pp―the piano players―
深く息を吐く。
吐き切る前に、息が震えてくる。
唇が揺れ、頬が揺れ、また涙になってしまう。
小さな子どものようだ。
僕は。
車のドアが開いて、早紀が戻ってきた。
僕は彼女の顔を見ようとは思うが、奥歯がカチカチぶつかる。
「温かい紅茶にしたよ」
早紀が差し出したペットボトルを受け取る手がすくむ。
「酒井君、」
早紀は僕の手に、ペットボトルを持たせた。受け取った僕の左手を、早紀は両手で包んだ。ペットボトルの温かさの向こうにあるその手は、冷たい。
「わたしは、今から、酒井君にきっと、とても辛いことを言うけど」
早紀の声が震えている。
僕は肩に力を入れていたことにようやく気づき、浅く息を繰り返して、ゆっくりと顔を上げた。
「でも、絶対に、わたしは酒井君に謝らないからね」
早紀は二つの大きな瞳を潤ませながら、僕のことをまっすぐに見ている。
「謝らない。絶対に」
それは、僕ではなく自分に言い聞かせるように。
早紀が言葉を続けようと息を吸い込んだとき、ラジオから特徴的なドラムの演奏が流れてきた。古い音源の演奏、すぐに中低音の金管楽器が追ってリズムを刻む。僕ははっとして、ラジオを切ろうとした。でも、早紀の手がそれを止めた。
ベニー・グッドマンと彼のビッグバンドが演奏する、ルイ・プリマの『シング・シング・シング』。僕たちが高校最後の文化祭で連弾した曲。
「楽しかった。あのとき」
早紀はカーステレオの操作画面を愛おしそうに見つめる。
「音楽は、ピアノを弾くことは、先生のような凄い才能のある人に選ばれた、それを超えるような才能ある人だけに許された、でもとても険しい道で、わたしはいくらその背中を追いかけようと思っても、触ることすらできない。一方通行の一本道みたいなものだと思っていたの」
誰の背中の話をしているかは、分かっている。
「だからね」
早紀はまた、僕を見た。
「酒井君と一緒に連弾ができたあの時間は、それまでの練習も、本当に楽しかった。嬉しかった。誰かの隣で、肩を並べて一つの音楽が作れることが」
僕の弾くベースに、早紀が飛び込んでメロディーを奏でる。
僕らの興奮が会場に伝わり、聴衆が湧く。
ああ、音楽って、すごい。
僕はそれを感じてしまった。音楽がある場の高揚感。それを味わう側ではなく、作り出す側に回りたいと思うほど。
だから今、僕はこの仕事をしている。あの時間があったから。
それに。
ベニー・グッドマンが味のあるクラリネットソロを聴かせる。ドラムがそれを支える。ソロが終わり、ビッグバンドが華やかに揃って吹き鳴らす。
曲が終わり、番組の進行の二人が歓声を上げながらこの曲の魅力をさらに語り合う。僕たちに、その声は要らなかった。音楽が、あのきらきらした頃を思い出させてくれた。
「酒井君と連弾するの、とても楽しかった。酒井君が隣にいる毎日は、楽しかった。うん、とても。酒井君が」
早紀は僕の手を両手で包む。
僕の反論を許さず、自分の言いたいことを言い切るかのように。
「酒井君が、わたしを好きだと言って、たくさん⋯⋯たくさん与えてくれたから、わたしも、それを言うことができるようになった」