『世界の終わりのトップコート』〜嘘つきな君と、私〜
「あのさ、香織」
ハルトの口調は、まるで明日どこかへ遊びに行こうと誘うかのように、あまりにも軽やかだった。
だからこそ、その後に続いた言葉の重みに、私は自分の耳を疑うことになる。
「俺さ、最近ちょっと体調を崩しがちでさ。こないだも、ただの貧血かと思って病院に行ったら、そのまま何日か検査入院させられちゃって。そしたらさ、医者の先生がさ、すごく真面目な顔をして『やりたいことは、今のうちに早めにやっておいた方がいい』なんて言うんだよ。まるで映画のセリフみたいだろ?」
ハルトは頭の後ろで両手を組み、天井を見上げて、からからと笑った。
けれど、その笑顔の裏で、彼の喉が微かに引き攣(つ)るように震えているのを、私はじっと見つめていた。
彼は、自分の身体から漂う『世界の終わりを告げるトップノート』の本当の意味を、まだ正確には知らないのだろう。あるいは、自分が死に直面しているという恐怖を脳が拒絶しているのか、はたまた、目の前にいる私に余計な心配をかけまいとして、必死に強がって道化を演じているのか。
どちらにせよ、私の鼻は、彼のその笑顔の隙間から、冷たい汗の匂いと、内臓が熱を失っていくときの乾いた金属質な匂いを嗅ぎ取ってしまっていた。
(嘘よ……そんなの、絶対に嘘……!)
胸の奥の動揺を必死に抑え込みながら、私の記憶は、強制的にあの十四年前に引き戻されていく。
あの最後の夏休み。私たちは毎日のように、首からタオルを下げて、額に大粒の汗を浮かべながら、秘密基地と呼んでいた裏山の鬱蒼(うっそう)とした雑木林にこもっていた。
ハルトはいつも、網が破れかけた虫取り網を振り回し、私は図鑑を片手に草花を追いかけていた。
その雑木林の、さらに奥。日の光が木漏れ日となって、スポットライトのように差し込む小さな湿地帯に、その花はひっそりと群生していた。
名前も知らない、五枚の細長い花弁を持つ小さな白い花。
その花は、お昼を過ぎて、太陽が一番高くなる時間帯にだけ、信じられないほど甘く、それでいてどこか切ない、不思議な香りを放ち始めるのだ。
熟しきる前の青い蜜柑(みかん)のような爽やかさと、雨上がりの濡れた土が放つ濃密なウッディノート。それが絶妙なバランスで混ざり合った、まるで「青春」そのものを液体にしたような匂いだった。
『香織、俺、この匂い、世界で一番好きだ』
そう言って笑ったハルトのために、私は母親の三面鏡からこっそりくすねてきた空の化粧水瓶(それが今、目の前にある茶色いボトルのことだ)を差し出した。
私たちはプラスチックの乳棒と乳鉢を秘密基地に持ち込み、ハルトが摘んできた何百輪もの白い花を、汗だくになりながらすり潰した。薬局で小遣いを叩いて買った無水エタノールにそれを浸し、濁った緑色の液体をガーゼで何度も濾して、その小さな瓶に閉じ込めたのだ。
ハルトはそれを『世界一いい匂いだ!』と大喜びして、まるで家宝かお守りのように、毎日デニムのポケットに入れて持ち歩いてくれた。私が「本物の、世界一の調香師になる」と心に決めた、すべての原点の匂い――。
だけど、その思い出の匂いは、もうこの世界には存在しない。
「……ハルト」
私は乾いた喉を震わせ、大理石のカウンターに両手を強く押し付けた。指先が白く染まる。
「あの花の匂い、もう、どこを探しても手に入らないよ。どこにも売ってない。
……あの裏山、私たちが中学校を卒業したすぐあとに、大規模な土地開発が入ったの。
木はすべて切り倒されて、湿地は埋め立てられて、
今は一面、コンクリートの四角い住宅地になっちゃったから。あの花は、絶滅したのよ」
