ジェネシス(創世記)
マードはこれらの革新的な行動に出たために、上層階級者たちから反感を買い、迫害されるようになった。

六二二年、安全性を求めて家族や信者たちをメディナ(メッカから北方三五0キロの場所)へと移住させた。この年から、イラム元年と定められた。

 六二四年、マードは信者とともにメッカ政府軍と戦争を起こした(バドルの戦い)。六二七年、勝利に酔いしれたマードたちは、ユダ教徒らを処刑してしまった。

 六三0年、メッカを支配したマードは、神殿にある偶像を全て破壊した。けれども政府軍の罪を許した。

マードの寛大な御心にひかれた民たちは、彼を慕ってメッカに大勢のアラブ人やパレス人が集りはじめた。マードの教えは、急速にアラビア半島全域に広まった。

 ここに強大な「イラム帝国」が成立することになった。ユダ人にとって永遠の宿敵パレス人も、イラム教徒となってしまった。

 イラム教には五つの教えや義務がある。神アラフに対する信仰心。一日五回の礼拝。貧者を救済するための納税(喜捨。惜しむことなく喜んで財物を納めること)。

イラム暦(一年が三五四日)の第九の月、ラマダン月に行われる断食。メッカにあるカルバ神殿(アブーの長男イシが建てたとされる)への巡礼である。マードはそれらの戒律を守らせた。

「自己中心の生活を改めよ」。「社会的弱者をいたわり、不正義を認めるな」。「罪を懴悔し、神に許しを求めれば受け入れられる」。

「来世に比べれば、現世はとるに足らない。執着するな、争うな」。「神以外に従属することは許されない」。



< 240 / 375 >

この作品をシェア

pagetop