馬上の姫君
 具親、波野姫夫妻、久野姫、五郎信景の四人は、日の出の頃と、夕方、日に二回、毎日のように浜辺で馬を駆った。
 兵乱の世にあって、日頃から心身を鍛えて置くためである。
 鞆の浦には沢山の小島が点在している。
 潮が引くと、砂浜が現れ、島々の白砂青松を結び付け、陽射しのなかで、清爽(せいそう)な光沢を放っていた。
 浦の漁師たちは、四騎の若武者が夕映えの波打ち際を島から島へ、飛ぶがごとく凛然(りんぜん)と駆け抜ける様を、鮮明に心に留めている。
馬上の姫君は日の光を受けて燦然(さんぜん)と輝いていた。

 その頃の久野姫はすでに三十路を越えていた。しかし、鞆の津の城には将軍をお守りする五郎信景がいつも凛々(りり)しく控えていて、心強く、二騎で青松を潜り抜け、波打ち際の白砂を思い切り疾駆することだけで十分幸せであったのだ。

 津之郷西深津の北畠館に、義治と信景の二人が、具親、波野姫、久野姫を尋ねて、鞆城からやって来たのは天正九年の師走初旬である。北畠館は蔵王山(二百二十六㍍)の中腹にあった。
 
「これは素晴らしい眺めでござるな…」
 見晴らしの良さに五郎信景が唸る。それに具親が応えた。
「公方様にはこのようなよき住処(すみか)を賜り、感謝の念にたえませぬ」
「このような絶景を眺めて、心洗われるのもこれが最後かもしれませぬ。今日は皆様にお別れを申し上げに参上いたしました」
 五郎信景が言ったのを、義治が引きとって説明を加える。
「信景殿は上様の御教書を持って明日、甲斐の武田に発たれる…」
「甲斐に行けば二郎高定殿に会える。それがなにより楽しみじゃ。皆、元気で鞆にご滞在されていることを二郎殿にお伝えしたく、こうして参ったのじゃ」
 信景は波野姫、久野姫の顔を交互に見て言った。



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