ハルトの口調は、まるで明日どこかへ遊びに行こうと誘うかのように、あまりにも軽やかだった。
だからこそ、その後に続いた言葉の重みに、私は自分の耳を疑うことになる。
「俺さ、最近ちょっと体調を崩しがちでさ。こないだも、ただの貧血かと思って病院に行ったら、そのまま何日か検査入院させられちゃって。そしたらさ、医者の先生がさ、すごく真面目な顔をして『やりたいことは、今のうちに早めにやっておいた方がいい』なんて言うんだよ。まるで映画のセリフみたいだろ?」
ハルトは頭の後ろで両手を組み、天井を見上げて、からからと笑った。
けれど、その笑顔の裏で、彼の喉が微かに引き攣(つ)るように震えているのを、私はじっと見つめていた。
彼は、自分の身体から漂う『世界の終わりを告げるトップノート』の本当の意味を、まだ正確には知らないのだろう。あるいは、自分が死に直面しているという恐怖を脳が拒絶しているのか、はたまた、目の前にいる私に余計な心配をかけまいとして、必死に強がって道化を演じているのか。
どちらにせよ、私の鼻は、彼のその笑顔の隙間から、冷たい汗の匂いと、内臓が熱を失っていくときの乾いた金属質な匂いを嗅ぎ取ってしまっていた。
(嘘よ……そんなの、絶対に嘘……!)
胸の奥の動揺を必死に抑え込みながら、私の記憶は、強制的にあの十四年前に引き戻されていく。
あの最後の夏休み。私たちは毎日のように、首からタオルを下げて、額に大粒の汗を浮かべながら、秘密基地と呼んでいた裏山の鬱蒼(うっそう)とした雑木林にこもっていた。
ハルトはいつも、網が破れかけた虫取り網を振り回し、私は図鑑を片手に草花を追いかけていた。
その雑木林の、さらに奥。日の光が木漏れ日となって、スポットライトのように差し込む小さな湿地帯に、その花はひっそりと群生していた。
名前も知らない、五枚の細長い花弁を持つ小さな白い花。
その花は、お昼を過ぎて、太陽が一番高くなる時間帯にだけ、信じられないほど甘く、それでいてどこか切ない、不思議な香りを放ち始めるのだ。
熟しきる前の青い蜜柑(みかん)のような爽やかさと、雨上がりの濡れた土が放つ濃密なウッディノート。それが絶妙なバランスで混ざり合った、まるで「青春」そのものを液体にしたような匂いだった。
『香織、俺、この匂い、世界で一番好きだ』
そう言って笑ったハルトのために、私は母親の三面鏡からこっそりくすねてきた空の化粧水瓶(それが今、目の前にある茶色いボトルのことだ)を差し出した。
私たちはプラスチックの乳棒と乳鉢を秘密基地に持ち込み、ハルトが摘んできた何百輪もの白い花を、汗だくになりながらすり潰した。薬局で小遣いを叩いて買った無水エタノールにそれを浸し、濁った緑色の液体をガーゼで何度も濾して、その小さな瓶に閉じ込めたのだ。
ハルトはそれを『世界一いい匂いだ!』と大喜びして、まるで家宝かお守りのように、毎日デニムのポケットに入れて持ち歩いてくれた。私が「本物の、世界一の調香師になる」と心に決めた、すべての原点の匂い――。
だけど、その思い出の匂いは、もうこの世界には存在しない。
「……ハルト」
私は乾いた喉を震わせ、大理石のカウンターに両手を強く押し付けた。指先が白く染まる。
「あの花の匂い、もう、どこを探しても手に入らないよ。どこにも売ってない。
……あの裏山、私たちが中学校を卒業したすぐあとに、大規模な土地開発が入ったの。
木はすべて切り倒されて、湿地は埋め立てられて、
今は一面、コンクリートの四角い住宅地になっちゃったから。あの花は、絶滅したのよ」

