蝉時雨を追いかけて
「嘘をつくなっ! たしかにこの目で見たっ!」


「正確には、頭が重なるのが見えた、ですよね」


「それがどうしたっ!」


「だから、してないんですよ。したフリをしただけです」


 北村麗華の顔が近付いてきたとき、おれは正直複雑な気持ちだった。

キスをしたくないわけじゃない。だが、拓馬と付き合っているというのに、簡単に別の男とキスなんかしてほしくなかったんだ。

その別の男が自分であっても。結局、彼女のくちびるは、寸前のところでとまった。すこし、ほっとした自分がいた。


「そんなバカなっ!」


「ねえゲジ、なんで守るための手段が裏サイトだったのよ。守るどころか、逆効果だったのよ?」


 おかっぱがゲジの横から声をかける。言葉はきついが、声のトーンはやわらかい。

おかっぱも、本気でゲジを責めているわけではないのだ。


「影から麗華を守るためにはっ、それしか思いつかなかったんだっ!」


 ゲジは離婚している。北村麗華といっしょに住んでいるわけでもないらしい。

きっと、影からしか見守ることができない事情があるのだろう。

それでも、愛ゆえに、やってしまったことなのだ。
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