蝉時雨を追いかけて
 試合中、拓馬はあきらかにいつもと違った。

恐ろしいほど強烈なショットは影をひそめ、おれと変わらないか、もしかしたらそれ以下のスピードしかない。

ミスを連発し、何度もボールをネットにかけた。

途中、打った直後にラケットを落とすこともあった。

いくらおれでも、そんな拓馬になら勝てる。


「拓馬、おまえ……」


「負けたよ」


 拓馬がネットの向こう側でおれの言葉をさえぎる。笑顔で握手を求めてきた。


「約束だから僕は身を退くよ。麗華を幸せにしてあげておくれ」


 その笑顔があまりにも爽やかで、おれはなにも言えなかった。

握手をして、去っていく背中は、いつも以上に大きく見えた。

とてもではないが、北村麗華を拓馬から奪おうなんて気にはなれなかった。
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