求命
男の言った仕事の内容はこうだ。毎日、午前中にこのベンチに来る事。そして、夕方までここにいる事。これだけだ。
「えっ、仕事ってそれだけですか?」
「はい。」
「本当にここにいるだけでいいんですか?」
「はい。」
どう考えても信じられない。ただ、ベンチに座っているだけの仕事なんてあるものか。まして、こんな仕事なら誰でも出来る。適正なんて関係ない。さすがの大伍も、声を荒げた。
「ふざけないで下さい。どこにベンチに座っているだけの仕事があるんですか?」
「ここにあるじゃないですか。」
怒っている大伍に笑顔で答える。実に不釣り合いな光景だ。
「どうも信じてもらえていないようですね。わかりました。まず、これを受け取って下さい。」
無理矢理、手渡された。手の中には、久しぶりの札の感触がある。目をやると、そこにはなんと三万円もあった。
「こ、こんなに・・・。」
「あなたの仕事にはそれだけの価値があるんです。いや、それ以上かもしれない。どうです?信じてもらえませんか?仕事を引き受けてもらえませんか?」
男は懇願する。
さすがにここまでされては、大伍も断れない。むしろ、声を荒げた事を詫びなければと思った。
「そ、そんな・・・。こっちこそ、大声あげちゃってすみませんでした。仕事、引き受けさせてもらいます。それで、何時にここに来ればいいですか?」
「ありがとう。では、明日の九時にここで待ってます。」
気がつくと、陽が暮れていた。その夜の街に男は消えていった。でも、手の中の三万はしっかりと主張している。男と同じように消えたりなどしない。まるで、夢のような出会いだったが、どうやら夢じゃないと告げていた。
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