いわし雲のように【SS集】
 頬を冷たいものが伝った。

 見上げると、いつの間にか空は鈍色(にびいろ)の厚化粧をしていて、ふと──母親の顔が浮かんだ。

 傷付きたいわけでも傷付けたいわけでもないのにどうしてこんなにもうまくいかないのか。

 口喧嘩の後に飛び出して気付けば辿り着いていたこの場所に答えなどあるはずもなく。

 ただあるのは鬱蒼(うっそう)とした茂みと、頭上だけをぽっかりと開けて周囲を取り囲むように乱立する木々だけ。


 またぽつり、と頬を冷たいものが伝った。


 あぁ、泣いてしまいなさいと空がいっているのだろうか。

 人前で、親の前でさえ泣くことを「みっともない」と感じてしまう私に、今ここで泣いてしまいなさいといっているのだろうか。

 薄く、外からこの場所を覆い隠すかのように靄(もや)が立ち込める。

 時間はしばしの間素知らぬふりをして腰を下ろし、未来は明日着る服を何にしようかと席を外しクローゼットを覗き込む。

 誰も前に進めなどとはいわず、逃げ出すなと責めることもなく、ただただ視線だけを私から逸らす。

 だから私は──泣いた。



 新しい自分になるために、まるで産声のように。

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