あたしたちは来年だよね」
「うん」
「さっき式場の見学行ってきたの」
「へえ。どこかいいところあった?」
「うん。海の見えるチャペルで、料理がおいしくて、好みのドレスがいっぱいあるところ」
「姉ちゃんの理想ばっかじゃん。律には決定権ないの?」
「ない。瑠花の一存」
幼なじみ同士で盛り上がっていると、エディと若葉が現れた。
「父さん、母さん」
玲が席を立った。
「さっき、無事籍を入れてきた」
「そうか、おめでとう。玲、遙ちゃん」
「やっと夫婦になれたのね。二人とも、おめでとう」
「ありがとうございます」
「それで、蒼生君は?」
「うん。特別養子縁組の申し立てもしてきたよ」
「そうか。じゃあ、これからなんだな」
「うん。これから家庭裁判所の審査が始まる。簡単な手続きじゃないけど、できる限りのことはするつもりだよ」
「そうね。でも、玲はもう立派なパパじゃない」
「……ありがとう、母さん」
「パパ!」
蒼生が両手を伸ばした。
「おいで、蒼生君」
玲は、小さな身体を抱き上げた。
「玲君は、前から……蒼生のパパだよ」
「うん、ありがとう」
「パパ、だいすき!」
「僕も大好きだよ」
玲は蒼生を抱きしめた。
法律上の親子になるには、まだ時間がかかる。
それでも。
蒼生にとって、玲はもうずっと前からパパだった。
初めて「ぱぱ」と呼んだあの日から。
まだ記憶にも残らないほど幼かった頃から、気がつけばいつもそばにいた。
そんな当たり前の日々を、三人で積み重ねてきた。
玲は、蒼生の父親になる前から、父親だった。
「あ、そうだ」
玲は思い出したように言った。