しずめの遭難日記
第二話「あの山を登れば海が見える」
1999年2月20日
 「つまんない」
 昨日、2月19日。突然、父が実家の長野に行こうと言い出した。
「え?私学校あるんだよ!」
 私が父にそう抗議すると、父はまるで私の声が聞こえないような顔つきで、鼻歌混じりに旅の準備をし始める。長らく使っていなかったリュックサックを押入から引っ張りだし、登山に必要な道具を詰め込みながら、私にも早く準備をするように指示を出した。
 もう、こうなると、誰も父を止める事はできない。父は無類の登山好きで、母が元気だった頃には家族揃ってよく山へ登りにいったものだ。生前母は、子供のようにハシャギながら登山の準備をする父に呆れていたが、そんな母もまんざらではない様子で登山準備を手伝っていた記憶がよみがえる。
 私は、深いため息をつきながら、自分も登山の準備に取りかかったが、不意に、父が準備しているリュックサックの中身の量に、私は目を見張った。
「お父さん!まさかあの女も行くの?」
 私の叫びにも似た問いかけに、父は、
「当然だろ?神楽はお母さんなんだから」
 と、平然に答えた。
 私はこの時、父の策略が見えた気がした。ようは、山登りを通して、私とあの女との間に横たわるマリアナ海溝よりも深い溝を埋めようという魂胆なのだ。
 そんな溝、絶対に埋まる筈ないのに!第一、あの女は私の「お母さん」なんかじゃない!
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、父はさっさと自分の準備を済ませると、荷物を車に乗せて、渋る私を無理矢理車へと詰め込んだ。
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