魑魅魍魎の菊


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妾はあの人が死ぬまで、この苦しみを味わなければならないのか。
苦しみなんて、そんな可愛いものではないかもしれぬが。



「御影様…。そんなに嫌なら、見なければよろしいのでは」

背後にいる白は御影の艶やかな赤い着物を見ながらそう告げた。だが、着物の付喪神である彼女の視線には——





——市太郎と麗子がいたのだ。




「……良い。妾の意思でこうしておる」

「本当に、戻りましょう。ねっ…御影様?」

白も譲らず、御影の着物をひっぱる。あまりにも彼女が心痛だったからだ。

とても見てられないのだ。自分の愛する人が久々の逢い瀬で今まで以上の笑顔を零しているのだから。



「……妾には無理なんじゃ。市太郎様の"あの顔"を引き出すことなど」



そして、それ以上に。



「麗子のことを愛しておる、市太郎様のお顔が一番好きなのじゃ」



あぁ、いっそ憎く思えればどんなに良かったのだろうか。
愛が愛を拒絶してくれれば……妾は卑しくなれるのに。



でも、心がそれを拒絶するのだ。彼を愛する心を信じたくなるのに、妾はそれでもその気持ちが止められない。理屈じゃないのだ、誰にも当てはまる。



「白。…お前は人間なんぞに恋をしてくれるな」

弱々しい顔で笑う御影に白は泣いてしまいそうになった。この玖珂家に来てから、御影は姉のように母のように育ててくれた。そんな人がこんな哀しそうな顔をするのだ。

大好きな市太郎を一瞬でも嫌いになりそうである。どうして……御影様じゃ駄目なんだ?




「……市太郎様が死んでも、妾はきっと駄目なんじゃよ」


それに続くように、御影の言葉は波の音に消えてしまった。



——だから妾は物の怪なんぞになりたくなかった。感情なんぞ持つから、人間になりたいと思うのだ。



 
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