切恋バスタイム(短編集)
 部のみんなを見送った後、戸締りをして受付へ。彼女はいつも一番最後まで残って、誰もやりたがらないような雑務をサッと片付けてから帰っているのだ。



「青木部長、お疲れ様です。」

「あぁ、いつも警備ご苦労様。」



 警備員に挨拶をして、彼女の居る所へ向かう。丁度その時、カウンターテーブルを拭いている姿が見えた。そして運良く、彼女がこちらに気付いて、顔を上げたのだった。

 軽く、本当に軽く片手を上げただけ。それなのに、彼女はやけにドキッとしたような顔で俺を見つめて、動かしていた手を止めてしまった。そういえば、一昨日彼女がボソリと洩らしていた。“夫や周りに勘付かれているかもしれない”、と。

 でも、俺に言わせれば、それはこちらも同じ。そして、そんなことを気にしても、やめられるような半端な気持ちではないのだ。例えそれが、社会のルールに反するような行動であったとしても。

 諦めたような顔をした彼女が、小さく手を振り返してくる。そうだ、それで良いんだ。心の中で呟いて、一歩、また一歩と、彼女の元へ歩いていった。



fin.
12.04.26 奏音

※百人一首の中の、“むらさきのにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我れ恋ひめやも”(大海人皇子・万葉集21)という和歌をイメージ。

出演
青木俊吾
柳沼紅音
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