切恋バスタイム(短編集)
 何回突き放してもへこたれなくて、更に近付いてくるから。毒舌に反して、僕はいつしか谷野宮が側に居ることを許すようになった。“帰れ”という言葉をぶつけなくなっていたのだ。



「うーんと……じゃあ、『エリーゼのために』。」

「げっ!それって無人の音楽室で流れるとかいう恐怖の曲じゃん!!」

「……失礼な。こんな良い曲に何言ってんの。ていうか谷野宮、もしかして怪談怖いの?」



 細まる目元と上がる口角を抑えずに言えば、上ずった声で「そっ!そんなわけないだろ!!」と谷野宮。あ、怖いんだ。怖いんだな。いつも他人を“ビビり”だとか“チキン”だとかからかっているこいつが、実は一番その言葉がふさわしいに違いない。



「へぇー……怖いんだ。意外だね。」

「ち、違うって言ってんだろ!」

「はいはい。じゃあ、谷野宮が怖いなんて言えないくらい良い演奏聴かせてあげるから。」



 大きなことを言って、鍵盤に乗せる手に軽く力を入れた。この曲には自信があるのだ。やがて始まった演奏を、谷野宮は物音一つ立てずに聴いてくれた。
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