涙が出るほど愛してた
すべては右手のキスから始まった。
「今夜、食事に行かない?」
私はビックリしたけど、快くOKをした。私も彼も場所は違うけど、お互い高校教師。お互いジャズが大好きで趣味でビックバンドに入っている普通の仲間だった。彼の音楽の場所はジャズ以外にもオーケストラや吹奏楽団、いろんな場所で腕を磨いてる誰がも認める凄いトランペッター。顔を合わせばいつも音楽の話で盛り上がっていた「仲間」だった。
彼は海洋専門の先生。私は古文の先生。年は11歳も彼が年上で、でも音楽している時は「仲間」だった。あの日までは…。
食事をしていても元気の無い彼。「どうしたの?」と聞いても答えてくれない。部活で悩んでいるのか、職員同士のトラブルなのか全く分からない私。でも、私を誘ったからには、何か理由があるはず。私は黙って彼が口を開くのを待っていた。
淡々と食事を済まし、ドライブで海へ行った。そこで初めて彼が口を開いた。
「明後日、本番を控えているのに楽器が吹けない。音が出ない。こんなスランプ初めてで初めて本番が怖いと思っている。仕事も手につかない。どうしていいか分からない。気が付いたら里香にメールをしていた」
私は何故かホッとした。なぜホッとしたのかは分からない。
「ねぇ、誰だってスランプや壁はあると思うよ。彦さんなら大丈夫。今ね、苦しい言葉を言ったでしょ?同時にスランプも不安も体から出て行ったよ。大丈夫!」
分かっていた。プライドの高い彼にそんな励まし通用しない事くらい。でも、私にはこれくらいしか言えなかった。
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